伊ヶ谷
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三宅村 伊ヶ谷

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「伊豆」の南西、南は「阿古」に隣接し、島の西部に位置して北西は海(大船戸湾)に臨む集落です。江戸時代は島の玄関港であった大船戸湾を擁していたことで本土との交通の要所になっていました。ただし、大船戸湾は狭少であり、明治以降の大型船舶の発着には適さなかったため、現在は漁港としての利用にとどまっています。

かつて隣接する阿古村の近くに長根という小さな集落がありましたが、1431(永享3)年に年貢の塩の盗難事件が発生しています。その結果、住民は長根を追われて四散しますが、40年後の1471(文明3)年に、長根を追われた住民の一部が大船戸湾付近に住み着いたのが伊ヶ谷村の初めとされており、三宅島では最も歴史の新しい集落です。


江戸時代は本土との交通の要所であった伊ヶ谷集落

1774(安永3)年の伊豆国附島々様子大概帳によれば、戸口は74軒、382人だったそうで、「南方海島志」には島の風俗は「人物ハ一体樸魯也、然レトモ伊ヶ谷神着ノ二村ハ舟乗リ故語言衣食大抵豆州二類ス」とか、「着船ノ時荷物ヲ上ゲ漁船反リテ魚物ヲ上ケ搬ブハ尽ク婦女ノ業也」と記録されており、女性の労働の様子が記されています。

江戸時代、御用船で大船戸湾に着いた流人たちは浄土宗「大林寺」で一夜を明かし、そこから各村に送られたと伝えられています。境内には絵島生島事件で配流となった山村座の人気役者生島新五郎の供養塔があって、伊ヶ谷の共同墓地には明和事件に連座して八丈島に配流となり、その途次に大林寺で没した国学者竹内式部の墓もあります。

集落の西部、大船戸湾を見下ろす場所には后(きさき)神社があります。同社を延喜式神名帳に記載された伊豆国賀茂郡の「伊賀牟比売(イカムヒメノ)命神社」とする説もあり、后神社所蔵の銅鏡(菊花双鳥文)は都指定文化財になっています。

また、1723(享保8)年に代官手代の伊豆諸島への渡海が廃止されたことをうけて、地役人となった笹本氏が伊ヶ谷に居宅を構えており、以後、湾を見下ろす場所にあった笹本氏の居宅は陣屋と称されました。


伊ヶ谷集落はかつて地役人笹本氏の陣屋があった場所

明治時代には伊ヶ谷村産の木炭が比類のない品質の良さで評判になっています。当時名声を誇っていた備長炭や日向炭、土佐長炭にも遜色なくて、それは「三宅島木炭」と称されるほどでした。さらに伊ヶ谷村では明治年間に始まった全国博覧会に村の海産物を出品していますが、連続で8回受賞する快挙を遂げていたりします。

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