不受不施僧の墓
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 [1]樫立エリア
 [2]樫立エリアの見所スポット
     1乙千代ヶ浜
     2六日ヶ原砂丘(黒砂)
     3無線中継所
     4服部屋敷
     5不受不施僧の墓
     6中将院の石室
     7人捨て穴

     8湯浜遺跡

一見すると八丈島観光とは無縁な伊婆之墓地

樫立向里地区にある不受不施僧の墓です。都道から離れた伊婆之墓地にあり、墓地が見所スポットなんてとも思ってしまいますが、八丈島といったら流人の存在抜きに語れません。そして島内には彼らの墓が意外と多くあったりもします。

いわゆる流人墓というやつであり、島の暗い歴史は嫌がられるのか、観光系サイトや個人の旅行記、移住系ブログなどでも宇喜多秀家以外は紹介されることはなくて、わざわざ観光客が訪れることもほとんどないようです。

しかし、それも含めての八丈島です。赦免の日を迎えることなく、悲しく朽ち果てて忘れ去られた流人に思いを馳せて、流人墓を訪れてみました。






ちゃんと案内板も立っています

不受不施僧の墓(ふじゅふせそうのはか)
不受不施派は日蓮宗の一宗派で、僧は信者でないものを供養せず、
信者以外から布施は受けない、という宗制を固守し幕府に逆らったため危険視され、
寛文6(1666)年キリシタン同様禁断の厳命が下り、
多数の信者が磔、斬、流などの刑に処せられた。

八丈島にも多数の流刑者が送られて来たが、
それらの墓に終戦前まで本山の妙覚寺から清掃料が送られてきたという。
封建時代における宗教弾圧のむごさを、目の当たりに見せられる墓標群である。
昭和58(1983)年に、島内各地にあったものも集められ改修整備されたものである。
町郷土資料(金石文) 昭・51・5・11指定 八丈町樫立伊婆之墓地






宗教によって八丈島に流罪となった僧侶たちの墓

島内各地から伊婆之墓地に集められた流人僧の墓。八丈島へと流された者には意外と僧侶が多く、 最も多かった罪科は一般庶民には関係のない女犯でした。 その数は71人。次に多かったのが日蓮宗不受不施派の僧侶で33人でした。

江戸時代に弾圧された宗教はキリスト教だけだと思われがちですが、れっきとした日本の宗教でも幕府から弾圧された宗教があったんですね。八丈島の他に三宅島にも不受不施派僧の墓が三宅村指定旧跡として残されています。

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