ガソリン給油量 9.05L | 給油回数4回 | ガソリン代 1590円 | 総走行距離 277.4km / ダート走行距離 80.6 km | トップへもどる |
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おはようございます! 現在時刻は午前6時、中標津の三洋旅館で迎えた北海道林道探索ツーリング11日目の朝です。ガラリと開け放った外の天気は若干曇り気味でしたが、昼間になれば晴れてくるはずなので、今日の天気に問題なし!
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午前7時、女将さんの「朝食ができましたよ〜」の声と共に運ばれてきた朝食です。宿泊料が格安なので決して豪華なメニューではありませんが、それでも郷土料理が献立に加えられているなど、献立にも精一杯のもてなしが感じられて好印象! おーし、林道探索に備えてガッツリ食べておかなくっちゃな! というわけで三洋旅館の朝の献立は次の通り。ニシンの切込み・ポテトサラダ・タマゴ焼き・焼き魚(タラのみりん干し)・味付けノリ・白いご飯・味噌汁 |
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テレビで朝のニュースを眺めながら朝食を食べますが、そういえば今日は8月6日。広島に原爆が落とされた日ですが、こうして林道探索できる平和のありがたさを噛みしめつつ、本日の予定を再確認します。 大まかな予定としては、まずは「中標津町」の「養老牛温泉」へと向かい、そこから虹別林道を通り抜けて「弟子屈町」の「屈斜路湖」に移動。そこから屈斜路湖半林道を探索して「陸別町」へと向かう予定なんだよな! なお、中標津までやってきたら、その後は「知床」を目指すのが一般的なのかもしれませんが、知床には別に興味はないのでそちらには向かいませんよっと・・・。 |
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朝食を済ませ、1泊2食の宿泊料金4100円を支払ったら中標津の三洋旅館を出発。まずは虹別林道を訪れるべく養老牛温泉へと向かいますが、その手前で北海道ツーリングライダーの聖地「開陽台」のそばを通るので、せっかくなので虹別林道に向かう前にちょっと立ち寄っておくことにします。 中標津の町には道が碁盤の目状態に張り巡らされているため、開陽台までの行き方のルートは様々ですが、一番分かりやすいのは、中標津町「緑町北1丁目」から町道28線をひたすら直線で進んでいくルート。 宿の前の交差点から道13を進んで中標津の町外れでR212に入り、釧路方向に進むとすぐに中標津町「緑町北1丁目」でセブン中標津緑町店が現れます。セブンの目の前は町道28線との交差点になっているので、町道28線へと右折する前に、もう一度ルートを確認するためセブンに立ち寄ったというわけです。 |
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セブンのある交差点を右折して町道28線に入ったら、その後は10キロにもおよぶストレートをひたすら突き進むだけ。その後、町道は道833、道775、道15の順で道道を十字路交差点で横切っていきますが、ひたすら直進です。
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やがてコンビニ脇の交差点から10キロほど進むと町道は右にカーブしますが、カーブの少し先で左折している開陽台への入口が現れます。その後は高台の上にある坂道を登っていけば到着しますが、道は登りと下りの一方通行になっているので注意! ここではそれを知らずに一方通行標識に戸惑っているライダーをよく見かけます。
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標高250mほどの開陽台の駐車場に到着しました。訪れる観光客の姿もなくて、駐車場からでも十分に見晴らしは良いですが、展望台があるので登ってみます。
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駐車場のすぐ先にある「開陽台展望館」ですが、開館時間は午前9時とのこと。展望台に併設された売店や軽食コーナーはオープン前でしたが、2階にある展望台は24時間開放されているみたいです。しかし、時間がまだ早かったためか、そこにいたのは車でやってきたオッサン1人だけで、それ以外には誰もいませんでしたけど。
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展望台から眺めた北西方向の眺めです。中央に一段と高くそびえているのは、中標津町と「標津町」にまたがる武佐岳(むさだけ / 1005.2m)」。画像左端には「クテクンベツ岳」やら「ソーキップ岳」が位置しているらしいですが、登山を嗜まぬ当方にとってはどれも聞いたことがないマニアックな山ばかり。
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こちらは北東方向の眺め。観光船の沈没で話題となった「知床半島」がある方向で、遥か先には羅臼(画像左端)と国後島(画像右端)が位置しているはずですが、厚い雲で確認できません。展望台からの見晴らしは確かに素晴らしいのですが、しかし、快晴に恵まれないと遥か彼方の先まではよく見えないみたいだな〜。
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次に展望台の東を眺めてみます。こちらは標津(画像左端)と根室、別海(画像右端)のある方向で、地平線の彼方には昨日訪れた野付半島や納沙布岬、そして中標津空港がありますが、地平線の先は霞んでいて全然見えていませんね。
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続いて南方向を眺めてみますが、こちらには中標津の市街地と釧路方向の景色が広がっています。しかし、視界に映るのはどこまでも続く地平線だけ。当たり前ですが、遥か彼方の中標津や釧路の町並みは見えていませんでした。
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最後に西方向を眺めてみますが、こちらには画像左端から画像右端へと順に、カンジウシ山、雄阿寒岳、雌阿寒岳、西別岳、摩周岳(カムイヌプリ)、温泉富士、シタバヌプリ、養老牛岳、西竹山などの山々があるとのこと。かすかにそれらの頂が見えていましたが、しかし、曇り空で個々の区別はほとんどつかなかったです。
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そして眼下には北海道のツーリングライダー憧れの聖地「ウシ空のキャンプ場」が見えています。無料で利用できますが、オートキャンプは不可。もうすでに皆さん出発したのか、訪れた時には出発準備をするライダーが数人残っているだけだったな。
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乳牛の像 | ||
開陽台の名称は故尾崎豊中標津町長が命名し昭和36(1961)年に開陽台乳牛育成牧場を建設し 以来多くのホルスタイン牛が育ち酪農振興に大きく寄与した 酪農郷と牧場を一望するこの丘に牛群への感謝の意をこめこの像を建立した 昭和62(1987)年11月12日 開陽台乳牛の像建設委員会 |
開陽台のある中標津町は牛乳の道内第2位の生産量を誇る酪農の町で、人口2万3000人に対して乳牛の数はおよそ4万頭。 人よりも牛の方が多い町ですが、中標津に開拓が始まったのは1911(明治18)年のこと。開拓者たちは連年にわたる冷害で塗炭の苦しみを味わいますが、1931(昭和8)年の「根釧原野農業開発五ヶ年計画」によって、それまでの穀物主体の農業から、現在の中標津町の基幹産業である酪農へと変換が図られたんだよな。 あー、それから、言うまでもありませんが、説明板に記されている「尾崎豊」さんというのは、中標津町の町議および町長を務めて中標津空港誘致に尽力し、町の礎を築いた人物です。同姓同名ですが、有名なあのシンガーソングライターではないですよ。 |
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北海道ツーリングライダーお約束の開陽台を後にして、道150→道505と乗り継いで養老牛温泉までやってきました。地元アイヌの古老の話では、温泉の歴史は古くて、400年以上も前からアイヌの人たちによって発見、利用されていた古湯なのだそうです。 その後、大正時代になって旅館ができ、昭和になると花見客やスキー客で大いに賑わったそうで、最盛期には7軒もの旅館が立ち並んでいたんだとか。 |
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最盛期の頃の養老牛温泉では「男はつらいよ 夜霧にむせぶ寅次郎」のロケも行われ、温泉街には売店やスナックまであったそうですが、多くあった旅館も廃業の嵐で今はほぼ全滅状態。新型コロナの影響もあり、無残なまでに寂れまくっています。 ちなみにこの建物は廃業した「藤や旅館」。予約の電話をかけても一向につながらないのでおかしいと思っていたのですが、現地に訪れてみて納得。すでに廃業していたんだよな・・・。なお、養老牛温泉には無料露天の「からまつの湯」がありますが、そこも火傷によるトホホな死亡事故が発生して今は立ち入り禁止になっているし。 そんなわけで現在、養老牛温泉には旅館が1軒あるだけですが、しかし、そこは残念なことにオフシーズン以外はお1人様お断りで、なおかつ1名1泊2万円以上(!)も取る恐ろしく強気なカン違い旅館なので、温泉を愛するツーリングライダーが気軽に宿泊できる温泉地ではなくなっているのが養老牛温泉の悲しい現状です。 |
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養老牛温泉を後にして道505沿いにある虹別林道の入口を目指しますが、途中でパウシベツ林道の入口を発見! 地理院地図によれば、標津川の支流「パウシュベツ川」伝いに「シタバヌプリ山(602.7m)」の中腹を横切って山中深く分け入るピストンらしいですが、せっかくなので立ち寄ってみます。
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といっても道道からの入口に林道標は立っておらず、この時点ではダートが「林道」であるかも不明な状態。すぐにパウシュベツ川の支流「シタバノボリ川」を跨ぐ橋が現れて、緩くカーブしたダートは橋を渡ってそのまま森の奥へと延びていましたが、快適ダートに誘われて構わず前進しちゃいます。
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やがて林道ゲートが出現します。嬉しいことにゲートは開放されており、その先にはまったく惚れぼれとしてしまうストレートが延びていましたが、しかし、ゲート地点まで進んできても林道標は設置されていません。「名無し系だったら時間の無駄になるな」と、疑心暗鬼になりつつ進んでいくと・・・?
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