ガソリン給油量 8.4L | 給油回数3回 | ガソリン代 1478円 | 総走行距離 269.1km / ダート走行距離 64.4 km | トップへもどる |
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おはようございます! 北海道林道ツーリング8日目、今日は3連泊した釧路をいよいよ離れる日ですが、気になるのはやはり天気。目覚めと同時に天気予報をチェックしますが、日中は曇りとのこと。網走地方は快晴マークが広がっているというのに、根室地方はなぜか曇りでしたが、雨が降ることはなさそうなので一安心です。
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天気を確認したら朝食抜きで午前7時に出発しますが、大喜館では宿泊料金の精算受付は朝8以降になっています。それ以前に出発する場合は前日に精算する必要があるのですが、それを忘れてしまい、「なんじゃそりゃ?」と思いながらも頼み込んで3泊素泊まり料金(うち1泊は夕食付き)15730円を支払っていざ出発! 今日の予定としては、まずは釧路から海岸伝いに「釧路町」に点在するアイヌ語由来の超難読地名を訪れつつ「厚岸町」へと移動。その後は厚岸町の林道を探索しながら「浜中町」を通って「根室市」に入り、「温根沼」周辺の林道を攻めてから根室市内の宿に入る計画。移動距離はそれほど長くもありませんが、訪れたいスポットが多くて忙しない1日になりそうなので早めの出発というわけです。 |
アイヌ語由来地名コレクション No12 | 又飯時 / mataitoki [ 釧路郡釧路町 ] |
というわけで本日最初に訪れたのは、 道142を海岸伝いに釧路市から釧路町に入ってすぐの場所に位置する又飯時です。 又飯時は釧路町の海岸にある静かな漁村の集落名ですが、 釧路町に数多くみられるアイヌ語由来の難読地名の中でもとくに由来が謎になっているのがこの又飯時。 江戸時代の文献には「マタイトキ」とか「マタエトキ」と記されており、 地名を分解すると「マタ+イトキ」で「冬+先、前」という意味になるそうですが、 それだとなんのことだか意味が通らず、 今のところはっきりとした解釈ができない状態なのだそうです。 |
アイヌ語由来地名コレクション No13 | 地嵐別 / Cyarashibetsu [ 釧路郡釧路町 ] |
又飯時から海岸伝いに東に少し進んだところにある集落が地嵐別。 又飯時集落に隣接した地嵐別を訪れてみると、 廃屋と漁具小屋と舟が置かれているだけの場所になっていましたが、 「チャラシ」はアイヌ語で「チャラル(すべっている、すべりおりてくる)」の意味で、 「シベツ」は「本流の水上」を意味するところから、 地嵐別の由来はアイヌ語で「岩の上を散らばりながら流れる川」という意味らしいです。 付近には地名が指すところの川など見かけなかったようにも思いますが、 昔はそのような川があったのかもしれません。 |
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釧路町の海岸に位置する「又飯時」から浜辺伝いに「地嵐別」へと続く砂利道です。すぐ前方で道は行き止まりになっていて、ここが地嵐別のはずですが、気になる物はとくになにもありません。漁師さんとか人の姿も全く見かけませんでした。 又飯時にしろ地嵐別にせよ、地名的には超難読で興味深いですが、なにかアイヌ的なものを求めて訪れてみても、そこにあるのは地図上に残るアイヌ語由来の地名だけ。実際には海辺の淋しい鄙びた漁村とか小さな港があるだけだったりします。 |
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地嵐別を後にして道142に戻ったら、次は「宿徳内」を訪ねてみます。この集落も道道から坂道を下った海辺の小さな漁村でしたが、「しゅくとくない」と読み、難読度はさほど高くもないですがで、やはりアイヌ語由来の地名。 アイヌ語の「シュクト+ウシ+ナイ」で「エゾネギ(アサツキ)+生えている+沢」の意味で、エゾネギが多く生えている沢を現しているそうです。 |
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徳宿内の道端で見かけた昆布満載の軽トラ。漁場と作業場の間をピストン往復で昆布を運んでいるようでした。釧路市から釧路町、厚岸町にかけての海岸はほとんどが昆布の漁場になっていて、今はちょうど忙しい漁の最盛期らしかったです。
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アイヌ語由来地名コレクション No14 | 嬰寄別 / Acchorobetsu [ 釧路郡釧路町 ] |
嬰寄別と書いて「あっちょろべつ」と読ませるなかなか難読な地名です。 アイヌ語で「アッ+ホロ+ペッ」で「オヒョウニレ(ニレ科の落葉高木)の繊維+水に漬ける+川」の意味で、 つまり、オヒョウニレの皮を漬けておく川という意味らしいです。 海岸に面した嬰寄別の集落はどこもかしこも昆布干し場だらけで、 その中を流れる小さな沢の流れがありましたが、 地名が意味するところの「オヒョウニレの皮を漬けておく川」というのはそこのこと? |
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嬰寄別を後にして道142に戻ったら「昆布森」を通り過ぎて東に移動、道道から海岸へと降りていく町道を通って「伏古(ふしこ)」の集落を訪れてみます。九十九折りの急坂で浜へと降りていく道すがらに民家が点在し、岬の陰に位置する小さな美しい漁村でしたが、伏古はアイヌ語で「古い村」を意味するそうです。
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ひっそりとして静かな伏古の集落を最奥まで進んでみますが、道は岬の断崖の麓で行き止まり。漁具倉庫らしき古いトタン小屋が立ち並び、漁に使う小さな舟が何艘も浜に引き上げられて置かれていましたが、特になにもないのすぐに引き返します。
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伏古の美しい漁村風景を眺めたら次は超難読な「来人臥」を訪れますが、ここはその入口。無料の「キトウシ(来人臥)野営場」があるので、利用したことのあるライダーもいると思います。野営場は道道から砂利ダートを700mほど進んだ場所にありますが、それにしても来人臥を「きとうし」と読ませるなんて絶対にわからねーし。
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アイヌ語由来地名コレクション No15 | 来人臥 / Kitoushi [ 釧路郡釧路町 ] |
来人臥はアイヌ語の「キト+ウシ」で「ギョウジャニンニク+群生する」を意味する海岸集落の地名で、 直訳して「行者ニンニクが多く生えているところ」という意味。 集落は三方を山や崖に囲まれた砂浜になっていて、 暖かい南風を受けて釧路町の昆布森沿岸でじゃ最も早く春が訪れる場所だったそうです。 目の前の海は潮流があまり強くなくて、 昔から良好な漁場として鮭の定置網が設置されてきたといいます。 かつて集落があったのはここから海辺に下って行った場所ですが、 集落そのものはとうに廃村されてしまった模様。 現在は太平洋を一望できる高台の上に野営場があるだけの場所になっています。 |
アイヌ語由来地名コレクション No16 | 十町瀬 / Tomachise [ 釧路郡釧路町 ] |
続いて道142を東に向かって十町瀬を訪れてみますが、 十町瀬はアイヌ語の「トマ+チエ+ヌ」で「エンゴサク(薬草となる多年草)+我々が食う+野」という意味。 でも強引に漢字を当てた地名なので、 十町瀬という漢字そのものにはなんの意味もないそうです。 エンゴサクの塊茎は食糧としてアイヌの人々に重宝されたそうですが、 しかし、「エンゴサク」と「野」の間に「我々が食う」という言葉が入ると意味が通じず、 どうしてこのような地名となったのかについては不明。 十町瀬に和人が移住してきたのは1870(明治3)年で、 その後、明治時代の頃にはこの集落に定住する漁民が1、2戸あったそうですが、 現在、道道から海辺の十町瀬集落への道は藪にまみれて廃道状態・・・。 集落そのものはとっくに廃村化しています。 |
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十町瀬から「浦雲泊」に向かう道端で見かけた「キタキツネ」の親子。「子供になにか食べ物いただけませんか」と懇願するような上目使いでこちらを見つめてきますが、なにも貰えないとわかった瞬間の母ギツネの瞳がなんだか悲しげ・・・。 尻尾も縮れて痩せこけた姿の貧相なキタキツネでしたが、たぶんこれは夏毛のせい。冬毛に生え変わればフサフサな元の姿に戻ると思います。 北海道をツーリングしているとキタキツネをよく見かけますが、エサを与えることはもちろん、発症までの潜伏期間がとても長いエキノコックスが怖いので、可愛いからといって手で触れたりするのは絶対にダメ! |
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海辺の静かな漁村、浦雲泊集落にやってきました。浦雲泊は浜辺伝いに横幅1キロほどで細長く延びる集落で、ここでも昆布を干しているのを見かけたな〜。
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アイヌ語由来地名コレクション No17 | 浦雲泊 / Pontomari [ 釧路郡釧路町 ] |
「浦」を「ぽん」と読ませるなど、 釧路町の海岸にあるかなり強引な当て字がなされた超難読なアイヌ語由来の地名。 アイヌ語の「ポン+トマリ」で「小さい+停泊する港」という意味ですが、 直訳すると「舟がかりができる小さな入江」という意味。 しかし、浦雲泊を実際に訪れてみると舟が停泊できるような岸壁のある漁港はなくて、 集落の端には小舟が無数に陸揚げされていました。 |
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続いて東に移動して今度は「跡永賀」を訪れてみました。跡永賀は道142から海岸に向かって谷間の坂道を2キロ近く下っていった先にある小さな海辺の漁村。かつて釧路村(現釧路町)だった頃は、この辺りの海岸では中心だった集落で、40年前には「跡永賀小学校」もありましたが、小学校は1980(昭和55)年に廃校されています。 そんな跡永賀集落は寂れまくっているのかと思いきや、集落の民家は真新しくてどこか北欧の漁村を思わせる雰囲気。静かな美しい集落でしたが、浦雲泊と同様に漁港はなくて、浜には漁に使う小舟が何艘も陸揚げられた状態で置かれていました。 |
アイヌ語由来地名コレクション No18 | 跡永賀 / Atoeka [ 釧路郡釧路町 ] |
真新しいきれいな民家が立っていた跡永賀の集落ですが、 アイヌ語で「アトイ+カ」で「海+上」、 もしくは「アトイ+オカ」で「海+跡」を意味するという2つの説があるそうです。 直訳するとそれぞれ「海の上、海の表面」、「昔は海であったところ」であり、 海だったところが砂で埋められて村ができたということらしいです。 江戸時代末期から明治時代にかけての探検家「松浦武四郎」が跡永賀を訪れた時には、 2軒のアイヌ民家があったと「武四郎廻浦日記」に記されているそうです。 |
アイヌ語由来地名コレクション No19 | 冬窓床 / Buima [ 釧路郡釧路町 ] |
続いて跡永賀から海岸伝いに東に650mほど進んだ地点にある冬窓床ですが、 これ、絶対に「ぶいま」とは読めませんね。 跡永賀から南東の海岸の岬に「ローソク岩」がありますが、 そのローソク岩には昔は穴があったため、 岬の陰を「ブユモイ(穴のある入江)」と呼んでいたのがおそらく地名の由来。 明治期には漁民6戸があったそうですが、 現在は崖崩れの危険があるため全ての民家が移転して無人になっているそうです。 地図上には今でも冬窓床集落までの道が記されていますが、 まともに通れる状況ではなかったような気が・・・。 |
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集落跡まで行くことができなかった冬窓床を後にしたら次は「初無敵(そんてき)」に向かいます。かつて海辺にあった集落で、道道から集落へと下っていく道筋がありましたが、もはやまともに通ることはできない状況。終戦頃までは人が住んでいたらしいですが、現在は廃村になっています。
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アイヌ語由来地名コレクション No20 | 初無敵 / Sonteki [ 釧路郡釧路町 ] |
初無敵と書いて「そんてき」と読ませますが、 もはやまともに読むことはできない超強引な当て字のアイヌ語由来の地名です。 江戸時代の文献には「ソントキ」「ソンテキ」、 「ソンデキ」「ションテキ」などと書かれていて「滝がある岬」とする説や、 アイヌ語で「ト+ウン+テク(沼であるような)」で「海の静かなところ」とする説もあるみたいですが、 地名の意味はよく分かっていないそうです。 |
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続いて「入境学(にこまない)」の漁村を訪れてみますが、集落の外れに村を見下ろす高台があったので登ってみました。入境学集落の家並みと昆布森方向の海岸線が一望に見渡せる景色の素晴らしい場所でしたが、観光客はまずやって来ない穴場的なビュースポットなので、機会があればぜひ!
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アイヌ語由来地名コレクション No21 | 入境学 / Nikomanai [ 釧路郡釧路町 ] |
「にこまない」とは絶対に読むことができないふざけた当て字の入境学です。 民家も多くて広い集落ですが、 ここは集落の外れからズルズルな砂利道を下った先にあった舟の引き揚げ場。 入境学は元々は「ニオッケオマナイ」と言ったそうで、 その意味はアイヌ語で「ニオッケ(木の桶)+オマ(ある)+ナイ(沢)」とのことで、 昔、この場所に木の桶が流れ着いたことから名付けられた地名だそうです。 しかし、木の桶が流れ着いただけでそれが地名になってしまうなんて・・・。 |
アイヌ語由来地名コレクション No22 | 賤夫向 / Sekineppu [ 釧路郡釧路町 ] |
すぐ脇にセキネップ林道の入口がある「セキネップ展望広場」から東に少し進んだ賤夫向ですが、 どうしてそれを「せきねっぷ」と読まなければいけないのか悩みます。 江戸時代の文献には「セフヌンケ」とか「セツフヌケツフ」と記されており、 アイヌ語で「石が落ちるところ」や「魚が下るところ」を意味し、 要するにアイヌ語で「魚が川を下るように小石が崩れ落ちるところ」を意味する地名なんだとか。 現在は大規模な山崩れがきっかけで海辺から高台に移転した民家が1軒あるだけですが、 和人が住み始めたのは1897(明治30)年代のことらしいです。 |
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