宿泊「旅館川徳」編
  三宅島の宿 林道探索の書 〜今日もどこかで林道ざんまい〜 
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浜辺に近い大久保集落の片隅にひっそりとたつ旅館川徳

 [1]三宅島の宿と観光
 [2]宿泊「旅館川徳」編
 [3]宿泊「ホテル海楽」編
 [4]宿泊「山辺旅館」編
三宅島での記念すべき第1泊目は三宅島西部、伊豆地区の「大久保」にある旅館川徳です。今回の三宅島林道探索では3泊を予定していますが、連泊を避けて毎日違った島内各地の旅館に泊まろうと計画していました。せっかく3泊するのに3日間同じ場所の同じ宿では芸がないし、より多くの宿に巡り会いたいと思ったからなんですね。

というわけで東海汽船橘丸の寄港する阿古地区の錆ヶ浜港から都213号線を左回りで伊豆・神着地区へと進み、左折して大久保漁港に向かって都214号線を下っていくと、大久保浜に面した「大久保」集落の奥まった地点に旅館川徳さんがありました。






旅館川徳の静かな玄関

到着を告げるとさっそく宿の女将さんに部屋へと案内されます。網戸状態であった玄関に入るとこんな感じかな。なんだか田舎のおばあちゃんの家に遊びにきたような錯覚に陥りような、どこか懐かしさのある雰囲気ですね。でも宿に到着した時間が早かったためか、ガラ〜ンとして人の気配がありません。






客間の廊下にはシブい火災報知器が!

玄関から続く一階の廊下を通って二階に階段をあがって客間の続く廊下を進みます。古き良き昭和の時代を感じさせる廊下の壁に取り付けられていたレトロな火災報知機がシブかったです。建物内にはいかにも昔の旅館の風情が漂ってイイ感じだったな。






トイレや洗面に近い部屋に案内されました

二階の廊下をすたすたと歩き、突き当たりの洗面台とトイレの手前の客間に案内されました。部屋の戸は大きく開け放たれていましたが、そうすると春風が通り抜けてとても爽やかなので、客間へと案内された後もそのまま開けっ放しにしておきました。他に宿泊客の姿はなかったので、それでもまったく問題はないしね。






落ち着いた雰囲気で小ぎれいな和室の客間

そして女将さんに案内された二階の和室です。広さは確か8畳ほどでエアコンと扇風機が完備されていました。大きく網戸で開け放たれた窓も明るく開放的で、こぎれいな和室でこれなら落ち着いてのんびりと過ごせそう。

すでにいつでも好きな時に寝れるように布団がスタンバイされていたのも好印象。早めに到着したらごろんと午睡を楽しむのもありかな。なんだか田舎の自分の部屋に久しぶりに帰ってきたみたい。こういう和室の客間、嫌いじゃないです。あ〜、それから備え付けのテレビが地デジ対応だったのは言うまでもありません。






窓から眺める大久保集落の静かなたたづまい

部屋に案内されて女将さんが一階に降りていったら、さっそく網戸をガラリと開けて外の景色を眺めてみます。大久保の浜と集落とを隔てる堤防が邪魔で海は見えていませんが、集落に民家が密集して立並んでいるのが見てとれ、宿のすぐ脇は集落の路地になっていました。まるで時が止まったかのようなたたづまいです。






閑静を通り過ぎて静か過ぎる大久保集落の家並み

部屋に荷物を置いて一息ついたら、まだ夕食まで時間があるので外に出て付近を散策してみます。宿の目の前のこの2車線道路が大久保集落のメインストリート。都214(伊豆大久保港線)号線ですが、車はおろか人の姿が全くありません。






火山活動による全島避難で寂れてしまった大久保集落

宿を出たら三宅一周道路(都212号線)方向へと大久保港を目指して歩きます。しかしすぐそばには漁港もあるというのに、なんとも鄙びた侘しい家並みだな〜。

以前はここ大久保集落でもくさや製造などが行われ、現在よりも人口が多くて活気があったのですが、平成12(2000)年の全島避難によって三宅島のくさや製造は壊滅、ここ大久保集落も人口減少で過疎化、大きなダメージを被ったらしいです。






「島」らしい雰囲気が漂う大久保集落の民家

メインストリートに面した民家脇の路地を覗いてみると、三宅島らしいどこか独特な雰囲気の漂うこぎれいな平屋の民家が立ち並んでいました。よく眺めると右手の民家の軒先にはヤシの木が植えられていますね。






寂れた集落内には廃業した商店跡もありました

集落内にはすっかり廃墟となった建物がありました。たぶんこれは商店跡ですね。4年半にも及んだ三宅島の火山活動による全島避難で放置され、避難解除後に再開することなくそのまま廃業してしまったのでしょうか。寂れた集落内に普通にこのような建物が残っていることに驚いてしまいます。

しかし、三宅島の噴火の痕跡ってなにも地形的な物だけではないんですね。噴火で廃業した商店跡も一種の噴火の痕跡と言えるかも・・・。






シーンと静まり返った集落の路地

廃業した商店の建物脇の路地です。その先に大久保浜に面した堤防が見えていますが、シーンと静まり返った路地に人の姿はどこにもありませんでした。このような路地にはノラネコとかがいれば絵にもなるのですが、ネコ一匹すらいなかったです。

今はその面影も薄いですが、それでも大久保集落は大正とか昭和の初期には三宅島の中でも、漁業でおそろしく栄えて繁盛しまくった場所だったんだよなぁ・・・。






大久保集落で唯一の箱根商店

商店発見! 大久保集落のメインストリートを漁港に向かってさらに歩いていくと「箱根商店」がありました。建物が新しいかったので、もしかしたら建て直したのかもしれませんね。商店の前には集落で唯一の自販機も併設されていました。

店内にはペットボトル飲料やカップラーメン、お菓子や菓子パン、それと海が近いのでサンダルなど、こまごまとした商品が売られていましたが、住民相手の商店なのでしょう。お土産品などは置いてなかったです。

散策の帰りがてらに立ち寄ってジュースとお菓子を買いましたが、お値段は島価格でちょっと高め。でも自分、旅先では店のおばちゃんと会話がしたいので、定価で高いだけの味気ないコンビニよりも地元の商店でよく物を買いますよ。






建物の多さがかつての賑わいを偲ばせる大久保集落

ゆっくりぶらぶら歩いて大久保集落の入口まできました。振り返ると倒壊しかけた木造平屋の民家や、おおきく「くさや」の文字が掲げられた建物の廃墟が見えています。

後ほど宿のご主人に聞いた話によれば、平成12(2000)年の全島避難以前は、この大久保集落も現在よりもずっと栄えていたらしいとのこと。廃墟も含めて集落の民家の多さがかつての賑わいを物語り、当時は宿や商店も今より多かったといいます。

しかし、わざわざそれを聞かなくても、今の集落の寂れた雰囲気からおのずとそれがわかります。さらに言えば、宿のご主人が生まれる前のずっと昔の方が、実はもっと栄えていたんですけどね。






集落の入口には三宅村営バスの停留所があります

大久保集落の入口には三宅村営バスの「大久保浜バス停」がぽつんと立っていました。本数は左廻り、右廻りともに1日5本づつしかありません。東海汽船の発着港から歩いてやって来られるような距離でもなく、村営バス利用だとかなり大変そうな本数の少なさですね。島の通学バスを兼ねているため朝の1便が7時台と早いのがネック。これでは宿でゆっくり朝寝ができません。

このように三宅島の中でも大久保は不便な場所なので、レンタカーやレンタルスクーターで日中に通りがかって訪れる観光客はいても、大久保で宿泊する観光客は少ないと思います。というか、そういう人の姿をほとんど見かけなかったです。

[ 左廻り ]7:2710:4212:0216:0217:32
[ 右廻り ]7:4211:0712:2716:1718:07







大久保港への途中の崖にはこのようなものが?!

村営バスの停留所から左の崖を登坂していく都214号線から別れて、その先の大久保港へとさらに歩いていきます。港はすぐそこで行く手に見えていましたが、道すがらにこんな物がありました。はて、これはなんだろう?






水の乏しい離島ならではの「水汲み場」がありました

「水汲み場だ!」怪しいコンクリートの中を覗いてみると、苔むした水槽に清水が溜まっていました。水の乏しい三宅島では、水道が整備されるまでは集落の貴重な飲料水だったに違いありません。伊豆諸島の離島では集落のそばで使われなくなった水汲み場をよく見かけますが、もちろんこれは現在は使用されていないですよ。






道端の崖の途中に祀られていた小さな祠

やや、道端の崖の途中に名もなき小さな祠が! 三宅島はとくに神社が多い島ですが、神社のみならず道端では小さな祠もよく見かけます。噴火という自然の驚異に接してきた島民のささやかな信仰の対象になっていたのでしょう。付近の崖を覆うコンクリの擁壁も祠のある部分だけカットされており、祠の前まで階段が付けられていました。






三宅島の中でもとくに小さな大久保漁港

大久保港です。宿から歩いて20分くらいでしょうか。港には小さな大久保漁港も併設されていますが、漁の小舟が数隻置かれているだけのささやかな漁港みたいです。堤防では海を眺める人や釣り師が数人いただけで淋しい限りの場所でした。

できれば今夜の宿の夕食にはこの漁港で水揚げされた魚を食べたいものですが、果たしてそれはどうかな〜? しばらく港から海を眺めて今きた道を引き返します。

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