ガソリン給油量 8.86L | 給油回数4回 | ガソリン代 1020円 | 総走行距離 259.1 km / ダート走行距離 28.0 km | トップへもどる |
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じゃじゃ〜ん! 大広間にはハイシーズン中の大勢の宿泊客をさばくため、あらかじめ宿泊客ごとにテーブルと椅子が用意されていて、指定された席に着くとすぐに運ばれてきた糠平舘観光ホテルの夕食です。品数も豊富で北海道ならではの幸が並び、質、量ともに文句なし! 料理を前にしてよだれが出そうです! というわけでこの日の夕食のメニューは以下の通り。 十勝豚の味噌焼、お刺身3種(ホタテ・甘エビ・ハマチ) 天婦羅(エビ・サツマイモ ・ナス)、ブリの照り焼き、山芋千切り梅ソース和え ホタテの真薯とオクラ、ツブ貝焼き、ホタテの真薯とオクラ 玉子焼きとセロリのマヨネーズ添え、十勝ソバ、ホタテの真薯とオクラ アオサのお吸い物、五目炊き込みごはん、お新香(芝漬け・大根パリパリ漬け) 十勝小豆の白玉ぜんざい |
北海道グルメコレクション No59 | 十勝そば [ 糠平舘観光ホテル / 上士幌町 ] |
たっぷりなネギと山菜、 そしてワサビとうまい出汁の効いたつゆでいただく打ち立てのソバ。 ソバといえば信州を思い浮かべる方も多いと思いますが、 生産量が日本一なのは実は北海道なんですね。 十勝地方の「新得町」と「鹿追町」が産地として有名ですが、 ソバは開拓初期から十勝の入植者たちに欠かせない作物だったそうですよ。 風味も良くてずずずっと食べちゃいました! |
北海道グルメコレクション No60 | 十勝豚の味噌焼 [ 糠平舘観光ホテル / 上士幌町 ] |
おお、ワンダフルっ! これは十勝豚のロースを使った味噌焼きだな! 十勝地方の中心地、帯広の町では専門店が軒を並べるほど十勝豚の「豚丼」が名物ですが、 わざわざ帯広に立ち寄らなくても、 糠平舘観光ホテルではそんな十勝豚を厚切りの味噌焼きで! 一口ほおばれば口中にじゅわ〜っと広がるふくよかな肉の旨味がなんとも贅沢! さらに白いご飯の上に乗せれば即座に豚丼ができるので、 ご飯のお代わりが止まらなかったですよ〜。 もちろん、北海道ビールとの相性も文句なしで最高っス! |
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お疲れさま〜っす! 十勝の食材を使った豪華な料理を前に、まずはジョッキ生(600円)を注文! ぬかびら源泉橋にも酒屋はありますが、今日は晩酌用の酒を買いにいくのが面倒臭かったので、晩酌はホテルの生ビールのみ。 そして料理がとても美味しかったので、結局立て続けにぐびぐびっと3杯お代わりしちゃいましたが、キンキンに冷えた生ビールはもはや快楽! 今日は北海道最高所のダートを走り、そして曇り空やゲリラ豪雨にもめげずに頑張った自分へのご褒美も兼ねているので、ま、当然ですよね。あっはっは! |
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糠平舘観光ホテルで出されたお刺身ですが、昨夜の宿とは大違い! お刺身もペラ1切れではなくて、これくらいあると十分に満足できますなぁ!
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北海道グルメコレクション No61 | 十勝小豆の白玉ぜんざい [ 糠平舘観光ホテル / 上士幌町 ] |
おお、これは十勝の特産品である小豆を使った白玉ぜんざいじゃないですか! 小豆は国内収穫量の8割以上が北海道産であり、 そのうち3割以上が十勝産ですが、 十勝地方で生産が盛んになったのは1900(明治33)年代初頭のこと。 しかし、小豆は連作障害を引き起こしやすく、 安定して供給できなかったことから天井知らずの高価格で取り引きされ、 かつては「赤いダイヤ」などと呼ばれていたんですね。 優しい甘さと風味で美味しくて、 今や最高品質の小豆としてお菓子やスイーツにも使われている そんな十勝産の赤いダイヤを白玉ぜんざいで! |
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夕食後、ホロ酔い気分で夜風に吹かれてみましたが、外はもう真っ暗! 気温は暑くもなくてちょうど良い感じでしたが、この時間、すでに通りがかる車はほとんど途絶えている状態。夜のぬかびら源泉郷のメインストリートはシ〜ンと静まり返り、街灯のその先は漆黒の闇でした。外を歩いている人の姿もありません。
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ホテルに戻って今度は内湯の大浴場に行ってみます。夕食前の夕方は入浴する宿泊客で結構賑わっていたようですが、今はタイミングよく誰も内湯に入浴していないみたい。しめしめ、これならば一人貸切状態が期待できそうだな!
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ぬかびら源泉郷のはじまり | ||
ぬかびら源泉郷は、大正7(1918)年11月、 元の湯元舘主、島隆美が風聞よりぬかびらに高温の出湯がある事を聞き、 翌8(1919)年苦難の末、原生林の中にモオモオと湯煙をあげる温泉を発見した。 同年4月帯広営林区分署長に「温泉通路刈払願」を提出、 大正12(1923)8月許可を得て、大正13(1924)4月清水谷からぬかびら源泉郷までの通路開削が完了し、 温泉利用の許可を受けたのが始まりである。 その後昭和15(1940)年頃までのぬかびら源泉郷は、12戸で湯治客相手の温泉と商店のみで有ったが、 昭和28(1953)年電源開発株式会社の糠平発電所建設に伴い、 株式会社大林組の社運を賭けた巨大糠平ダム建設の壮絶なプロジェクトが始まった。 マイナス30度以上の極寒の地で、 想像を絶する自然の力に対し人間の英知で乗り越え昭和31(1956)年6月ついに竣工、 ぬかびら源泉郷は空前のダム景気に沸き上がった。 糠平ダムの完成により糠平湖の出現や、国鉄士幌泉の建設などに伴い、 一躍観光地としてクローズアップされ自然公園法に基づく集団施設計画地区指定を受け、 公共施設や旅館、商店などが次々に整備され、温泉街を形成していった。 弊社は昭和23(1948)年芽室町在住の衆議院議員、 遠山房吉氏の洋館とぬかびら温泉発見の源泉を買い受け 温泉旅館営業の第1歩を歩み始め、現在に至っております。 尚、ぬかびら源泉郷の温泉は、現在も温泉発見当初と変わることなく湧出量豊富であり、 温泉街全旅館で温泉を循環する事の無い源泉かけ流しを行っている事から、 平成19(2007)年6月1日、全国に向け、 「源泉かけ流し宣言」を行い、平成21(2009)年6月1日には、 地域から町への「地名改称要望」が通り、 旧地名「糠平」から、現在の「ぬかびら源泉郷」へと地名が変更されております。 |
うむ、なるほどねぇ。糠平温泉の発見と温泉街の形成について詳しく説明されていますが、ぬかびら源泉郷のそもそもの始まりは、それまではアイヌの人家が点在していただけだった「音更川」流域に開発の手が入った1887(明治20)年代後半のこと。 しかし、開発は囚人労働によるもので、1893(明治26)年には現在の「三の沢」に囚人の造林宿舎や看守宿舎が設置されて樹木の伐採が行われています。伐採された樹木は音更川を流送して十勝平野に運ばれましたが、それが後の糠平温泉開発の先駆けとなって1907(明治40)年に和人開拓者の入植が始まったんですね。 そして1919(大正8)年に「ヌカヒラ温泉(後に糠平温泉に改称)が発見され、後に温泉街が形成されて造林作業者や湯治客に利用されていましたが、温泉街が観光地として注目され始めたきっかけは、1953(昭和28)年に着工して1955(昭和30)年に完成した糠平ダムと糠平湖の誕生であることはこの説明板に記されている通り。 ちなみに、糠平温泉がブームとなったその最盛期には、新婚旅行でわざわざ糠平温泉を訪れるカップルも多かったそうですよ。 |
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昭和30(1955)年代初頭、糠平温泉が温泉ブームに沸き立っていた頃の糠平館観光ホテルにあった温泉プールです。大勢のチビッコ達でまさに芋洗い状態ですが、はしゃぎまくっているのは、ちょうど現在70代後半の年齢になっている人たちの世代。あぁ、昭和の頃にはこういう光景がまだあったんだよなぁ。
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脱衣所の脇に設けられている湯上り処です。夜は電気が消されて誰もいませんでしたが、マッサージチェアも置かれているので火照った湯上り休憩にどうぞ。
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ご案内 | ||
本日は露天風呂に引き入れている源泉から、 湯の花(温泉の不溶性成分が析出・沈殿したもの)が多く出ております。 天然温泉であるため、年に数度こういう現象が現れますが、 温泉の成分や効能上の問題はございませんので、 ご安心ください。 |
お、いいじゃないの! 今日は年に数回あるという花が特に多く出ている日なのかぁ。なんともタイミングが良いですが、もちろん望むところですよ。
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そしてこれが糠平舘観光ホテルの内湯。大きなガラス張りになった岩風呂風の広々とした内湯でしたが、今は夜なので外の景色が全く見えていませんね。結局、この内湯には食後と寝る前、そして真夜中と朝で合計4回も入っちゃった!
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お、いいねぇ! 1955(昭和30)年代までは混浴であったという、糠平舘観光ホテルがまだ糠平旅館と呼ばれていた頃の浴場です。一応、簡素な衝立で浴槽を男女別に仕切ってありますが、何事もおおらかであった古き良き時代の温泉風景ですね。あぁ、生まれてくるのが数十年ばかり遅かったぜぇ・・・。
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そして湯上りにもう一度夜風に吹かれるため外に出てみると、夜空には闇夜に煌々と光り輝く月が出ていました。見た目的にはほとんど満月でしたが、正確には一昨日の8月12日が満月だったので僅かに欠けていましたけどね。 というわけで、しばし糠平源泉郷の涼しい夜風に吹かれてから部屋に戻ってこの日は就寝。明日は林道を軽くつまみ食いしつつ十勝平野を縦断、再び太平洋を目指す予定なので、それに備えてぐっすり眠って休みます。ではおやすみにゃさい・・・。 |
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