三宅島と噴火
  三宅島の歴史 林道探索の書 〜今日もどこかで林道ざんまい〜 
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有史以前から何度も噴火を繰返している三宅島火山

三宅島火山
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三宅島は東京の南およそ180kmに位置する日本でも有数の火山で、応徳2(1085)年以来、多数の噴火記録が残されています。「三宅火山」は水深約400mから立ち上がり、海底部分を含めて南北25km、東西15kmにもおよぶ広がりを持つ火山で、海上部分には直径およそ8kmでほぼ円形をした三宅島が現れています。

三宅島火山では山頂噴火のほかに山腹に放射状に新たな火口が並ぶ割れ目噴火が頻繁に起こっています。その結果、線上に配列する「スコリア丘」や、マグマ水蒸気爆発で開いた「マール」と呼ばれる爆裂火口が数多く見られるのが特徴で、大路池のある「古澪(ふるみお)」や、宝暦13(1763)年に形成された新澪(しんみお)池跡などはそのようなマールであり、山腹を流れ下った流動性の高い溶岩は山麓や海岸で溶岩扇状地や岬を形成。三宅島の西〜北の海岸には高さ50m以上もの海岸崖が連続しています。






過去1万年間の噴火で最大だったのが約2500年前の八丁平噴火

三宅島火山の噴火活動の歴史
三宅島火山の活動はカルデラの形成や火山活動の休止期をもとに、以下の5つの活動期に分類されています。

先大船戸期
雄山の西〜北の標高350m付近の山腹にある「桑木平カルデラ」が形成されるまでの活動期を先大船戸期と呼びます。桑木平カルデラは1万年前にはすでに存在していたらしいですが、いつどのようにできたのかはよく分かっていません。

大船戸期
桑木平カルデラが形成された後、カルデラ火山が成長した時期を大船戸期といいます。約7500〜8000年前に三宅島の北西で大船戸爆裂角礫岩の噴出・堆積(マグマ水蒸気噴火)が発生した後から4000年前までは噴火活動は不活発でした。

坪田期
坪田期の噴火による代表的な噴出物は、約4000〜2500年前に南の山腹に流出した坪田から龍根(たつね)までの海食崖に露出する溶岩および、およそ4000年前に北西の山麓で発生した伊ヶ谷豆石(まめいし)噴火による溶岩・火山豆石。そして噴火で安山岩質のマグマが噴出した点で前後の活動期と区別できるそうです。

雄山期
雄山期には約2500年前に、最近の1万年間で最も規模の大きかったか「八丁平噴火」が発生しています。噴火で八丁カルデラが形成され、カルデラの中で「雄山」が成長しています。この時期には15回の噴火があったそうで、現在の三池浜は9世紀に発生した噴火の火口跡。11世紀と12世紀にも大規模噴火が起きていますが、仁平4(1154)年の噴火後は300年ほどの噴火活動の休止期がありました。

新澪期
300年ほどの休止期を経て文明元年(1469)に噴火活動が再開した後、新澪期に含まれる現在までの間に15回の噴火が記録されています。この時期に発生した噴火は山腹噴火が特徴で、全ての噴火で山腹噴火が発生しています。






有史以降の噴火活動
産業技術総合研究所作成の活火山データベース、日本の第四紀火山カタログ、海上保安庁海洋情報部海域火山データベースおよび「三宅島祥異」および「三宅島御神火之記」などの古文書に記録された火山活動史に加えて、最近の観測結果をもとに有史以降の火山活動一覧が気象庁によって年表にまとめられています。

年表によって過去に三宅島でどれほど多くの噴火が発生しているかが分かりますが、注意すべきは「内容が多く掲載されていることが火山活動が活発なことを示すわけではない」こと。逆に記載がない時期に噴火がなかったというわけではないみたいです。

つまり、現在に近づくほど記録が多いのはそれだけ資料が多くあるということで、大正時代以降は観測資料が大幅に増えています。逆にそれ以前は資料は少ないですが、記録に残されていない小さな噴火も多数あったと考えられています。



三宅島の歴史は繰り返す噴火と共にありました

 年 規模 現象 活動経過・被害状況
 832(天長9)中規模 マグマ水蒸気噴火6月23日。降下火砕物。噴火場所は北山腹火口列
 850(嘉祥3)大規模 マグマ噴火〜
 マグマ水蒸気噴火
10月7日。溶岩流→降下火砕物。噴火場所は八丁平カルデラ内、三池マール
 886(仁和2)中規模 マグマ噴火降下火砕物。噴火場所は南西山腹(阿古南東)
 1085(応徳2)中規模 マグマ噴火溶岩流。噴火場所は南西山腹(桑木平カルデラ内)
 1154(久寿元年)中規模 マグマ噴火11月。降下火砕物、溶岩流。噴火場所は中央火口(雄山)、北東山麓(火の山峠〜椎取神社付近の噴火割れ目)
 1469(文明元年)中規模 マグマ噴火12月24日。降下火砕物、溶岩流。
噴火場所は西山腹(桑木平カルデラ西よりの貯水池付近)
 1535(天文4)中規模 マグマ噴火3月。降下火砕物、溶岩流。噴火場所は山頂〜南東山麓噴火割れ目
 1595(文禄4)中規模 マグマ噴火3月31日から約3週間。降下火砕物、溶岩流。噴火場所は西山腹(コシキスコリア丘〜桑木平噴火割れ目)。18時に有感地震、20時に噴火、溶岩は海中へ約1km 流出。阿古村は全村焼失。坪田村は風下のため火山灰、焼石が多数降り人家、畑を埋めた。死傷者なし
 1712(正徳元年)大規模 マグマ噴火2月4日から約2週間。降下火砕物、溶岩流。噴火場所は南南西山麓の噴火割れ 目。18時頃より有感地震が頻発した。20時頃に山腹で噴火が認められた。桑木平から噴出した溶岩が海中にまで流出(新鼻付近か)。阿古村では泥水の噴出で多くの家屋が埋没し、牛馬被害。鎌倉で噴火の音が聞こえた。約2週間で噴火は静まり始め翌年に止む
 1763(宝暦13)〜
 1769(明和6)
大規模 マグマ噴火、
 マグマ水蒸気噴火
8月17日〜。降下火砕物、溶岩流。
噴火場所は南南西山麓噴火割れ目および山頂。夜に雄山山頂から噴火し翌日も鳴動・自身が続いた。この間に阿古村薄木でも噴火。阿古・坪田両村に噴石、降灰。薄木に深い火口ができて水が溜まる(新澪池か)。火山活動は1769(明和6)まで続く
 1811(文化8)中規模 マグマ噴火1月27日から約1週間。降下火砕物、溶岩流。噴火場所は山頂〜東北東噴火割れ目。夜、山頂付近から北東山腹で噴火。6時頃には弱まったが、2月1日まで地震頻発。山の北西山麓に2つの割れ目が生じたが、溶岩流出に突いては不明
 1835(天保6) 中規模 マグマ噴火11月10日から10日間。降下火砕物、溶岩流。噴火場所は西山腹(桑木平カルデラ内)。地鳴り、鳴動が頻発し西山腹の笠地付近で噴火。噴石、溶岩流。噴火は同夜半には穏やかになる。噴火終了後も地震が頻発し、伊ヶ谷、阿古両村地内で崩壊、地割れ。噴火の結果、阿古村で温泉湧出。
 1874(明治7)中規模 マグマ噴火7月3日から約2週間。降下火砕物→溶岩流。噴火場所は北山腹。8時頃から時々地震。正午頃、神着村南方の山中で噴火。溶岩は北方に流れ、東郷に達し海に5000平方メートルの新しい陸地をつくる。人家45軒が溶岩に埋没。噴火、鳴動は4日後に終わったが、活動は約2週間続く
 1900(明治33) - 地震11月。三宅島、御蔵島、神津島で家屋破損。余震多数(最大マグニチュード6.6)
 1935(昭和10)- 地震8月27日〜9月中旬に地震群発(最大マグニチュード5.1)
 1940(昭和15) 中規模 マグマ噴火7月12日。降下火砕物、溶岩流。噴火場所は北東山腹噴火割れ目、山頂火口。前年末に赤場暁付近の噴石丘から、またこの年5月には赤場暁の海岸および北東山腹から水蒸気。噴火数日前から地震発生。2、3日前から海女が赤場暁湾の海中で鳴動を聞く。12日19時30分頃、北東山腹より噴火、溶岩は島下集落を覆って赤場暁に達した。山腹噴火は13日でほぼ終了。14日朝から山頂噴火が始まり多量の火山灰、火山弾を放出して8月8日頃噴火終わる。死者11名、負傷者20名、牛の被害35頭、全壊・焼失家屋24棟、その他被害大
 1943(昭和18)- 地震12月9日〜31日に地震群発
 1953(昭和28) - 鳴動、温泉異常8月。雄山で山鳴り、中腹で若木枯死、海水昇温
 1956(昭和31)- 温泉異常8月13日。三宅島の西南西約9kmの大野原島の海岸で熱湯を噴出、付近の海水昇温
 1959(昭和34) - 地震4月末から8月初めにかけて地震多発(最大マグニチュード4.6)

1962(昭和37)年の噴火で三七山付近に噴出した火柱
 1962(昭和37)中規模 マグマ噴火8月24日。降下火砕物、溶岩流。噴火場所は北東山腹噴火割れ目。5日より地震群発した後(9月まで断続)、8月24日北東山腹の標高200〜400m付近より22時過ぎに噴火(1940年の噴火場所に近い)。割れ目噴火、溶岩噴泉。多数の火口から溶岩を海中にまで流出。噴火は30時間で終了したが、噴火中から有感地震頻発し、8月30日には伊豆集落で2000回以上に達した。このため学童は島外へ疎開し、島民は極度の不安に陥ったが、地震も年末にかけて次第に収まる。地震の震源域は噴火地域ではなく、島の北西方向であった。最大マグニチュード5.9(8月26日)。被害は焼失家屋5棟のほか道路、山林、耕地など。噴石丘「三七山」生成。噴出物総量は約2000万トン
 1963(昭和38)- 噴気雄山の山頂付近に新しい噴気地帯出現
 1974(昭和49)- 地震6月27日〜30日。地震群発(最大マグニチュード6.1)
 1982(昭和57)〜
 1983(昭和58)
- 地震1982年12月〜1983年1月。地震群発(南島沖数km〜約20km、最大マグニチュード6.4)

1983(昭和58)年の噴火以前の阿古集落(左)と溶岩流に飲み込まれてしまった阿古集落(右)
 2000(平成12)〜
 2002(平成14)
中規模 水蒸気噴火、
 マグマ水蒸気噴火、
 海水変色
6月。降下火砕物、溶岩流、火砕サージ。噴火場所は山頂カルデラ、三宅島西方約1km。6月26日三宅島島内で地殻変動を伴う地震活動が始まり、震源は徐々に三宅島西方沖に移動。6月27日午前、三宅島の西方海域で海底噴火。震源はさらに西方沖へ移動し、新島〜神津島近海で群発地震活動が継続(最大マグニチュード6.5、震度6弱)。7月4日から雄山山頂直下を震源とする地震活動が始まり7月8日に山頂で噴火して山頂部が陥没。その後、断続的に噴火を繰返し、約2500年ぶりとなるカルデラを形成する噴火活動となった。8月10、18、29日に規模の大きな噴火があり、18日の噴火は山麓まで噴石を降下、29日は低温の火砕流が海まで達し、雨による泥流が頻発した。9月初めに全島避難。噴火は9月まで続き、その後は山頂火口からの多量な火山ガス放出活動に移行。一時は1日5万トンを超す二酸化硫黄の放出量となる。その後火山活動は低下して火山ガス放出量は減少。この間に小規模な噴火が時々発生して山麓で降灰

2000(平成12)年7月8日に山頂カルデラで発生した噴火(左)と噴煙に包まれた島内の様子(右)
 2004(平成16)〜
 2005(平成17)
- 噴火2004年11月30日、12月2、7〜8、9日。2005年4月12日、5月18日。降下火砕物。噴火場所は山頂カルデラ。4月、5月にごく小規模な噴火発生
 2006(平成18) - 噴火2月17日、8月23日。降下火砕物。ごく小規模な噴火発生。噴火場所は山頂カルデラ
 2008(平成20)- 噴火1月、5月にごく小規模な噴火発生。噴火場所は山頂カルデラ
 2009(平成21) - 噴火4月、5月、11月に業苦小規模な噴火発生。噴火場所は山頂カルデラ
 2010(平成22)- 噴火4月、7月にごく小規模な噴火発生。噴火場所は山頂カルデラ
 2013(平成25) - 噴火・地震1月にごく小規模な噴火発生。噴火場所は山頂カルデラ。4月17日〜6月、三宅島西方沖約10km付近で地震活動が活発化(最大マグニチュード6.2)

やっぱり三宅島は火山の島だ!
三宅島の噴火についてざっとみてみましたが、過去に多くの噴火が繰り返されてきたかが分かりますね。三宅島といえばスキューバダイビングや釣りといった「海とマリンスポーツの島」のイメージが強いですが、その本質はやはり「火山の島」。

もちろん現在(平成31[2019]年時点)は目立つ噴火活動はなくて、三宅島を訪れても噴火を意識させられるシーンはさほど多くはありませんが、それでも各所に生々しいその痕跡を眺めることができます。とくに島内の林道沿いにはそれが顕著で、探索していると改めて火山島であることが思い知らされてしまいます。

そのような時、三宅島の噴火の歴史を知っているのと知らないのとでは大違い。噴火の歴史を知っていれば、過去の噴火の現場を頻繁に通りかかる三宅島の林道探索がより興味深く楽しいものになると思いますよ。

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