ガソリン給油量 10.02L | 給油回数4回 | ガソリン代 1787円 | 総走行距離 260.7 km / ダート走行距離 43.7 km | トップへもどる |
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ピヤシリ山の山腹の森の中を進んでいきますが、ワダチダートの素敵なストレート区間もありました。草ボーボーに廃れているわけでもなく、ヌタヌタで泥まみれというわけでもなくて実にいい塩梅です! 静寂な雰囲気が漂う林道を、誰にも邪魔されずのんびりとWRを走らせますが、まさに林道独り占め状態だったかな。
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しかし、ダートの路肩には猛烈なクマザサ笹の藪が壁となって連なっています。撮影がてら林道の道端でたたずんでいると、なんだか藪の奥から森のクマさんに見つめられているような気がして落ち着かなかったぜぇ・・・。
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なんじゃこりゃ!? その後も名寄市を目指してのんびりと奥幌内本流林道を進んでいきますが、鉄パイプとトラロープで構築された簡易ゲートが現れました。しかし、通行止めとか立ち入り禁止を告知する看板などは置かれていませんでした。どうしたものかと去就に悩みますが、とりあえず周囲を見回してみると・・・?
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林道標発見! なんと、簡易ゲートの傍の藪の中にピヤシリ越林道の林道標が倒れて転がっているじゃないですか! それによればこの地点が奥幌内本流林道とピヤシリ越林道の接続地点になっているみたいです。しかし、倒れた林道標を立て直すこともせず、なぜそのまま打ち捨てるように放置されているのでしょうか?
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簡易ゲート地点には「測量中」の置き看板だけがありましたが、測量というのは自然災害で荒れた林道を復旧するための計測ってこと? 据え膳食わぬは男の恥でもありませんが、散々迷った末にトラロープをセルフでオープン。
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簡易ゲートを失礼させていただいてその先にWRを進めると、車両が通行した痕跡も全く消え失せ、路面にクレバスが現れてダートは若干荒れてきます。その先で路面崩壊などの異常が発生している気配が次第に漂ってきますが、それと同時に路肩には測量のための杭が打たれているのを見かけました。 なお、路面補修のための測量は本当に行われていたらしく、この直後、前方の緩いカーブを曲がった先で路面を塞いで駐車していたバンに遭遇。そこで作業員が測量作業を行なっていましたが、さすがにその脇を通り抜けるだけの度胸はなく、即座にその場でUターン。ぐずぐずしてお叱りを受けないうちに退散するしかなかったです。 |
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路面補修の測量現場に遭遇してしまい、落胆しつつ奥幌内本流林道を撤退中のWR。残念ながら奥幌内本流林道→ピヤシリ越林道ルートで名寄市街地に通り抜けることはできませんでしたが、それでも奥幌内本流林道そのものは終点のピヤシリ越林道への接続地点まで進むことができたので、今回はそれだけでヨシとしておかねば!
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ピヤシリ越林道接続地点まで往復すること10数キロ。ようやく幌内越峠そばの林道入口まで戻ってきました。というわけで今日の林道探索はこれで全て終了。この後は道60をサンルダム方向に引き返し、R239から今日の宿泊地の名寄市へと移動します。
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名寄市街地に入ったらとりあえず国道沿いのセイコマ名寄東6条店で小休止。冷たいアイスコーヒーを飲みながら一日を振り返って独り反省会しますが、予定していた林道は全て通り抜けできず、本日の林道探索はなんだか不発だったなぁ・・・。
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続いてR239のJR宗谷本線の跨線橋を渡って「名寄駅」の西側に移動。駅前通りのアポロステーション名寄南SSで明日の林道探索に備えて給油しておきますが、ハイオクL / 180円で3.5L(630円)入りました。
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あ〜、それから名寄市街地に入ったらドコモショップ名寄店にも立ち寄ります。料金関係確認のヤボ用で訪れる必要があったのですが、ドコモショップはこの辺りだと他には士別市と稚内市にしかないので、うまい具合に名寄市にあって助かったぜぇ。
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給油を済ませてドコモショップで用も済ませたら、宿に向かう前に名寄駅前の市街地を適当に徘徊してみますが、名寄市の人口は2万7000人(令和2年度)で、その中心地である名寄は思っていた以上に開けた広い町でした。しかし、ご多分に漏れず過疎っていて車の通行量は少なく、道ゆく人の姿はほとんど見かけません。 ちなみに「名寄」という地名はアイヌ語の「ナイ+オロ+トロ」で、日本語では「川の+所の+口」となり、天塩川からその支流の名寄川への入口という意味。元々はアイヌの人たちが住んでいましたが、そこに1900(明治33)年に山形県からの開拓団が集団入植したのが町の始まりだそうです。 |
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名寄駅に行ってみましたが、う〜ん、人の姿が全くなくて閑散としていますね。かつての名寄駅には宗谷本線の他にも、名寄〜遠軽間を結ぶ名寄本線および、名寄〜深川間を結ぶ深名線が発着していましたが、どちらもとっくに廃止されており、現在、名寄駅を通っているのは宗谷本線だけという寂しい状況になっています。 昭和から平成前期の頃の夏休みともなれば、それこそ名寄本線や深名線などのローカル線目当てで、北海道ワイド周遊券や青春18切符を利用して大勢の鉄ちゃんやカメラ小僧が名寄駅を訪れたことでしょうが、それらが廃止されてしまった今は、誰も途中下車しないつまらない駅になっています。あぁ、時代の流れは無情だな・・・。 |
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名寄駅前で見かけたブルーの車体のバス。名寄駅前からは名士バス、道北バス、JR北海道バス、士別軌道などが路線バスや高速バス、コミュニティバス、デマンドバスを運行しているみたい。車を運転できないお年寄りや学生が利用しているのでしょう。
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北海道らしく西◯条とか南◯条などと名付けられて、碁盤の目状態に区画されている名寄の市街地。駅前から今日の宿「二条旅館」に向かいますが、道は広いのにまるで歩行者天国状態。車や人が本当に少ないな〜。 1903(明治36)年に旭川から名寄まで天塩線(現宗谷本線)が開通すると、当時手付かずだった森林によって木材景気が始まり、名寄の町は造材業で大いに賑わったといいます。1906(明治39)年から1918(大正7)年にかけてがその最盛期で、当時は海外にも木材を輸出するほどだったそうですが、今はその面影はどこにもなくて・・・。 |
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その後、駅そばの目抜き通りから、碁盤目状に区画された西2条南5丁目付近の閑散とした住宅地の中に入っていきます。やがて二条旅館の青い看板が見えてきますが、西2条にあるので二条旅館というわけですね。
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二条旅館に到着しました。立派な鉄筋3階建ての旅館でしたが、この建物は以前は「ホテル海晃本館」だったらしいです。WRはまだ時間が早くてガラ空きだった駐車場の隅っこに駐車します。ちなみに「海晃」は居酒屋「つぼ八」のフランチャイズ展開をしている会社ですが、あのつぼ八ってここ名寄市が創業の地だって知ってた?
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二条旅館のエントランスとフロント。さっそく受付のお姉さんに到着を告げて、告げられた2階の客室に向かいますが、フロントの奥に食堂が見えています。
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左右に客室が並ぶ廊下。扇風機がポツンと置かれて首を振っていましたが、これはたぶんコロナ対策で建物内の換気をしているのだと思います。
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二条旅館の和室の客室です。広さは6畳で、テレビと冷蔵庫、そしてお茶セットにクーラーが備え付けられていました。こじんまりとしていますが、一人で泊まるにはこれくらいの広さで十分。すでに布団が敷かれていたのが良かったな。
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二条旅館の客室の窓から眺めた名寄の市街地の様子です。旅館は名寄駅前から500mほど離れた住宅地の中にあり、そばには商店もなくて閑散としていますが、150mほどのところにコンビニ(セブン)がありますよ。
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