2025 冬景色の海を眺めて適当に東北旅 〜津軽沿岸・津軽海峡・陸奥湾沿岸〜 2月2日(日) 林道探索の書 〜今日もどこかで林道ざんまい〜 
3日目  五所川原市→ 外ヶ浜町平舘不老不死温泉 tairadate furofushi onsen もどる  






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その後、三厩川柱(みんまやかわしら)、三厩尻神、三厩鳴神、三厩于鉄山、三厩梹榔(みんまやひょうろう)、三厩鎧嶋、三厩木落の順に、物悲しくさびれた小さな漁村をいくつも通り抜けて、やがて「龍飛漁港」の堤防が見える地点まで進んできました。ここまで来れば龍飛崎はもう近いです。







そして津軽半島最北の集落「龍飛」に到着! 太宰治さんが小説の中で「ここは本州の極地である。この部落を過ぎて路は無い。あとは海に転げおちるばかり」とか「不意に鶏小屋に頭を突っ込んだ」と述べた場所ですね。







龍飛集落のすぐ目の前には「龍飛漁港」があって、前方には三角錐を2つ並べたような特徴的な形をした標高37mの「帯島」が見えていますが、そのすぐ左の地点が津軽半島最北端の「龍飛崎」。ちなみに本州最北端の地は龍飛崎でも下北半島の尻崎崎でもなくて、下北半島の「佐井村」にある「大間崎」ですよ。







現在、龍飛に至る唯一の公共交通機関は三厩駅前〜龍飛崎歌謡碑間を結ぶ外ヶ浜町の町営バスのみ。漁港の前に「龍飛漁港バス停」がありましたが、現在(令和7年7月)JR津軽線は蟹田〜三厩間で長期運転見合わせに陥っています。

したって龍飛へは三厩駅で代行バスもしくは、事前予約制のデマンド乗合タクシー「わんタク定時便」から乗り換える必要がありますが、代行バスおよびわんタク定時便は三厩駅で町営バスに接続しています。

[ 運行ダイヤは2025年4月1日〜 ]
1便 三厩駅前 6:05 → 龍飛漁港 6:30 → 龍飛崎歌謡碑前 6:35
2便 三厩駅前 8:05 → 龍飛漁港 8:30 → 龍飛崎歌謡碑前 8:40(注2)
3便 三厩駅前 11:20 → 龍飛漁港 11:45 → 龍飛崎歌謡碑前 11:55(注2)
4便 三厩駅前 13:15 → 龍飛漁港 13:40 → 龍飛崎歌謡碑前 13:50(注2)
5便 三厩駅前 15:10 → 龍飛漁港 15:35 → 龍飛崎歌謡碑前 15:45(注2)
6便 三厩駅前 17:20 → 龍飛漁港 17:45 → 龍飛崎歌謡碑前 17:50
7便 三厩駅前 18:35 → 龍飛漁港 19:00(注1)
8便 三厩駅前 20:05 → 龍飛漁港 20:30

1便 龍飛漁港 5:20 → 三厩駅前 5:50(注1)
2便 龍飛崎歌謡碑前 6:40 → 龍飛漁港 6:45 → 三厩駅前 7:12(注3)
3便 龍飛崎歌謡碑前 8:45 → 龍飛漁港 8:50 → 三厩駅前 9:20
4便 龍飛崎歌謡碑前 12:00 → 龍飛漁港 12:07 → 三厩駅前 12:35(注2)
5便 龍飛崎歌謡碑前 14:05 → 龍飛漁港 14:12 → 三厩駅前 14:40(注2)
6便 龍飛崎歌謡碑前 16:35 → 龍飛漁港 16:42 → 三厩駅前 17:10(注2)
7便 龍飛崎歌謡碑前 17:55 → 龍飛漁港 18:00 → 三厩駅前 18:25
8便 龍飛漁港 20:35 → 三厩駅前 21:00

(注)龍飛漁港〜龍飛崎歌謡碑前間は気象や路面状況によっては運休になるので注意!
(注)運賃は100円 / 蟹田、平舘、三厩区域をまたぐ場合は200円
(注1)土日祝日および年末運休
(注2)青函トンネル記念館前経由
(注3)三厩駅前経由外ヶ浜中央病院(8:15着)行き
    三厩駅前〜外ヶ浜中央病院間は病院利用者の優先乗車







昭和40(1965)年代、国鉄津軽線が青函トンネル工事で多くの乗客に利用され、最も賑わっていた頃の三厩駅と青森からの到着列車。

しかし、令和の現在、津軽線にかつての賑わいはなく、2022(令和4)年8月に北陸、東北地方を襲った豪雨によって津軽線は甚大な被害を受け、蟹田〜三厩間は3年経った今も運休状態が続いていますが、しかし、同区間は復旧されることなく2027(令和9)年春に廃止されることが決定。

それにしても鉄路が廃止されるとなると、運転免許を持たぬ者には龍飛はますます訪れにくい遠い場所になってしまうなぁ・・・。







バス停を眺めていたら赤ピンク色のマイクロバスがやって来ましたが、それが三厩駅からの町営バスでした。それにしてもなんともハデな町営バスだぜぇ!







しかし、当方がバス待ちの乗客でないと分かると、町営バスはバス停で一瞬も立ち止まることなく漁港の駐車場で反転。僅かに乗っていた乗客は一人も下車することなくそのまま立ち去ってしまいました。

ちなみに三厩から龍飛埼灯台(龍飛崎歌謡碑前)に向かう町営バスは、いったん龍飛崎の手前にある「龍飛埼灯台」入口を通過して龍飛漁港まで北上し、すぐに三厩方向に引き返した後、龍飛埼灯台入口から高台を登って終点に至ります。

ちなみに津軽半島最北端を訪れる観光客のほとんどは「龍飛崎」ではなくて、「龍飛埼灯台」を目指します。なので龍飛漁港で途中下車する観光客はほとんどおらず、皆さんそのまま龍飛埼灯台(龍飛崎歌謡碑前)まで乗車するみたいですが、そういうわけで町営バスも龍飛漁港バス停で立ち止まることなく通過していったんですね。







出歩く人の姿も全く見かけず、シーンと静まり返った本州最北端の「龍飛」集落。道路のすぐ向かいは龍飛漁港の船溜りがありますが、しかし、人気の観光スポットの龍飛崎灯台とは異なって、ここに観光的な施設やお店は皆無。過疎化で廃屋も点在する淋しい家並みが三厩方向に続いているだけです。







龍飛漁港は津軽半島最北端の龍飛崎にある漁港。津軽海峡と日本海が接するところに位置しているため前沖は良好な漁場であり、古くから海上交通の要衝にもなっていたようです。主な水揚げはヤリイカやマイカ、タコ、カレイ類、ヒラメ、アンコウとのこと。以前はコンブも多く採れたそうですが、現在は減少気味なんだって。

漁港のすぐ傍には赤い社殿が見えていますが、あれは津軽海峡を行き来する船乗りたちの信仰を集める「弁財天宮」。創建は不明らしいですが、かなり昔からあったそうで、江戸時代後期の旅行家だった菅江真澄さんの「菅江真澄遊覧紀」の中にも、于鉄地区の漁師さんから聞いた弁財天宮の話が記されています。







静かな龍飛漁港のたたずまい。龍飛の名を全国的に有名にしたのはやはり「青函トンネル」の建設工事。青函トンネルは1954(昭和29)年に台風15号によって発生した青函連絡船「洞爺丸」の沈没事故を受けて計画され、1988(昭和63)年に「津軽海峡線」として開通。その本州側の工事拠点になっていたのが龍飛だったんですね。

ただし、青函トンネル開設工事の拠点が設けられていたのは、龍飛漁港から少し離れた現在の龍飛埼灯台がある高台の上。さすがに道路や漁港の施設などは現代風に変わっていますが、ここ龍飛漁港は基本的に昔も今も変わらぬ鄙びた漁村のまま。







そういえば、かつて陸の孤島と呼ばれた龍飛には、青森市内から週に一度だけ定期船が通っていて、道路が脆弱だった当時はこの定期船で日用品が運ばれたそうですが、できればこのような定期船に乗ってのんびりと津軽を旅してみたかったなぁ。







龍飛漁港のすぐ傍にある帯島。帯島という名前は奥州平泉から生き延びて北海道へ向かった「源義経」が、ここで帯を締め直したという伝説に由来するそうです。そんな帯島は一応「島」ですが、龍飛漁港の傍からコンクリ橋で本土と繋がっているので、帯島に祀られている弁財天宮の前まで二輪や車で訪れることができます。







37mという帯島の断崖の高さがどれほどなのかイマイチ実感しにくいですが、断崖直下に立っている電柱と大きさを比較することで、その高さが実感できました。







龍飛漁港の「ミッキー食堂」。以前、初めて龍飛を訪れた時は営業していたのですが、いつの間にか廃業していましたよ。

また、ここ龍飛漁港にはあの太宰治さんが「いや、おばあさん。僕たちは少し多く飲みたいんだ」と言ってN君と共に投宿した「奥谷旅館」があります。文学ブームの時は太宰ファンの文学青年や文学少女が全国から押しかけ、連日満室状況で廊下に寝る宿泊客もいたそうですが、旅館は1999(平成11)年に廃業済。

ちなみに文学青年少女の聖地であった奥谷旅館の建物は現在、外ヶ浜町龍飛埼観光案内所「龍飛館」になっていますが、かつてあった食堂や旅館はことごとく廃業し、龍飛も以前と比べてすっかり寂れてしまった感が大きかったなぁ・・・。







そして道路の行止まり地点、すなわち津軽半島最北端の龍飛崎方向はこんな感じ。右手に龍飛漁港と帯島を眺めつつ歩いていくと・・・。







すぐその先で道は本当に行き止まり! 太宰治さんが小説の中で「この部落を過ぎて路はない。あとは海にころげ落ちるばかりだ」とか「ここは本州の袋小路である」と描写した地点ですが、しかし、さすがにクソ寒い真冬に龍飛崎を訪れる観光客は皆無。堤防の脇にあった龍飛崎の海を見渡す四阿には誰もいなかったぜぇ。







太宰治さんに本州の袋小路と言わしめた龍飛先から眺めた冬の津軽海峡です。冬雲の垂れ込める中、水平線の先までよく見えていましたが、波消しの大量のテトラがせっかくの眺めをぶち壊していましたが、まあ、仕方ないですね。







うおおーっ、水平線上には北海道の大地が! 眺めているのは龍飛崎の北北西、直線距離にしておよそ20km離れた北海道「福島町」の辺り。そしてこの海の底には青函トンネルが北海道目指して一直線に伸びているわけですが、この津軽海峡の下にトンネルを掘ってしまうなんて、改めてその凄さに実感させられますなぁ!







観光客は人っ子一人誰もいなかった龍飛崎でしたが、よく眺めると波打ち際の磯で貝拾いをするおっさんがいました。夕食のおかず?







龍飛漁港が位置するのは龍飛崎の北端地点ですが、付近には岩石海岸と呼ばれる海食崖が連なっています。そのため波打ち際からだと、見上げるような海食崖の断崖に視界が遮られて見晴らしはあまりきかないんだよな。

それに対して龍飛崎背後の台地上に立つ「龍飛埼灯台」からだと、視界がパノラマ的に開けるので、ほとんどの観光客はそちらに向かうんですね。







龍飛埼から真冬の津軽海峡をしばし眺めたら引き返しますが、龍飛漁港から波打ち際に向かうこの歩道こそがまさしく「津軽半島最北端の道」っす。







龍飛崎といえば日本で唯一の徒歩でしか通行できないR339の「階段国道」区間が存在することで知られていますが、階段区間の入口は町営バスのバス停がある「外ヶ浜町公衆トイレ」から右手に見えています。







うひゃぁー、これが階段国道かぁ! その名の通り、車もバイクも自転車さえも走行不可能なR339の階段区間ですが、総延長は388.2m、362段の階段で高低差68mを一気に登坂していきますが、残念ながら訪れた時は冬季閉鎖中でした。

ちなみに階段国道を経由すると龍飛漁港から龍飛埼灯台までは歩いても近いですが、しかし、この鬼階段がそれを拒みます。なのでツーリングで訪れてどうしても歩いてみたい方は、灯台にバイクを駐車しておいて、そのうえで階段を下って漁港に降り、漁港のバス停から町営バスで灯台に戻るコースがオススメだったりします。







おお、やったぜぇ。津軽半島最北端の郵便局発見! R339を三厩方向に250mほど歩いて戻ると、道路を挟んで津軽海峡の海に面した「龍飛崎郵便局」がありました。そういえば昔、鉄道旅行ついでに「郵便貯金」をしまくった某レイルウェイライターがおられましたが、あはは、そこまでマニアではないので貯金はしませんぜ。







あまり遠くまで歩いて行っても仕方ないので、龍飛崎郵便局を眺めたら龍飛業港に戻りますが、戻りがてらには龍飛漁港と帯島がよく見えていました。







やや、あれは「龍飛港第1北防波堤灯台」じゃないですか! 津軽半島最北端の灯台はというと、たいていは龍飛埼灯台だと思ってしまいますが、実は龍飛埼灯台よりも僅かに北に位置するこの龍飛港第1北防波堤灯台こそが最北なんだよな。

津軽海峡の海と北海道を背にして堤防の突端にそびえる真紅の姿がきれいですが、そんな龍飛港第1北防波堤灯台の諸元は以下の通り。

   【龍飛港第1北防波堤灯台】
位置 / 北緯41度15分6秒 / 東経140度20分9秒
塗色構造 / 赤塔形
灯質 / 等明暗赤光 / 明2秒暗2秒
光達距離 / 5海里(およそ9260m)
塔高 / 6.7m
灯高 / 10m
初点灯 / 1988(昭和63)年10月







うげぇ、なんじゃこりゃ?! 龍飛漁港まで歩いて戻ってきましたが、漁港のテトラには白い粒々がいっぱい! よく眺めるとそれはウミネコとカモメの大群でしたが、テトラの一つの突起に1羽づつといった具合いで整然と羽を休めていましたが、それにしても数があまりにも多くてなんだか気持ち悪い光景でした。

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