2024 絶海の孤島「利島」林道探索 弾丸ツーリング 5月11日(土)晴れ 林道探索の書 〜今日もどこかで林道ざんまい〜 
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その後、脇道から利島一周道路に復帰したら前進再開。利島南部に向かって南下しますが、進むこと僅か150mで斜め右へと下っていく分岐が現れます。利島一周道路は道なりの左方向に続きますが、右側は星空観察で観光客に人気がある「南ヶ山園地」に向かう村道になっています。

ちなみにここは道なりの左方向に利島一周道路を進んでも、もしくは右折して南ヶ山園方向に進んでも行き着く先は一緒。右折する村道は南ヶ山園地を経由しておよそ1.5km先で再び利島一周道路に合流しますが、利島一周道路を進むと500m先で右手から南ヶ山園地を経由してきた村道が合流してきます。
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右手が南ヶ山園地方向であることを示す道標。よく眺めると文字板の上には利島の花に指定されている「サクユリ」のイラストも掲げられていました。というわけでここは右折して南ヶ山園に向かいますが、実はこの地点は・・・。







宮塚山の北側斜面を東西に横切る宮沢林道の、西側の出口から極めて近い場所に位置しています。画像では手前から前方が利島一周道路(都228)で、WRが頭をのぞかせているのが宮沢林道方向、そして林道出口から20mほど先が現在地、すなわち南ヶ山園地への右折分岐がある地点なんですね。

しかし、島内の案内板や道標には宮沢林道についての記載は皆無です。したがってこの時は南ヶ山園地への右折分岐のまさか直前に、宮沢林道の西側出口があることには全く気付いていなかったぜぇ。ちなみに画像は翌日の宮沢林道探索時のもの。







利島一周道をから右に折れて南ヶ山園地を目指して進んでいきますが、緩やかな下り坂が続く村道はご覧の通り、シイやタブが密生して生茂る樹木のトンネル状態でかなり鬱蒼とした雰囲気。いかにも伊豆諸島の島らしい森の景色が続きました。







神社発見! その後、鬱蒼とした常緑樹の森の中を進んでいくと、昼なお暗い森の斜面を登る石段と鳥居が現れました。利島には7つの神社があるそうですが、ここはそのうちの1つ「阿豆佐和気命(あずさわけのみこと)神社」の本宮らしいです。







神社の祭神は「事代主命(ことしろぬしのみこと)」の息子である阿豆佐和気命で、神社のデータベースである古文書の「神社明細帳」によれば、ここ利島はその阿豆佐和気命によって創られたとされているそうですよ。







東京都指定史跡 利島阿豆佐和気命本宮境域
所在地 / 利島村南御神山  指定 / 昭和62(1987)年2月24日
島の中央に屹立する宮塚山(標高507.5m)の南麓にある二つの神社のうち、
西側の面登山口にあるのが阿豆佐和気命神社本宮、東側が大山小山神社、
そして東麓の裏参道にあるのが上下神社です。

現在集落の西にある阿豆佐和気命神社は、参詣に不便なため、
またこの集落の鎮護のためここへ遷宮されました。御神体は宮塚山そのものです。

阿豆佐和気命神社本宮は、一番神社とも呼ばれ、
小祠の後方には阿豆佐和気命(事代主命の子)の墳墓との伝承をもつ積石遺構があります。
のちにこれは中・近世の祭祀遺構であることが判明しました。

大山小山神社の祭神は、大と海を支配する大山祇命(伊邪那岐命の子)で、
二番神または山神様と呼ばれています。
下上神社の祭神は下上御方(阿豆佐和気命の妃)で三番神であり
下山した者が安全無事であったお礼に参拝する習わしがあります。
島民の信仰の歴史を知る上で、重要な史跡です。

平成23(2011)年3月建設 東京都教育委員会
へぇ〜、なるほど、この神社は別名「一番神様」というらしいな。利島では正月の三が日にお米と酒を持って島内の神社を順に参拝する「山廻り」という行事がありますが、その時に一番最初に参詣するのが阿豆佐和気命神社。そういうわけで一番神様と呼ぶらのですが、それにしても宮塚山が御神体そのものだったとは!







これが島民の篤い信仰をうける由緒ある阿豆佐和気命神社本宮の参道ですが、緑色に苔むしてひたすら登っていく急角度の石段といい、昼なお暗い鬱蒼としたの森の雰囲気といい、また、訪れる人も滅多にいないのか、荒れているわけではないのですが、なかなか凄みのある雰囲気が漂っていました。

当初はこの阿豆佐和気命神社本宮も含めて島内全ての神社を巡ってやろうと思っていたのですが、その1ヶ所目にして挫折。なぜって、当日は快晴だったので気温も高く、おかげで風通しの悪い神社の森は蒸し暑くて汗ばむ状況だったんですね。なのでこの石段を登る気がどうしても起きなかったぜぇ・・・。







阿豆佐和気命神社本宮の参道入口を後にして前進再開しますが、南ヶ山園地は目と鼻の先でした。すぐに道沿いに細長く続く芝生が現れましたが、ここが晴れた日の夜には星空が眺められ、そして昼間は伊豆諸島の海が見渡せる利島の人気観光スポットの南ヶ山園地らしいです。しかし、訪れた時は誰もいなかったです。
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南ヶ山園地には車の駐車スペースや東屋、ベンチなどはなくて芝生が広がっているだけですが、ここは利島を一周するコースの途中にあり、見晴らし台からは利島の南に式根島や新島、神津島がよく見えており、お弁当を持って島内ピクニック、風景鑑賞、自然観察などで訪れるにはちょうどいい場所。

ただし、芝生には日陰がないので、訪れる時は時季を考慮しないと、夏はギラギラな直射日光で汗ツユだく状態で熱中症になっちゃいますよ〜。もちろん、自販機や水飲み場なんてないので、歩きや自転車の場合は飲み物持参は必須!







南ヶ山園地の片隅にある見晴らし台。園地は利島の南端に位置しているので、ここからは利島の南に浮かぶ鵜渡根島をはじめとして式根島や新島、神津島がよく見えており、快晴に恵まれれば最高の清々しさが味わえると思います。

なんでも利島村では、この南ヶ山園地にバンガローやトレーラーハウスで宿泊施設を作ろうという計画もあったみたいですが、しかし、水道や電気、排水などをどうするかといった諸問題から立ち消えになったとか・・・。







おお、素晴らしい眺めです! 眺めているのは利島から真南方向で、およそ4km先には鵜渡根島が、9km先には新島、そして20km先の式根島、さらには32km離れた神津島までもが見えているじゃないですか!

利島を紹介するウェブサイトやブログには必ず紹介されている南ヶ山園地ですが、確かに集落から坂道をトボトボ歩いてでも訪れるだけの価値はありますなぁ! 澄みきった海の青さがマジ最高に美しいです。ここは!







あー、それから見晴らし台の片隅には「富士箱根伊豆国立公園」と記された案内の石板がありました。南ヶ山園地から望める島々の位置関係が記されていますが、石板は風雨にさらされ続けて劣化した状態。内容はほとんど判読不可でした。







今度はズームで鵜渡根島(手前)と新島(奥)を眺めてみますが、しっかし、本当に海の色がきれいだな〜。利島、一生に一度は訪れる価値がありますよぉ。







南ヶ山園地の見晴台のすぐ右手にある「南ヶ山貯水池」です。現在、利島を訪れる観光客がそれを実感することはまずないですが、一昔前の利島は伊豆諸島の中でも本当に水に苦労してきた島なんだよな〜。

伊豆諸島の島々では水が豊かな神津島や新島、八丈島以外の島々では、昔から干ばつ期になると飲み水に困ることが度々あったのですが、1800(寛政12)年に三島勘左衛門さんが記した「伊豆七島風土細覧」によると、「利島と式根島では干ばつの時に毎日漁船で新島まで真水をもらいに通って一日に2往復も3往復もした」そうです。

昭和の時代になっても利島の水事情は相変わらず悪く、1947(昭和22)年には60日間も雨が降らず、大島、新島、式根島、神津島から漁船で生活用水を運び、1955(昭和30)年には海上自衛隊の護衛艦「わかば」によって給水が行われています。

そして利島村では1963(昭和38)年にようやく水道工事に着手。1976(昭和51)年に南ヶ山第一貯水池が、1980(昭和55)年に第二貯水池が完成して完全給水が実現し、今は2ヶ月間雨が降らなくても困らない給水体制になってるそうですよ。







再び見晴らし台から最大望遠で神津島を眺めてみますが、ここ利島南端に位置する南ヶ山園地から神津島北端までの距離は32km。さすがに島影は小さいですが、それでもテーブルマウンテンのような台形をした天上山がちゃんと確認できました。







南ヶ山園地の見晴らし台からは海がよく見えていますが、視線を下に落とすとそこには斜面を覆い尽くす常緑広葉樹の森が広がっています。







続いて海の反対側、すなわち見晴らし台から北側を向いて宮塚山を見上げるように眺めてみますが、ここからだと山頂は見えないみたいだな。淡い緑色から濃い緑色、そして黄緑色など、様々な緑色が凝縮された急斜面の森が見えているだけでした。







南ヶ山園を出発したら引き続き村道を進んで利島一周道路に戻るのですが、利島一周道路に復帰する前に、地図を眺めて気になっていた地点に向かいます。

地理院地図で利島を眺めてみると、南ヶ山園地の脇から斜面を一気に下ってさらに島の南端へと向かう、長さ450mほどで行き止まりとなる道筋が記されているのが確認できますが、その行き着く先になにがあるのか気になって仕方なかったんですね。

というわけで南ヶ山園地の傍から開始する急な坂道を下って行きますが、道すがらにはヤブツバキ林が広がっていたところを見ると、ここはヤブツバキ林の手入れや、椿実の収穫運搬のために軽トラが通る農道くさかったです。







道すがらに広がっているヤブツバキ林です。島の南端部に高さが200mにもおよぶ海食崖の凄まじい断崖が連なっているのは利島到着直前に船上から眺めた通りですが、島の南端に位置する南ヶ山園地のさらに南側、すなわち南ヶ山園地から断崖までの僅かな斜面にもこのようにヤブツバキが植林されていたんですね。

ちなみにヤブツバキの人工林は毎年きちんと管理しないとすぐに雑草や雑木が茂ってしまうのですが、利島では近年、椿油生産の衰退などで放置、放棄されて荒れ放題になったり雑木まみれのヤブツバキ林が目立ちはじめているそうです。

その主な原因は椿産業従事者の高齢化と、経済的な理由による若年層の島民の「ツバキ離れ」。それに対して農業従事者、漁業従事者の業種による垣根や、島民、島外からの移住者といった立場を越えた椿産業への新規参入者が望まれるのですが、それを大きく妨げているのは、実は利島の深刻な住宅不足だったりします。

島外からの移住者が放置、放棄されているヤブツバキ林を借り受けられたとしても、しかし、住む家がなけりゃあ、どうしようもねーし。







世間一般的には椿の島として知られている利島ですが、参考までに島の植生を示しておくとこんな感じです。

1ヤブツバキ植林  2マサキ-トベラ群集  3オオシマカンスゲ-スダジイ群集  4スダジイ二次林  5タブノキ-ヤブニッケイ二次林
6イソギク-ハチジョウススキ群集  7スギ・ヒノキ・サワラ植林
8オオバエゴノキ-オオシマザクラ群集  9緑の多い住宅地  10市街地
11クロマツ植林  12常緑果樹園  13造成地  14畑雑草群落  15メダケ群落
16自然裸地  17オオバヤシャブシ群落  18残存・植栽樹群をもった公園、墓地など

利島はツバキ産業の島ということで、ヤブツバキ林(1)の植林が島の大部分を圧倒的な広さで占めているのがこれでよく分かりますね。

また、利島の貴重な自然林としては宮塚山周辺のスダジイの二次林(4)や、南ヶ山園地周辺のオオシマカンスゲ-スダジイ群集(3)、島の南部の断崖沿いに分布するマサキ-トベラ群集(2)などがありますが、島内を散策していて道すがらに身近に眺めれれるのは(3)と(4)くらいかな。







南ヶ山園地の脇からヤブツバキ林の中を下って進んでいきますが、最終的にたどり着いたのは小さな回転場があるだけでなにもないこのような場所。

なにもないこのような場所へとなぜ道が延びているのか「?」かもしれませんが、改めて植生図を眺めてみると、利島のヤブツバキ植林の大部分は島の北部に集中しているものの、島の南部、高さ200mにもおよぶ海食崖の断崖上にも僅かながらにヤブツバキの植林が切り開かれているのが確認できます。

つまり、ここはツバキ植林のための農道的役割を担う道だったんですね。したがって道が通う利島の最南端地点でありながら、展望台も設けられておらず一般観光客が訪れることはまずない場所になっているんだよな〜。
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そして終点の回転場ではモノラックを発見! 銀色に輝くモノラックのレールがササ藪の茂る常緑樹の鬱蒼とした森の中を、断崖のきわにあるヤブツバキ林に向かって下っていましたが、どうやらここは車両の回転場であると同時に、収穫した椿果をモノラックから軽トラに積み替える搬出場にもなっているみたいだな。







しかし、ここにはモノラック以外には本当になにもなかったな。周囲は鬱蒼とした樹林に囲まれて眺望は全く効かず見るべき物は皆無。路肩の藪に成長し過ぎた野生のアシタバが雑草のように茂っているのを見かけたくらいでした。

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