湯浜遺跡
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     1乙千代ヶ浜
     2六日ヶ原砂丘(黒砂)
     3無線中継所
     4服部屋敷
     5不受不施僧の墓
     6中将院の石室
     7人捨穴
     8湯浜遺跡

八丈島に最初に人が住んだという湯浜遺跡

端城島の南端に近い海辺の丘陵にある湯浜遺跡です。「鳥も通わぬ八丈島」とか「絶海の孤島八丈島」などと言われた八丈島にいつ頃から人が住み始めたか気になりますが、その問いに答えてくれるのが縄文時代のものと思われるこの遺跡です。

昭和37 (1962)年の夏、 海岸に面した八丈温泉ホテル (現廃業)内で温室工事が行われましたが、現場を訪れた地元中学生が1点の石斧を発見したことで遺跡が発見されました。 調査の結果、 海を越えて八丈島にやって来て最初に人が住んだのは7000〜5000年前のことらしく、それがこの湯浜遺跡といわれています。遺跡は湯浜集落、人々は湯浜人と呼ばれて、 3軒ほどの住居跡があったことからみて、 湯浜集落の人口は15人程度だったらしいです。

考古学的には貴重な湯浜遺跡ですが、観光スポット化しておらず訪れる人はほとんどいないのが現状です。先史時代の八丈島の人々に思いを馳せて訪れてみてもいいですが、発見されて数十年が経った現在ではご覧の通り草ボーボー。案内板がなければただの薮くらいにしか見えません。場所も分かりにくいです。






発見当時の写真が掲げられている案内板

湯浜遺跡について
平成28年1月4日 八丈町教育委員会

第1号住居跡は農道の曲線部にありましたが、埋め戻されて今は見ても分かりません。
第2号住居跡は農道の擁壁の所にあり、
現在は擁壁になっているため見ることはできません。
都の文化財の看板は、第1号住居跡の所に立っています。

看板の前の道路の屈曲部が遺跡のある所です。
この遺跡の山側の盛り上がった所に、樫立八幡山溶岩が流れて来て止まっています。
もしも、溶岩がこの上を流れてここを覆ってしまえば、
この遺跡は発見されることはありませんでした。偶然の結果なのです。






真新しい案内板も立っています

八丈島湯浜遺跡(はちじょうじまゆばまいせき)
東京都指定史跡
所在地 八丈島八丈町樫立
指定 昭和58(1983)年5月6日

本遺跡は、昭和37(1962)、整地工事を行った際に
大形の磨製石斧が採集され、発見されました。
その後、都や町を中心に数回にわたる発掘調査が行われ、
三件の竪穴住居跡が検出され、無文尖底土器、局部磨製石斧、打製石斧、
石皿、磨石など多数の遺物が出土しました。

隣接する倉輪遺跡(縄文時代前期末〜中期初頭)に堆積していた火山層と比較すると、湯浜遺跡の文化層はそれよりも下層であり、倉輪遺跡の年代より
古い時期に溯ることが確認できます。
なお、放射性炭素年代測定法によって、本遺跡には
約7000年前から6500年前までの年代が与えられています。

湯浜遺跡の調査成果から、北伊豆諸島と伊豆半島を経由した
本州の縄文文化との密接な関連性がうかがえます。
その一方、石器類の特徴には遠く南方文化の影響も認められます。
平成23年3月建設 東京都教育委員会

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