2022 北海道林道探索ツーリング 8月5日(金)晴れ 林道探索の書 〜今日もどこかで林道ざんまい〜 
9日目  根室市「根室 Nemuro→ 中標津町「中標津 Nakashibetsu もどる  









ガソリン給油量 10.06L 給油回数3回 ガソリン代 1760円 総走行距離 269.4km / ダート走行距離 8.3 km トップへもどる


おはようございます! 現在時刻は午前5時30分。根室市で迎えた北海道林道探索8日目の朝です。目覚めと同時に窓を開け放って外の様子を眺めてみますが、どうも夜中に小雨が降ったようなので、外は少し曇っていましたが、今日の天気は晴れ。







まつや旅館は1泊夕食付きで泊まったので朝食は付かず、目覚めと同時に出発してもいいのですが、さすがに午前6時前に出発するのは早過ぎなので、ちょっと外を散歩してみます。宿のサンダルを突っかけてガラリと玄関を開けて外に出てみると、近所のおばあちゃんが草むしりしているのを見かけたくらいで、誰もいませんでした。







とくに行く当てもなかったですが、とりあえずJR根室本線「根室駅」に向かって歩いてみます。すぐに4車線になっているR44に突き当たりますが、まだ午前6時ちょい前なので車がまったくといってよいほど走っていませんね。







国道から右折して根室駅前のロータリーに向かう交差点です。駅前通りの目抜き通りですが、ひっそりと静まり返って歩いている人が誰もいない状態ですが、道路の真ん中に見えているのブルーの塔は「返せ! 北方領土」の碑。







交差点を右折して駅前に向かう途中で見かけた根室交通の「駅前信金前」バス停。根室市街地を走る路線バスは2系統あるのですが、しかし、公住循環線が1日7(土日祝日は3便)便、西浜線が1日5(土日祝日は2便)便という超過疎ダイヤ。たぶんお年寄りと学生の利用がほとんどなのだと思います。







根室駅にやってきました。駅前ロータリーがやたら広くて、そば屋が併設された平屋の小じんまりとした駅舎の前ではタクシーが1台客待ちしていましたが、一番列車の根室到着は8:00なので、それまではこのまま待機かな。







根室駅のひっそりとした改札口と待合所です。始発の5:34の釧路行き普通はすでに出発したあとで、次は8:24まで列車はないので駅舎内には誰もいません。

ちなみに根室本線には、1991(平成3)7月から釧路〜根室間に「花咲線」の愛称がつけられています。それなのに線名由来となった「花咲駅」は2016(平成28)年3月に廃止されています。わざわざ花咲線の愛称で観光PRしているというのに、その一方で花咲駅を廃止するというアホなことを。J◯北海道、なにやってんだか・・・。







淋しすぎる駅前ロータリーとメインストリート。実は根室駅には高校生の頃に訪れたことがあるのですが、たしかその時は駅前に銭湯もあって、今よりも栄えていたような気がします。でも今は商店も極限まで寂れてガラ〜ンとした状態。

後で宿の女将さんに聞いた話では、銭湯はとっくに廃業したとのことで、スーパーや商店は駅前ではなくて、郊外やR44線沿いに多くあるみたいです。駅前は寂れまくり、逆に郊外の方が栄えているというドーナツ化現象がここ根室でも・・・。







駅前通りで見かけた観光客相手の鮮魚店「カニの庄屋」。まだ開店前で、店の前には白い作業着姿の東南アジア系の若いお姉さんたちがワラワラと集合している異様な光景に遭遇しましたが、おそらくお姉さんたちは水産工場で働く技能実習生。

やがて技能実習生の送迎車とおぼしき黒い車がやってきましたが、今時は観光客が訪れないような山奥や、田舎の小さな町でも技能実習性をよく見かけます。ここ、根室の町もその例外ではなくて、どうやらカニ販売店の店先が、人手の足りない水産工場で働く技能実習生たちの送迎時の集合場所になっていたみたいだな。







こちらも駅前通りにあった鮮魚店「根室海鮮市場」。駅近ということで明らかに観光客相手の店ですね。さすがにまだ開店前なのでシャッターが閉まっていますが、根室を訪れてちゃっちゃとカニや魚介を食べたい場合は、根室駅前の鮮魚店でどうぞ。







駅前通りに設置されている「返せ! 北方領土」の巨大な碑。そういえば根室はロシアと隣接する国境の町。北方領土返還要求運動の発祥の地なんだよなぁ・・・。







ぶらぶらと駅前まで歩いて往復、宿のある清隆町の通りまで戻ってきました。通りの右側、白い車が止まっているところにまつや旅館があります。







宿に戻ったら朝食ですが、メニューは昨日の夕食で食べきれなかったタラコイクラ、そして昨日セブンで買っておいた菓子パン1個。お茶を飲みつつちゃっちゃっと食べて済ませますが、あはは、今朝もまったくデタラメな朝食だな〜。







朝食を済ませ、宿泊料金8000円を支払ったら宿を出発します。本日の予定としては、まず「納沙布岬」まで往復。そのまま根室湾の海岸伝いに進んで「風蓮湖」の「春国岱」を探勝し、「別海町」に入って海に突き出た砂州の海岸ダートを走ります。

その後、R244を北上して「標茶町」へと進んで「野付崎」を訪れ、それから「中標津町」に移動して中標津の町の旅館に宿泊する予定。観光客がほとんど訪れない海岸沿いの最果て集落や景色を眺めながらのんびりと移動していきますが、今日は「林道」を走る予定はないのでそのつもりでね。







宿を出発したらまずは根室港に向かい、そのまま海岸伝いに根室の市街地を弥生町、本町、海岸町、汐見町、弁天町、北浜町の順に北上して道35(根室半島線)へと進み、その後は24キロ先の納沙布岬を目指してひたすら進みます。







納沙布岬に向かう途中で「ノッカマップ埼灯台」に立ち寄ってみました。道道沿いに案内板が立っていて、そこから灯台へと向かうワダチダートが延びています。







ダートを先端まで進むと海岸段丘に立つ白黒のノッカマップ埼灯台。位置は北緯43度23分29秒、東経145度39分18秒で、10秒毎に2閃光し、実効光度は3700カンデラで光の届く範囲は12海里。1964(昭和39)年4月1日に建設されたそうです。

ちなみに、このノッカマップ埼灯台の周辺では地磁気の異常があって、岬から1海里以内の距離では地中の火成岩の影響で船のコンパスが狂うんだとか。







灯台の前面に広がる「ノッカマップ岬」の海。ノッカマップとはアイヌ語で「岬の上にあるところ」という意味ですが、アイヌといえば、この場所では1974(昭和49)年から毎年9月の末に「イチャルパ(アイヌ語で供養祭)」が行われています。

1789(寛政元年)5月、この地の交易を松前藩から請け負っていた飛騨屋の横暴に、国後島のアイヌ(マメキリ、ホニシアイヌら5人)が一斉蜂起した「クナシリ・メナシの戦い」が発生。最終的には130人が蜂起して和人71名が殺害されましたが、松前藩からは鉄砲85丁、大砲2門、馬20頭で武装した260人の鎮圧隊が派遣されています。

一斉蜂起の鎮定後、アイヌ37人が処刑されましたが、これが近世アイヌの和人に対する最後の戦いになったそうです。その時のアイヌの犠牲者を供養するのがイチャルパの慰霊祭なんですね。まさか、そんな悲劇がこの場所で起きていたなんて・・・。







岬を訪れる観光客の姿もなくて、淋しいたたずまいのノッカマップ岬とその灯台。背後に見えているのはノッカマップウインドパワーが運営する「ノッカマップ風力発電」の2基の風車(700kw×2)。岬の草原の灯台と風車、なかなか絵になるシーンですが、現在、根室市内には10基の発電風車があるそうです。







灯台周辺の草原で見かけた「ツリガネニンジン」の花。名前の由来は、花の形が釣鐘のようで、白く太い根を朝鮮人参に例えて付けられたそうです。

昔からおいしい山菜の代表とされていて、山菜としての呼び名は「トトキ」というそうです。アイヌ語では「ムケカシ」というそうで、アイヌの人はこの根を焼いたり煮て食べたそうで、産後の血の道にも薬効があるんだとか。







これは海「エゾフウロ(蝦夷風露)」かな。岸や原野、原生花園などに生え、草丈は30〜80センチほどで茎の先端に花がつき、花弁が5枚ある淡紫色の花を7〜8月に咲かせます。原産地は日本。北海道から本州中部以北に生えるそうです。







う〜ん、これは「アカツメクサ」でしょうか? アカツメクサは今では各地で野生化していますが、元々は鶏やウサギなどの牧草としてヨーロッパから導入されたもの。一般的に「赤クローバー」と呼ばれていますが、そういえば「週末ヒロイン ももいろクローバーZ」なんていう4人組ガールズユニットもあったな〜。







ノッカマップ岬で灯台を眺めたら再び道35を進んで納沙布岬を目指しますが、しかし、納沙布岬への道は車の通行量が少ないです。思い出したかのようにたまに車とすれ違いますが、ほとんどこんな状態。でも、岬を目指すバイクとは結構すれ違います。

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