若い経営者への世代交代が課題となる三宅島の宿事情 |
昔と違って今は釣りとダイビングだけじゃない! |
[1]三宅島の宿と観光 [2]宿泊「旅館川徳」編 [3]宿泊「ホテル海楽」編 [4]宿泊「山辺旅館」編 |
周囲を流れる黒潮の影響を受けて四季を通じて温暖多湿な海洋性気候の三宅島。周辺海域は良好な漁場であるとともに、海底に広がるテーブル珊瑚の景観が良く、一年を通じて釣り客やダイバー客が島を訪れることで知られ、「三宅島=釣りやダイビング」と思われがちですが、実は三宅島は伊豆諸島の他の島に比べて野鳥種類が豊富。絶滅危惧種の鳥も生息しているため、バードウォッチングを目的とする来島者も多いです。 ちなみに平成25(2013)年における三宅島の宿泊施設は旅館・ホテルが2軒、民宿が34軒、公営バンガローが1軒、公営キャンプ場は1軒となっています。三宅島は宿泊施設数は多いのですが、民宿やペンションが大半を占めており、宿の特徴としては一軒当たりの収容能力が低いことがあげられます。 三宅島の民宿は民宿と漁業、農業との兼業は少なくて、民宿とダイビングショップ、釣りという組み合わせが多いです。また、民宿の経営者は高齢者が多くて、若い世代への後継者の世代交代が進んでいないのが現状。なのでインターネットでPRできる民宿は人気が集中しますが、高齢な経営者はそれができないという問題があります。 そのような現状の三宅島ですが、平成12(2000)年に始まった火山活動によって、島民は4年半に及ぶ全島避難を余儀なくされてしまいます。平成17(2005)年に避難解除されていますが、牧場公園や八丁平は修復不可能なまでに壊滅、観光設備の破損も著しくて三宅島の観光業は大ダメージを受けています。参考までに平成11(1999)年から平成25(2013)年までの三宅島への観光客数の推移は以下の通り。 |
平成 | 11年 | 12年 | 13年 | 14年 | 15年 | 16年 | 17年 | 18年 | 19年 | 23年 | 24年 | 25年 | ||
来島者数 | 79250 | 42059 | 0 | 0 | 0 | 0 | 29802 | 40905 | 41295 | 35136 | 34663 | 33489 |
平成13年〜平成16年の来島者がゼロなのは、全島民島外避難指示によって渡島不可だったためですが、火山活動で受けたダメージは大きくて、避難支持が解除された後の三宅島の観光客数は激減、今も減り続けているみたいです。 そのような三宅島ですが、現在はそれまでの「バードウォッチング」「釣り」「ダイビング」に加えて、新たな観光の柱として「火山」が位置づけられるようになりました。具体的には過去の噴火の跡を中心として三宅島の自然景観を楽しむためのスポット巡りで、島内各所に数多くの自然景観を楽しむ「ジオスポット」が設定されていることに気付きます。また、バイク関係では平成19(2007)年から「WERIDE三宅島エンデューロレース」が毎年開始されていますね。 |
かつては定期観光バスも運行されていたけれど・・・ |
三宅島には唯一の公共交通機関として村営バスがありますが、離島ブームに全国が湧き立った1970(昭和45〜)年代の三宅島では、観光客を乗せて島を4時間かけて一周する村営定期観光バスが走り、路線バスの路線数も1979(昭和54)年当時で以下の5系統が運行されていました。 |
系統 | 起点 | 主な経由地 | 終点 | 距離 | 運行本数 | 乗車密度 | ||
1 | 坪田 | 神着〜阿古〜坪田 | 沖ヶ平 | 35.3 | 1 | 1.0 | ||
2 | 坪田 | 阿古〜伊ヶ谷 | 坪田 | 32.2 | 9 | 1.6 | ||
3 | 阿古 | 伊ヶ谷〜神着 | 高校前 | 23.5 | 1 | 1.6 | ||
4 | 伊ヶ谷 | 伊豆〜神着 | 高校前 | 17.3 | 1 | 1.6 | ||
5 | 伊ヶ谷 | 阿古〜坪田〜三池 | 高校前 | 13.7 | 1 | 1.6 |
1979(昭和54)年当時、三宅島では島内を一周する1および2系統合わせて1日10本が運行されていたようです。運行本数は現在とほぼ変わりありませんが、その後の噴火とその影響で島の観光業が大ダメージを被り、現在も村営定期観光バスは復活していないのが現状です。また、少子化で島内の高校生の数が減ってしまい、今は高校前行きの通学路線系統は全てなくなっています。 |
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