2025 冬景色の海を眺めて適当に東北旅 〜津軽沿岸・津軽海峡・陸奥湾沿岸〜 2月2日(日) 林道探索の書 〜今日もどこかで林道ざんまい〜 
3日目  五所川原市→ 外ヶ浜町平舘不老不死温泉 tairadate furofushi onsen もどる  






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その後、ライオン公園の前を通り過ぎた先で小泊方向からやって来た県111に合流し、そのまま小泊漁港に面した中泊町「小泊下前」を通過中。少し手前に観光客相手に海鮮を食べさせる飲食店が一軒ありましたが、立ち寄ることなく進んでいくと、今度は左手に「すくすくしたまえ館」なる建物が現れます。

駐車場もあって道の駅に類似した物産館なのかと思ったのですが、ただの公民館っぽかったので、ここも立ち寄ることなくそのまま通過。







すくすくしたまえ館を通過し、その直後に現れた「下前漁業協同組合」の青い建物の前を通り過ぎていくと、右手に小泊漁港(下前漁港)の船溜りが出現。堤防に囲まれた静かな漁港の景色を眺めながら小泊岬に向かってさらに進んで行きます。







にゃ〜ん。餌となる魚を求めてにゃんこつたちが漁港に集まるのは自然なことですが、道すがらの民家の軒下で集会を開いているのを目撃しました。







その後、漁港に面した中泊町「下前」の最奥民家を通り過ぎた少し先で「権現崎駐車場」が現れますが、そこが県道区間の終点になっています。

ちなみに道はなおもゲート地点から小泊岬方向に500mほど続いていますが、しかし、ここで前進を拒むまさかの屈強な鉄柵門ゲートが・・・。どうやらこの先で土砂崩れが発生しているらしく、そのための処置みたいです。







鉄壁ゲートによってそれ以上進めなくなったので、とりあえず波打ち際に設けられていた誰もいない権現崎駐車場ににピットイン。そこから冬の日本海を眺めますが、しかし、元々小泊岬まで車道は通じていなかったりします。

というわけで二輪や四輪では小泊岬に行くことはできず、また権現崎駐車場から小泊岬は見えていないので、どうしても岬や岬に立つ「小泊岬南灯台」を眺めてみたい場合は「小泊権現崎展望台」まで往復1800m、高低差230mの山道を歩いて登るか、海岸伝いに荒れ果てた危険な遊歩道跡を歩く必要があります。

しかし、今は真冬の季節。雪で滑って崖落ちしたら命に関わるので、小泊岬に向かうのは止めておいたけどさ・・・。







ちぃ、やっぱり見えていねーぜ。権現崎駐車場前の浜から西方向(右手)に小泊岬方向を眺めてみましたが、小泊半島先端の「尾崎山(229.6m)」から連なる断崖の影に隠れて岬は全く見えていませんでした。

このまま波打ち際を少し歩いて行けば岬が見えるかもと思いましたが、海風は鼻水が垂れてくるほど冷たいし、浜に散乱するゴロタ石に足を取られてすっ転んでも面白くないので止めておいたけどさ・・・。







おお、ここでも天から差し込む神々しい光のシャワーが! こちらは権現崎駐車場前の浜から正面に眺めた海ですが、遥か彼方の水平線上には小泊岬の南にあって、直線距離にして38km離れた鯵ヶ沢付近の陸地が見えており、左方向には小泊半島から鯵ヶ沢まで弓形に続く「七里長浜」の長大な海岸線も一望できました。







続いて権現崎駐車場前の浜から南東方向(左手)を眺めてみると、つい先ほど通ってきた折戸まで続く断崖続きの海岸線と、十三を経て鯵ヶ沢までひたすら続く七里長浜の海岸線がよく見えています。海岸伝いに小泊半島までどれほどの距離を進んできたのかが一目瞭然なので、これはなかなか爽快な眺めです!







しばし海を眺めたら権現崎駐車場を出発。お次は「外ヶ浜町」の「龍飛岬」を訪れるべく、先ほど北上した道をそのまま南下して引き返し、右手に海を眺めつつ中泊町折戸から五所川原市「脇元」に向かってR339を移動していきます。

ちなみに小泊町から龍飛岬へは「竜泊ライン(R339)」経由で日本海伝いに北上していくのが最もオススメであり、夏のツーリングルートとしても最高なのですが、生憎と竜泊ラインは現在冬季閉鎖中。したがって、ほぼ2倍の距離の遠回りになってしまいますが、外ヶ浜町「三厩」経由で向かうしかありません。







R339の折戸〜脇元間は波打ち際コースが続きます。ご覧の通り、路肩にはひたひたと波が打ち寄せ、夏は最高に爽快な区間になっていますが、そういえば以前は国道沿いに宿泊もできた温泉公衆浴場「雄乃湯温泉」があったなー。

雄乃湯温泉は林道ツーリングで初めて津軽半島を訪れたさいに立ち寄り湯した記憶がありますが、しかし、2009(平成21)年に廃業・・・。

そして竜泊ライン沿いにあった「竜泊温泉青岩荘」もオーナーが変わって温泉入浴できなくなってしまい、津軽半島北部の温泉旅館は今宵投宿する外浜町の「平舘不老不死温泉」を唯一残して全滅しています。というわけで津軽半島は温泉空白地帯と化してしまい、温泉好きには魅力の薄い場所になっています。







かつての「市浦村(しうらむら)」であり、2005(平成17)年に「金木町」と共に五所川原市に吸収合併されたことで消滅し、現在は五所川原市の飛び地になっている五所川原市脇元まで国道を引き返してくると、左手に特徴的な小山と風力発電風車と雪化粧の津軽山地(中山山脈)が見えてきます。







雪化粧の津軽山地を背後にそびえ立つ「くろしお風力発電株式会社」が所有する「市浦風力発電所」の風車。風車はドイツENERCON社製の出力1930kWの「E-82」で、ハブの高さは78m、ローターの直径は82m。東北電力への売電目的で建設された市浦風力発電所では牧場の中に建設された8機の風車が稼働しているそうです。

ちなみに青森県は再生可能エネルギー供給量は全国第5位ですが、県内の再生可能エネルギー供給量のうち60%を風力発電が占めており、風力発電による供給量は全国第1位になっています。そういうわけで青森県は風力発電は風車だらけですが、特に沿岸地域ではどこに行っても風車をよく見かけるんだよな〜。







風車の背後にそびえる津軽山地。白く雪化粧した様子がとてもきれいですが、あれは津軽半島の日本海側と陸奥湾側とを隔てる通称「中山山脈」と呼ばれる山地。これからあの津軽山地を山越えをして陸奥湾に面した外ヶ浜町に向かいます。







前方に見えていた円錐形をした「靄山(もややま)」です。標高僅か152.3m、お椀をひっくり返したような円錐形をした独立峰で、山頂には「脇元岩木山神社」があり、昔から山裾の脇元集落の人々によって「お山参詣」が行われてきたそうですよ。三角形をした美しいその姿から別名「津軽のピラミッド」とも呼ばれます。







その後、R339で十三湖北岸を進んで中泊町「今泉」にて県12(やまなみライン)へと左折。道すがらの雪景色を眺めながら登坂していきますが、標高が上がるにつれて、あれよあれよっという間に積雪量が爆発的に増えていきました。

ちなみに津軽半島を東西に横断する県道は3本あって、やまなみライン(県12)以外の県2と県22(津軽あすなろライン)は冬季閉鎖されてしまうのですが、道すがらの積雪量を眺めればそれも納得ですなぁ。

しかし、津軽山地を横断するすべての県道が冬季閉鎖されると、雪の季節に半島を横断するには恐ろしく遠回りな青森経由しかなくなるので、県12(やまなみライン)については、なにがなんでも通行を死守している感じです。







坂道を登り切ったところで日本海側の中泊町と陸奥湾側の外ヶ浜町との境界、すなわち津軽半島の中央分水嶺の「中山峠」に到達しました。

中山峠はかつて青森市内から陸奥湾沿いに北上して「旧蟹田町(現外ヶ浜町)」で西に折れて中山峠に向かい、えっちらほっちらと山越えをして旧中里町へと至っていた「津軽森林鉄道」も越えていた峠ですが、現在の県12は「やまなみトンネル(523m)」であっという間に中山峠を越えていきます。







中山峠を越えたら道は下り坂に転じ、そのまま北海道新幹線とJR津軽線の交差駅「太平駅」に向かい、太平駅付近で県14へと左折して「今別町」に進み、津軽海峡の三厩湾に面した今別町「今別」を目指します。

その後、県14を今別に向かって北上していくと、右手に隣接し合う「津軽二股駅(津軽線)」および「奥津軽いまべつ駅(北海道新幹線)」が現れるのですが、線路を渡った反対側となる奥津軽今別駅のすぐ裏手には安兵衛林道の入口があって、もうかなり前に探索したことを思い出しました。







これが新幹線の駅でありながら、東京および新函館北斗方面に1日僅か7本づつしか停車しない奥津軽いまべつ駅のすぐ裏手に存在する安兵衛林道の入口。しかし、県12からだと線路のガード下を潜ってぐるっと迂回してくる必要があります。







安兵衛林道入口はこんな感じですが、安兵衛林道は今別町「大平川(奥津軽いまべつ駅付近)」から、「袴腰岳(707m)」と「丸屋形岳(718m)」との鞍部の峠を越えて陸奥湾の「平舘海峡」に面した外ヶ浜町「平舘野田鳴川」へと至る山岳林道です。延長距離は15kmほどあって走り応えも申し分ありません。







ただし、今別町から外浜町へと抜けるには、途中で安兵衛林道から東沢丸山林道へと乗り継ぐ必要があります。そのため道間違いには要注意ですが、安兵衛林道から東沢丸山林道に乗り継いでガンガンに進んでいくと・・・。







やがて道すがらの眼下に海が見えてきます。対岸に見えている陸地は下北半島ですが、ここは津軽海峡に面した陸奥湾の入口地点。津軽半島と下北半島に挟まれた平舘海峡と呼ばれる陸奥湾が最も狭まった海域ですが、峠を越えて山越えをする東沢丸山林道からはそんな海が見えていたんだよな。







しかし、外ヶ浜町への通り抜け成功は確実だと思われた東沢丸山林道ですが、進むにつれてダートは藪まみれで大荒れ! 地図上では完抜けルートになっていたものの、実際には通り抜けは叶わず、無念の涙を飲んで今別町への撤退を余儀なくされてしまったという懐かしい林道ですけどね。







そんな感じで懐かしい津軽二股、奥津軽いまべつ駅前を通り過ぎて県14を進むことしばし、やがて今別の町に到着たらR339を左折。その後は津軽海峡の三厩湾を右手に眺めながらひたすら龍飛岬を目指しに進んでいきます。







現在、外ヶ浜町「三厩鳴神」付近を走行中。そして残念ながら区間廃止が決定したJR津軽線の終着駅「三厩」から龍飛崎間は、2005(平成17)年3月28に蟹田町、平舘村と合併して外ヶ浜町が成立する以前は「三厩村」だったところ。なので龍飛崎に至る地名には「三厩」の文字が付けられているんですね。







さらに海沿いに進んで現在、外ヶ浜町「三厩鐇泊(みんまやまさかりどまり)」〜「梨ノ木間(なしのきま)」を走行中ですが、R339は1944(昭和19)年、当時34歳であった太宰治さんが龍飛を目指して徒歩旅行をした道。

その時の旅の様子は小説「津軽」で記されており、当時はこのような立派な道やトンネルはなくて、13本の「洞門」を潜り抜けて龍飛を目指したそうですが、R339沿いにはそんな洞門跡がいくつも残されているのを見かけたな〜。







昭和30(1955)年代後期の龍飛へと向かう現在のR339と洞門です。まだ粗末な未舗装路だった道はガタガタで狭く、海が時化るたびに交通が遮断されたそうで、また、冬は細々と通っていたバスも運休。当時の龍飛は陸の孤島状態だったそうです。







かつて13本あった洞門のうち、現在も国道として現役なのは4本のみで、これはそのうちの2本の「第4号洞門(手前)」と「第5号洞門」ですが、R339はこのような残存する洞門やトンネルを通って龍飛崎目指して進んでいきます。

ちなみにかつて13本の洞門が連続したこの区間の道路建設工事は、1929(昭和4)年に完成していますが、その建設費用は三厩地区のアワビ漁による収益で賄われたため「あわび道路」とも呼ばれていたそうです。その後、道路は県道に昇格し、さらに現在の国道339合線へと昇格されています。

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