2022 北海道林道探索ツーリング 8月5日(金)晴れ 林道探索の書 〜今日もどこかで林道ざんまい〜 
9日目[6]  根室市「根室 Nemuro→ 中標津町「中標津 Nakashibetsu もどる  






ガソリン給油量 10.06L 給油回数3回 ガソリン代 1760円 総走行距離 269.4km / ダート走行距離 8.3 km トップへもどる


左手に根室湾、右手に風蓮湖を眺めながら、所々でハマナスが大きな群落をつくっていた砂州の海岸草原を先端地点に向かってひた走ります。ここまで進んでくるとすれ違う車もなくて2車線舗装の道は完全に無人状態。道すがらには民家もなくて、たまに漁具小屋や番屋が淋しげにポツンと現れるだけでした。







途中、右手にはつい先ほど訪れた走古丹の集落がすぐそこに見えています。直線距離にすればここから800mほどしか離れていませんが、ショートカットする橋が架かっているわけでもないので、実際には道伝いに3キロほど離れています。







おお、やったぜぇ、ダート出現! その後、ひたすら続く砂州上のストレートをしばらく進んでいくと、ここで舗装が途切れて最果ての海岸ダートがいよいよ開始! 嬉しいことに進入禁止看板やゲートの類はなにも設置されていません。完全なる自由通行状態を確認したら、さっそく立ち入らせていただきますよっと!







海と湖に挟まれて横幅が100mほどしかない砂州上に延々と続く砂地の海岸ダート。砂がモサっとタイヤに絡みつき、ハンドルを取られがちな砂地特有の走りにくさを覚えますが、どこまでも直線が続いて行く手が地平線に吸い込まれているこのシチュエーション、最高潮に達した高揚感が抑えきれず思わずヒャッハ〜!







砂州をゆく海岸ダートにはコンクリ簡易舗装区間もありましたが、僅か海抜1mで、前進するにつれて砂州の横幅はぐっと狭くなり、最果て感がいやが上にも高まります。しかし、このような最果てダートを走れてしまうのも北海道ならではだな!







長大な砂州を進む風蓮湖の湖岸ダートもここまで来れば、先端まで残りあと僅かの距離ですが、ここでダートは一気に規格ダウン。ここまでも砂地で十分走りにくいですが、その先の末端区間は草原に覆われた砂地のワダチダートになっていて、さらに砂のモッサリ度が増加して一段と走りにくくなっています。

車の場合はスタックが怖いので、たいていの方はここで駐車してその先は歩いて散策しますが、こういう場所でこそ身軽なオフバイクは本領発揮なんだぜぇ!







おぉ、やったぜぇ! そしてたどり着いた風蓮湖の砂州ダートの末端地点がここ。すなわち、本別海から13キロもの長さで延びる砂州の一番先端の地点です。これより先に陸地はもうなくて、まさに陸果てる最果て地点! わざわざ風蓮湖を訪れた最大の理由は槍昔や走古丹ではなくて、実はこの場所を訪れることにあったんだよな!







砂州の先端地点に到着したらここでランチです! といっても行きがけに厚床のセイコマで買っておいた「りんごデニッシュ」1つだけですが、しかし、秘境とも言える風蓮湖の長大な砂州の先端地点で食べるデニッシュは最高にうまかったぜぇ!







誰もいない静かな砂州の最果て地点で菓子パンの昼食を済ませたら、風蓮湖の景色を眺めながらしばしまったりと過ごします。湖面の遥か先には、槍昔集落のある半島が霞んで見えて(画像左)いますが、あそこからぐるっと湖岸を回り込み、よくもまあここまで移動してきたなぁ、と我ながら感心してしまいます。







13キロもの長さで延びる砂州をその先端から振り返って眺めてみますが、砂州は海抜が僅か1mほどしかないので、付け根部分の本別海はもちろん、途中にあるはずの走古丹は水平線に霞んでまったく見えていません。

それだけでも根室湾と風蓮湖を隔てる砂州の長大さが分かるというものですが、元々は本別海から東梅まで1本の砂州で繋がっていたそうです。それが地盤の沈下で砂州は次第に痩せ細って途切れてしまい、海水が風蓮湖へと進入するようになったんですね。

先ほど訪れた春国岱も100年前は一つの塊りだったそうですが、今は第1砂丘と第2砂丘の先端は細い帯状に分かれて海水が進入しています。その原因は地盤沈下の他にも、道東地域のダム建設によって河川から海への土砂の供給が減少したためと考えられているそうです。というわけで、いずれこの場所も海に没してしまうかも・・・。







風蓮湖の最果て地点を訪れたら、次は「野付崎」を訪れるべく本別海に向かって砂地ダートを引き返しますが、砂州が湖と海に挟まれた状況がよくわかるのがこの地点。狭い所では砂州の幅は60mにまで狭まるので、砂地ダートを挟んで風蓮湖と根室湾が同時に見えていますが、こういう場所は日本広しといえどもそうはないな!







砂州に延びる海岸ダートの右手にはハマニンニクやコウボウシバなどの海岸草原が広がり、そのすぐ先は根室湾の波が打ち寄せる海になっています。左手に広がる風蓮湖の静かな湖面とは異なり、海は明らかに白波だっていて、ここが海と湖に挟まれた僅かな陸地となった砂州だということをあらためて実感します。







その後、海岸ダートから道475へと乗り継ぎ、本別海でR244に合流した所で本日2回目の給油。コスモ石油本別海SSでハイオクL / 172円で4.21L(724円)入りましたが、根室市歯舞で給油してから結構走り回ったのでそれなりに入った感じです。







本別海で給油を終えたらR244を根室湾沿いにひたすら北上。温泉の湧く別海町「尾岱沼」は立ち寄らずに通過して「標茶町」へと進み、標茶町「茶志骨(ちゃしこつ)」で右折して道950(野付風連公園線)で野付崎へと進みます。道950に入ったら「第二しべつ展望パーキング」で小休止しますが、本別海からの移動距離はおよそ36キロ。







道東の地図を眺めると、国後島との間の根室海峡にエビの尻尾のように曲がった細長い砂州が伸びているのが目に入りますが、これが野付崎。付け根から先端までの長さは26キロもあって、日本一の砂州(砂嘴)となっています。その野付崎の最果て地点、すなわち道が途切れる先端地点を訪れるべく、ただ今道950を移動中。

そんなわけで訪れた野付崎ですが、実はここ、高校生の頃に一度訪れています。今は無き標津線(1989 / 平成元年廃止)で訪れ、「根室標津駅」前の旅館でママチャリを借りて、片道20キロをひたすら足漕ぎしたことを懐かしく思い出しましたが、真夏のこの道をママチャリで片道20キロか・・・。あはは、今なら頼まれてもマジ勘弁だし!







そんなわけで茶志骨から道道を進むことおよそ18キロ、道950の終点「野付駐車場」までやって来ました。場所は「野付埼灯台」の370mほど手前にある駐車場ですが、ここは人気のツーリングスポットなので訪れるライダーも多く、たしかこの時には4、5台のバイクが駐車場で記念写真を撮っていたんだっけ。







うわぉ! そして野付駐車場の先ですが、舗装が途切れた先には心ときめくような極上ダートが開始しているじゃないですか! 地理院地図によればダートの延長距離はおよそ先4.3キロ。往復で8.6キロのまさしく極上最果てダートですよ!







えぇ、そんな殺生な・・・! その先には素晴らしいダートが続いているというのに、スノーモービルおよびオフロード車の乗り入れを禁止する「車馬等乗入れ規制地域」看板が設置されているじゃないですか! これ以外にも「一般車両進入禁止」や「関係者以外車両侵入禁止」の看板があちこちに・・・。徒歩ならOKなんだろうけどさ。







というわけで、残念ながら野付駐車場より先の末端地は進入禁止であることが判明。そうとなったらこの場所に用はありません。途中で見かけた「野付半島ネイチャーセンター」に立ち寄るべく早々に道道を引き返します。







立ち去る前に未練たらしく砂州の先端方向を眺めてみますが、小さくポツンと見えているのが根室湾に面した野付埼灯台で、その辺りが「竜神崎」と呼ばれる場所。

ダートを挟んで野付湾側には原生花園が広がっていて、春から秋にかけてハマナスの赤ピンク色、「センダイハギ」の黄色、や「エゾカンゾウ」のオレンジ色、「エゾカワラナデシコ」のピピンク色、「ツリガネニンジン」の紫色、「ヤナギタンポポ」の黄色などなど、色とりどり鮮やかな花々が所々で見られるそうです。

また、根室湾の外海に面した砂浜には、ハマニンニクやコウボウシバの他に「ハマベンケイ」や「ハマツメクサ」など多肉質の植物が生育しているんだって。







前面に広がる海の青さに白い漁舟が映えて最高に美しい野付埼の浜。ネイチャーセンターへと引き返す途中の眺めですが、現在、根室湾に面した浜には漁具小屋や番屋が点在するだけで住民のいる民家は一軒もありませんが、かつて野付埼には漁で暮らしていた人たちの集落があったそうです。







砂州の浜にポツリポツリと漁具小屋が点在し、荒凉とした淋しげな景色がどこまでも続きますが、昔の野付埼は国後島への中継点として、またニシンの漁場として栄えていたそうです。江戸時代には幕府の会所(取引所)が設けられ、1854(嘉永7)年には人家65戸を数え、漁小屋が浜に沿って3キロ近くも立ち並んでいたとのこと。

しかし、明治期なると漁は減少して漁師も少なくなっていき、大正時代の頃には当時の集落の菜園跡や漁小屋の遺構、墓地の墓石などが残っていたそうで、現在の竜神埼から砂州の先端側におよそ600mほどのところに神社もあったそうです。

さらに野付埼にはノッケ、シシャモシュブイ、レウンケ、イキタラウシ、チフイカリウシ、チプルなどのアイヌ語地名が残っていることから、それより以前の昔から、ここはアイヌの人たちの生活と関わり深い場所だったことがうかがい知れるそうです。







ネイチャーセンターに移動がてら野付埼の砂州の内側、「竜神湾」を眺めてみますが、そこには広大な干潟と「アマモ」の藻場が広がっていました。以前は一面に湿原が広がっていたそうですが、年間1.5センチにも達する急激な地盤沈下と海面上昇によって大規模な海岸侵食と湿原環境の干潟化が発生しているんだよな。







竜神岬のある砂州の先端方向を振り返ってみると、竜神湾を包み込むように湾曲して延びる砂州の様子がよくわかります。前方左手には枝分かれした砂州と砂州との間に「ボッコ沼」もあるのですが、砂州の海抜は高いところでも僅か2〜3mほどしかなく、また、景色が広大すぎるので景色が水平線に霞んでよく確認できません。

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