2022 北海道林道探索ツーリング 8月5日(金)晴れ 林道探索の書 〜今日もどこかで林道ざんまい〜 
9日目[5]  根室市「根室 Nemuro→ 中標津町「中標津 Nakashibetsu もどる  






ガソリン給油量 10.06L 給油回数3回 ガソリン代 1760円 総走行距離 269.4km / ダート走行距離 8.3 km トップへもどる


厚床からR243に入ったら根室市「明郷(あけさと)」で市道「槍昔連絡道路」へと右折して槍昔を目指しますが、しかし、国道から槍昔までの距離の長いこと!

国道から槍昔までは14キロほどですが、その間は地平線が見えるような2車線舗装のストレートが延々と続き、途中、すれ違う車は1台もなかったです。前半は広大な牧草地帯を進み、後半は風蓮湖湖岸の森の中をひたすら駆け抜けていくのですが、とにかく遠いので、いくら走っても槍昔の集落はなかなか見えてきません。







無人状態の2車線市道を高速巡航でひたすら進んでいくと、やがて右手に風蓮湖の湖岸が現れました。行く手には槍昔の民家の屋根が小さく見えていますが、槍昔は行き止まりの集落で、しかも国道から往復するだけで30キロもある陸の孤島。エンジン付きと言えどもなかなか訪れにくい場所になっています。







風蓮湖西岸の最果て集落槍昔に到着! 人の姿もなくてひっそりと静まり返った集落内を進んでいくと、やがて小舟が何艘も引き揚げられた湖岸の浜に突き当たるこの場所で道はなくなり、ここが本当の行き止まり地点でした。







うおぉ〜、それにしてもここは最果て感が物凄いな! 眺めているのは槍昔の北東、風蓮湖の対岸に位置する別海町「走古丹」方向ですが、果てしなく広がる地平線というか水平線に隠れて対岸はほとんど見えていなかったです。

以前から地図を眺めるたびに槍昔とはどのような場所なのだろうと気になっていたのですが、しかし、日本離れしたこれほど美しい景色が広がっていたなんて!







風蓮湖の湖畔に面した小さな漁村の槍昔。浜にはニシンやコマイ、カキやアサリ、ホッキ貝を採る小舟が浜に引き揚げられていましたが、槍昔には設備の整った漁港はないようで、寂寥感の漂うどこか淋しげな漁村の雰囲気が漂います。







浜辺の草むらに大量の貝殻が! もしや「ホタテ?」と思ってしまいましたが、そんなわけないか。風蓮湖でホタテとはほとんど聞かないし・・・。







大量の貝殻の正体はカキでした。北海道でカキといえば厚岸やサロマ湖が有名ですが、実は風蓮湖でもカキが養殖で育てられているみたいです。アサリやホッキ貝は殻付きのまま出荷されるので貝殻は出ませんが、カキは剥き身にもするからなぁ!







風蓮湖の静かな湖面にぷかぷかと浮かんで係留されてた小舟。なんとも長閑で雄大な眺めですが、遥か前方の水平線上に陸地のように見えているのは、風蓮湖北側の別海町「本別海」から走古丹方向におよそ13キロの長さで突き出している砂州。

先ほど訪れた春国岱と対をなす形で根室湾と風蓮湖とを隔ていますが、そこには砂州の先端まで続く最果ての砂地ダートが延びています。もちろん訪れてみるつもりですが、どんな場所であるのか今から楽しみ! ちなみに景色が広大すぎて距離感が掴みにくいですが、槍昔の湖岸からあの砂州までは直線距離でおよそ4キロくらい。







最寄りの幹線道路からも遠く離れ、観光スポットがあるわけでもないので訪れる観光客もいない槍昔ですが、付近では「ヤリムカシ1竪穴群」などの遺跡が発見されているなど、ここは古くから人が住んでいた場所らしく、かつては「アツウシベツ」と呼ばれ、海上交通、陸上交通の要衝だったらしいです。







風蓮湖の湖岸で寄り添うように民家が立つ槍昔。明治時代の頃には駅逓所や郵便局もあったのですが、1894(明治28)年頃から第二次世界大戦が終わる頃までは、なぜか無人状態となっていたらしいです。その後、住民が戻って槍昔には小中学校も開校されていますが、どちらも昭和の半ば頃に廃校済み。

今でこそ「新酪道路」と呼ばれる2車線舗装の快適な市道が槍昔まで整備されていますが、昔は集落への道も悪く、風蓮湖が凍結する冬は湖上を馬橇で、他の時期には漁船で根室市街まで行き来していたそうですよ。







槍昔を訪れたら、次は風蓮湖の湖岸を時計回りに回り込んで別海町に移動、13キロの長さで突き出た砂州の中ほどにある走古丹の集落を訪れてみます。さっそくR243へと戻るべく市道「槍昔連絡道路」を引き返しますが、しかし、やっぱりこの槍昔への道は遠かったなぁ。エンジン全開で進んでもなかなか国道にたどり着きません。







R243(明郷)へと戻る途中、道すがらに広がっている広大な牧草地帯。地平線まで見渡せる北海道らしい広々とした眺めですが、この牧草地帯のまっただ中を適度にアップダウンしながら、国道を目指して市道はひたすら延びています。

どこまでも続く牧草地帯のどかな景色を眺めながらのんびり進むのも良いですが、しかし、それだと移動に時間がかかりすぎ。いくら時間があっても足りなくなるので、先を急ぐためにもここは高速巡航でWRを走らせました。







R243に戻ったら右折して別海町へと進み、その後「奥行」でR244へと乗り継いだら、さらに本別海で道475へと乗り継ぎます。その後は長大な砂州の上にひたすら延びる道道を走って走古丹を目指しますが、本別海〜走古丹間の距離はおよそ8キロ。その間に人家は1軒もなく、道端にハマナスの花が咲く荒涼とした区間が続きます。







槍昔から風蓮湖の湖岸を回り込んで移動することおよそ41キロ、ようやく別海町走古丹に到着しました。しかし、槍昔から風蓮湖を挟んだ対岸の走古丹までは、直線距離にすれば僅か2キロほどしか離れていないので、これはとてつもない遠回りです。







道475のどん詰まり、そこで道が行き止まりになっている走古丹漁港です。かつて走古丹ではサケマス漁が盛んだったそうですが、昭和初期の不漁が契機となり、現在、漁の拠点は風蓮湖内がメインになっているようで、凍結した氷の下に小型の定置網を仕掛けてコマイなどを獲る「氷下待ち網漁」がよく知られています。







立派な漁港(走古丹漁港)も整備されていて、僻地感もあまりなくて意外と普通の漁村であった走古丹。そんな走古丹ですが、地名はアイヌ語の「アシリ+コタン」で「新しい+村」という意味で、その昔、根室のアイヌ酋長「チンペイ」が別海のアイヌをこの地に移住させたことに由来するのだそうです。







漁港脇のアスファルトの歩道で咲き乱れていたハマナスの花。鮮やかな赤ピンク色が葉の濃緑に映えてとてもきれいですが、しかし、美しく咲く花が旅人の目を惹きつけるハマナスも、ここでは道端に生えている雑草の一つに過ぎないのかも。それほど集落内では道端で普通に生えている姿を見かけます。







道路脇のコンクリート敷きの歩道でたわわに赤い果実を実らせていたハマナス。ローズヒップとして食用にもなる果実はまるでプチトマトみたい! でもわざわざ道端に咲くハマナスの実果を採る人はおらず、実るがままに放置されています。野摘みで宿に持ち帰っても仕方ないので、もちろん手は出さなかったですけどね。







あぁ、きれいだなぁ・・・。走古丹漁港から眺めた風蓮湖。晴れ渡った空には白い雲がたなびき、サファイアブルーに輝く湖面の鮮やかさがとてもきれいです!

眺めているのは風蓮湖の北西で、右手には風蓮湖と根室湾を遮る砂州が、そして左手にはには先ほど訪れた槍昔のある半島が見えていますが、あの遥か先に霞んで見える湖岸をぐるっと回り込んではるばる走古丹までやってきたんだよな。







湖岸の浜伝いにぽつりぽつりと民家と漁具小屋が点在する走古丹の眺め。今はこの通りひっそりと静まり返った淋しい漁村ですが、遠い昔、江戸時代の走古丹はアイヌと和人が共に漁撈に従事して盛況を極めた集落だったそうです。

明治時代(1868〜)になると人の漁撈就労が本格化して定住者が増加し、1895(明治28)年には戸数36、人口204名を数え、その当時の走古丹には旅館3軒の他に飲食店が2軒、商店が1軒あったそうですが、しかし、時の流れは無情だな〜。かつての賑わいの面影はもはやどこにも残っていませんでした。







続いて走古丹の浜辺から東南方向を眺めてみますが、対岸にはこれから訪れる予定の別海町本別海から続く長大な砂州(砂嘴)がすぐそこに見えています。

画像では左方向が風蓮湖の奥で、右方向には根室湾への出口となった砂州の切れ目がありますが、そこから風蓮湖の中に「ゴマフアザラシ」や「クラカケアザラシ」が入り込み、河口のそばに浮かぶ「ハルタモシリ島」でたまに昼寝しているそうですよ。運が良ければ湖面にアザラシを見かけることができるかもしれませんね。







そしてこれが風蓮湖が根室湾とつながる砂州の切れ目。画像左手には本別海から続く砂州の先端が見えていて、画像右手には湖面に浮かぶハルタモシリ島が小さく確認できますね。そしてハルタモシリ島のさらに先には春国岱の砂州の先端「弁才泊」が位置していますが、水平線に霞んでよく確認できませでした。

この切れ目からアザラシなどが風蓮湖に入ってくるのですが、他にもオットセイやイルカなどの哺乳類が入ることがあり、その死体が春国岱に流れ着くことがあるそうです。1988(昭和63)年には迷い込んだ「ザトウクジラ」が春国岱に打ち上げられましたが、船で沖に引き出そうとしているうちに力付きて死んでしまったそうです。







走古丹の集落を訪れたら、次は風蓮湖と根室湾の間に長く延びる砂州をさらに進み、いよいよその先端へと至る最果ての海岸ダートに向かいます。しかし、走古丹から砂州の先端までの距離はおよそ8キロ。地図上ではすぐそこの場所に思えますが、実際にはかなり遠くて、いくら進んでも砂州の先端地点は全然見えてこなかったな〜。

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