ガソリン給油量 10.9L | 給油回数4回 | ガソリン代 1918円 | 総走行距離 296.2 km / ダート走行距離 58.9 km | トップへもどる |
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宇津々和訓辺線林道に突入すると、すぐに鬱蒼とした森の中を登坂していく登り坂が開始しました。分岐地点からぱっと見した限りでは、ダートに廃れた雰囲気も感じられたのですが、実際に立ち入ってみると思いも寄らずマトモ状態。道すがらの森が放つ鬱蒼とした趣は否めませんが、案外順調に進めてしまいます。
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林道ゲート出現! 入線直後に開始する勾配を登坂していくと、やがて鋼鉄製の屈強なゲートが現れました。探索時にはオープンされていましたが、運悪く閉じられていた場合は強◯突◯の物理的にまずもって無理。その時は潔く身を引きましょう。
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屈強ゲートを通過してなおも登坂していきますが、はて、見過ごしたかな? 実は宇津々和訓辺線林道に入って0.8kmほど進むと、そこに宇津本流分岐支線林道の右折分岐が存在しているはずなのですが、途中それらしき分岐はなかったような気が・・・。 ちなみに宇津本流分岐支線林道は地理院地図にも道筋が記載されている延長1000mの極端ピストンです。もちろん、うかつにも見過ごしてしまった可能性も否めませんが、放置が続いて廃道化してしまい、よくある話として、探索時には藪に埋もれた分岐に気がつかなかっただけかもしれませんなぁ。 |
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宇津本流分岐支線林道の分岐を確認できぬまま、さらに宇津々和訓辺線林道を進んでいくと、やがてダートは樹林を抜け出して峠のようになった見晴らし良好な区間に差し掛かります。そこには土場があって古ぼけた木材が筏状に積まれて放置されてましたが、しかし、この土場はもう久しく使われていないようでした。
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土場を過ぎるとやがて宇津々和訓辺線林道の最高所地点、すなわち標高271m地点を通過しますが、ここは路肩の樹林が途切れて連なる山々の稜線が見渡せる宇津々和訓辺線林道随一のビューポイント。山々の汚れなき澄んだ空気が存分に味わえる区間であり、それはもう最高に清々しい気分になれること間違いなし!
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おお、どこまでも果てしなく連なる山々の夏の緑が美しいな! 蒸し暑くて不快指数がやたら高い本州の夏の山とは異なり、北海道の山の空気は湿度も低くてすこぶる爽やかですが、眺めているのは紋別市と興部町、滝上町の境界付近に位置する鬱岳方向かな。しかし、景色が広大過ぎて鬱岳の山頂は見えていませんでした。
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やったぜぇ、1012林班林道発見! やがて急な左カーブの途中で右折(直進)していく1012林班林道の分岐を発見しましたが、この林道はその名の通り、網走西部森林管理署西紋別支署管轄内の1012林班内に延びる延長距離2060mのピストン林道。 ただし、残念ながら分岐直後に設置されたチェーンゲートによって立ち入りは拒まれており、ゲート脇からの◯行◯破も物理的に困難なのでそのつもりでね。 |
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なぜか2つも設置されていた1012林班林道を示す林道の証。そこには2060mという延長距離と、2012(平成24)年に開設された旨が記されています。
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ゲート封鎖されていた1012林班林道分岐を後にしてさらに宇津々和訓辺線林道のダートをたどって進みます。無名峠で山越えをして若干ラフなダートを、今度は上ウツツ川から南に山一つ隔てた「和訓辺左沢川」の原流域に向かって下っていきますが、ここで再び鋼鉄製の屈強な林道ゲートがオープン状態で現れました。 そしてなんと、屈強ゲートを通過する際に、宇津々和訓辺線林道を示す唯一の林道標が右路肩の藪の中に設置されているのを発見しました! |
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おお、やったぜぇ! 一時は残念な林道標未設置な林道なのかと危ぶまれましたが、ようやく拝謁できた宇津々和訓辺線林道を示す青塗り木板タイプの林道標です。なお、林道標には延長距離が3516mと記載されていますが、それは併用道ウツツ本流線接続地点からここまでの距離。つまり、宇津々和訓辺線林道はここが終点なんですね。 ここが宇津々和訓辺線林道の終点ならば、するとこれより先は何林道なのかが気になりますが、以降の区間は林道でなくて「併用道和訓辺原野線」となっています。ただし、併用道和訓辺原野線を示す併用道標はどこにも設置されていませんけどね。 |
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宇津々和訓辺線林道から(併)和訓辺原野線に乗り継いでさらに下っていきますが、現在地の標高はおよそ176m。山越え区間の最高地点が標高271mなので高低差95mを駆け下ってきたことになりますが、ここで右折ダート分岐が現れます。 しかし、右折分岐しているこのダートも厳密には「林道」ではなくて、実は「市道」になっています。なので林道標は設置されていませんでした。 |
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右折分岐している市道ダートの様子です。路面は若干草深かったですが、かといって滅茶苦茶に荒れているわけでもなく、夏草が背丈が高く茂ったワダチダートがその先に続いていましたが、この市道、実は密かに1.2km先で起点、終点共に行き止まりになった延長2940mの和訓辺右線林道に接続していたりします。 つまり、ここは紋別市の市道ダートでありながら、和訓辺左沢川の右岸に隔絶した状態で存在している和訓辺右線林道への唯一の連絡ダートになっているんですね。 |
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和訓辺右線林道へと至る連絡ダートの右折分岐を通り過ぎると、鬱蒼とした山腹の樹林地帯を抜け出して、やがて道すがらに連なる牧草地帯が現れてきます。ここまで鬱岳山腹の広大な森を巡る鬱蒼とした区間が続いた後なので、とにかく開放的な明るさをこれでもかと感じてしまいました。
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その後も和訓辺左沢川流域に開かれた牧草地や樹林の中を通過しながら、水平コースでいつしか極上フラットになっていた(併)和訓辺原野線のダートを、元気よく一騎駆けに駆け抜けていきますが、しかし、道766の入口からここまで1台の車はおろか、オフバイクとも途中ですれ違うことは全くなかったなぁ。
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そしてたどり着いた(併)和訓辺原野線の終点がここ、すなわちダートが終了して路面が舗装化する道804への接続地点です。場所は紋別市「上和訓辺」。しかし、集落が存在していたのは昭和の末期頃まで。現在、上和訓辺は廃村と化していて、探索時にはすぐそばに無住となった廃屋が残されているのを見かけました。
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上和訓辺の廃村がある道804への接続地点を振り返るとこんな感じ。路肩藪に埋もれて放棄された廃村家屋が見えているのですが、実はここ、(併)和訓辺原野線の終点であると同時に「併用道和訓辺左の沢線」の入口にもなっています。しかし、併用道標は設置されていないので、現地でそれに気付くことは難しいかと・・・。 ちなみに画像ではWRのすぐ左手にある分岐が(併)和訓辺左の沢線の入口で、延長距離2734mの併用道区間を進んでいくと、そのまま1本道で「和訓辺川」伝いに遡るピストンの和訓辺本流林道(延長距離1197m)に接続しています。 |
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路肩の藪に埋もれて残る廃村上和訓辺の放棄された家屋群です。上和訓辺集落のルーツは1912(明治45)年にまで遡り、最初は2戸の入植から始まったそうですが、1915(大正4)年には20戸ほどになり、人口が増えたことで集落には小学校(第三渚滑尋常小学校付属和訓辺特別教授場)も開校されています。
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廃村上和訓辺の廃屋を眺めつつ道804をR273に向かって前進中。道すがらに集落跡の痕跡がみてとれて淋しい限りですが、今は無住の地と化しているこの上和訓辺も、昭和初期にはハッカ栽培で大いに賑わったらしいです。 しかし、ハッカの栽培は次第に下火となり、酪農に転向する農家が増えると離農が相次ぎ、1976(昭和51)年には和訓辺小学校が廃校。そしてその後は過疎化による人口減少で集落は無人化し、お決まりコースで集落は廃村化したんだよな・・・。 |
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道すがらに見かけた廃村上和訓辺の放棄された民家。水色に塗られた外壁と縦長の窓をした木造2階建てですが、なんだか洋館っぽくてハイカラな感じ。道内各地に存在していた「駅逓」の建物っぽくもありますが、しかし、かつて上和訓辺に駅逓は存在していなかったらしいので、やはりただの民家跡くさいですね。
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その後、道804をひた走り紋別市「上渚滑町」の町中に入り、R243に合流する交差点で信号待ちです。神渚滑町は北海道ではよくある普通の田舎町ですが、ここはかつて国鉄渚滑線の途中駅「上渚滑駅」があった町。 上渚滑駅では朝の上り通学列車に増結作業が行われるほど乗客があったそうですが、しかし、渚滑線は1985(昭和60)年に廃止。今は鉄道が通らない町になっていますが、交差点の前にGSを発見したので即座に給油を決意。なお、交差点のすぐ右手にはセイコマ上渚滑店がありましたが、用はないで立ち寄りません。 |
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というわけで交差点の目の前で見つけたホクレン上渚滑給油所で給油します。ハイオクL / 179円で2.44L(437円)入りました。
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上渚滑で給油を終えたらR243を紋別市街地方向に2.6キロほど進み、紋別市「上渚滑町上東」で道553へと右折。その後8.5キロで今度は道305へと進み、道すがらに放牧場で草を喰む乳牛を眺めつつのんびり進み、次なる攻撃目標の支流の沢林道入口を目指しますが、まずはその目印となる「旧上藻別駅逓跡」に向かいます。
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モオォ〜。道道沿いの牧草地でのどかに草を喰み、あるいは木陰でけだるく座り込んでまどろむ乳牛たち。のどかな光景でしたが、しかし、路肩に立ち止まってじっと眺める当方と乳牛たちとの間でガンの付けあいになってしまいました。
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道305沿いにある旧上藻別駅逓跡に到着しましたが、実はこの場所は3日前のツーリング13日目に一度訪れています。その日は瀬戸瀬温泉から名寄に向かった日で、クチャンナイ林道入口の目印として訪れたのですが、それは僅か数日前のことなのに、なぜだかとても懐かしく感じてしまいましたよ。
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せっかくなので保存されている旧上藻別駅逓の建物をもう一度眺めておきますが、でき得ることならば、幕末、明治から大正、昭和初期にかけて道内各地にチェーン展開していたこの「駅逓」という宿で旅の一夜を過ごしてみたかったな。しかし、今は住民の方が住んでいるし、そもそも駅程システムが復活されることはまずなさそうです。
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