2022 北海道林道探索ツーリング 8月12日(金)晴れ 林道探索の書 〜今日もどこかで林道ざんまい〜 
16日目[8]  猿払村「浜鬼志別 Hamaonishibetsu→ 紋別市「紋別 Monbetsu もどる  






ガソリン給油量 10.9L 給油回数4回 ガソリン代 1918円 総走行距離  296.2 km / ダート走行距離 58.9 km トップへもどる


山越え区間の下り坂を下りきると、やがてオンネコムケナイ川流域に広がる牧草地の傍に抜け出しました。その後は緩いアップダウンで右手に広々とした草地を眺めつつ進んで行きますが、ダートは今にも夏草に埋もれてしまいそうでやや草深い感じ。車両の通行も極めて希薄でほとんどないみたいです。







道すがら、ダートの右手に連なって広がる牧草地です。牧草地は刈り込まれてきれいな芝生状態になっていましたが、牧草はすでにロールにされて収穫された後だったのかもしれませんね。なお、牧草地の向こう側の山林の山裾地点にはオンネコムケナイ川が流れているはずですが、もちろんここからは全く見えていません。







そんな感じで牧草地体の傍を進んでいくと、やがて弘道林道は左右に延びるダートに突き当たって終点となりました。しかし、ここは弘道林道の終点を示す林道標がポツンと立っているだけで周囲にはなにもない場所。一瞬、左右のどちらに進むべきかで迷ってしまいますが、最寄りの幹線道路(R238)に退出するには左折します。







分岐の左折側、すなわち紋別市弘道へと至るR238方向の様子です。弘道林道はここでエンドでしたが、嬉しいことに弘道集落に向かってダートはなおも続くみたいだな。ちなみに前方左手の樹林の藪の中に弘道林道を示す林道標が見えています。







路肩の樹林の中で藪にまみれて設置されていた弘道林道を示す林道標。なお、「終点を示す」と述べましたが、林道標には「民有林林道 弘道線 紋別市」と記されているだけで、終点を示す記載はないので、正確にはここが終点なのか、それとも起点になっているかについては不明ナリ。







ちなみに分岐の右方向はこんな感じ。右折方向には林道標が設置されておらず、その先が名のある林道なのか、それともただの名無し系であるのかについては不明ですが、この先には金や水銀、辰砂などを採掘した住友金属鉱山の「八十士(やそし)鉱山」跡があるらしいので、鉱山マニアの方は弘道林道探索ついでにどうぞ。







一般道に退出すべく分岐は左折して弘道集落方面に向かって引き続きダートを進んで行くと、傍に林道重機が止められていた右折ダート分岐が現れましたが、やはり林道標は未設置。立ち入って探索調査してみたい気もしましたが、現れる分岐をその都度探索していてはいくら時間があっても足りないのでパスします。







なぜかやたら土塊立っていた右折ダートの様子です。地理院地図によれば、紋別市八十仕(およそ6.5キロ)および紋別市「小向」にある「小向の丘」(およそ3.3キロ)付近へと複雑なルートで繋がっているようですが、地図通り実際に通り抜けられるのか、そしてここは名のある林道であるかについては不明ナリ。







分岐を直進してさらに進んでいくと、紋別市弘道集落内の十字路に突き当たったこの場所でダートは終了しました。しかし、付近に民家は見当たらず、広大な牧草地帯が広がっているだけ。なお、十字路に道標の類は設置されていませんが、ここは左右もしくは直進のいずれの方向に進んでも最終的にはR238に突き当たります。







ダート終了地点となっていた舗装市道の十字路を振り返るとこんな感じ。ちなみにR238側から弘道林道にアプローチる場合ですが、弘道林道方向だけが未舗装になっているので、道標がなくてもさほど迷うことはないと思います。というわけで1.6キロほど離れた国道に退出すべく十字路を直進していくと・・・?







右手の路肩に「竹内文吉翁之碑」と刻まれた古い石碑を発見しました。これが先述した石碑ですが、竹内文吉さんというのは、今から100年以上も前の1991(明治33)年に現在の紋別市「小向」に「小向駅逓所」を開業し、駅逓取扱人を務めた人物。

なお、「取扱人」というのは、半官半民の請負制で各地に開設された駅逓の運営管理を任された人のこと。取扱人にはそれ相応の資格と資質、資産が要求され、公職の経験があったりするなどその土地の草分け的存在であることが多く、付近の入植者の世話役だった人物が多いそうですが、竹内文吉さんはそのような方だったんですね。

また、竹内文吉さんは林道名由来の弘道集落の開設にも尽力していますが、それら数々の功績を讃えて建立されたのがこの石碑というわけ。しかし、明治時代に生きた人なので、近在の方でも竹内文吉さんのことを知る人はもう少ないと思われます。







その後、R238へと進み、左手に「オホーツク紋別空港」を眺めたりしながら北上して紋別の市街地に無事到着。市街地に到着したら町の中心地に向かう道305に進み、紋別市「南が丘町」7丁目で見かけたアポロステーション南ヶ丘SSで給油しておきます。ハイオクL / 170円で3.08L(526円)入りました。







明日に備えてに備えて給油を終えたら、市街地を走行中に見かけたセイコマ紋別南が丘店にピットイン。お決まりの冷たいアイスコーヒーで喉を潤し、今日の林道探索を振り帰りつつ、林道探索後のまったりとした寛ぎのひと時を過ごします。







セイコマを後にしたら、ひっそりとして人気のない紋別の町中を適当に彷徨いながら本日のお宿「旅の宿からまつ」に向かいますが、ここ紋別は1989(平成元年)5月1日限りで廃止されてしまったJR北海道の名寄本線の「紋別駅」があった町。

かつては札幌から直通の急行「紋別」が発着し、1985(昭和60)年4月1日で廃止された国鉄渚滑線の列車も一部乗り入れるなど、名寄本線では最大の駅だったそうですが、残念ながら今は鉄道の通わぬ寂しい町になっています。

ちなみに1943(昭和18)年〜1948(昭和23)年までの僅か5年間だけですが、かつての紋別駅には紋別〜鴻之舞鉱山(元山駅)間を結び、人や鉱山の生活物資を運搬していた延長距離28kmの「鴻紋(こうもん)軌道」接続していたんだって。







旅の宿からまつに到着しました。場所は「紋別市オホーツク森林公園」の傍にあって、あまり旅館らしからぬ建物というのが第一印象ですが、それもそのはず。どうらやらここは森林公園の「林業宿泊研修センター」の建物をリニューアルして公共の宿にしたっぽいです。でもそのおかげで宿泊料金はとってもリーズナブルなんだよな〜。







ガラリと入口を開けて入ったすぐのところにフロント。といっても元は林業研修センターなので、普通の旅館やホテルのようなフロントはなくて、スマホ利用のコロナ検温システムとコロナ除菌アルコールスプレーが置いてあるだけの簡素な作り。右手にある食堂兼事務所を覗き込むと宿のご主人がすぐに出てきてくれました。







宿への到着を告げ、先払いで宿泊料金6820円(宿泊料金3800円+夕食料金1500円+朝食料金900円)を支払った後、指定された客室に向かいますが、館内には研修センターの趣が今もなお色濃く漂い、宿らしからぬ雰囲気がプンプンでした。







チックインを済ませたら宿のスリッパに履き替えて、リノリウムの長い廊下をパタパタと歩いて客室に向かいますが、装飾度ゼロで飾りっ気のない無機質な館内この雰囲気、やはり前身は林業研修センターに間違いなさそうです。しかし、風呂に入れて食事ができて気持ちよく寝られれば、それ以外は別に気にしませんよ。







そしてこれが今晩お世話になる旅の宿からまつの客室です。コロナのためベッドの間がビニールシートの衝立で仕切られているため狭苦しさが感じられ、客室内の雰囲気はお世辞にも明るいとは言えず、そこはまるで病院の病室みたい・・・。しかし、こんな客室の宿でも夏休みシーズンには満室になるのであらかじめ予約が必要です。

というわけで、普通の旅館やホテルの客室を想像しているとギャップがかなり大きいですが、元は林業研修センターであり、宿泊料金も安いので文句は言えませんね。とは言っても、客室内にはミニ冷蔵庫に冷房、テレビがちゃんと備え付けられているので、宿としてはまったく問題はありません。







客室の窓から外を眺めるとこんな感じ。宿の建物に隣接して前方に白い建物が見えているだけでしたが、それは森林公園関係の建物ではなくて、「紋別市シルバー人材センター」の建物だったような気がします。







客室で旅装を解いたら夕食前にまずは林道探索の汗を流すべく風呂ですが、浴室はフロントから客室へと向かう長い廊下の途中にありました。宿のご主人の話では、浴室は狭いので夕方は順番待ちで混むのとのこと。旅先の宿では風呂の順番待ちほど嫌なものはないので、そうならぬ前に一番風呂でさっさと入ってしまうに限ります。

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