ガソリン給油量 8.71L | 給油回数3回 | ガソリン代 1485円 | 総走行距離 242.0 km / ダート走行距離 20.8 km | トップへもどる |
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同名国道R336との突き当たりを左折したら昆布刈石海岸方向に進みますが、「浦幌十勝川」を渡る「浦幌大橋」の手前で海岸へと向かう町道へと右折。ひたすら続く直線を進んでいくと、やがて路肩に「原生花園入口」の道標が現れました。どうやらこの先の海岸に原生花園があるみたいです。
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広大な牧草地が広がる中を突き進む町道を海岸目指して進んでいくと、海辺に近づいたところで舗装が途切れて路面はダート化しましたが、道端になにやら立て看板が現れたのでちょっと眺めてみます。
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天然記念物 | ||
トイトッキ浜野生植物群落 この地域は北海道文化財(天然記念物)として指定されておりますので、 下記のことを守り植物の保護にご協力ください。 記 植物の採取を禁止します。 植物の中で休憩および食事を禁止します。 その他環境を破壊する一切の行為を禁止します。 以上、指定区域の原形を損傷、 破壊した者は相当の処罰を受けますので充分注意し、ご協力ください。 北海道教育委員会・豊頃町教育委員会 餌付け行為禁止 人為的な止まり木などによる餌付け行為は、 指定区域の貴重な野生植物群落の植生に影響を及ぼす恐れがあります。 また、こうした行為により植生に影響を与えた場合は、 北海道文化財保護条例37条に違反し、 罰金または科料となりますので、ご注意ください。 北海道教育委員会・豊頃町教育委員会 |
うむ、この先の海岸一帯はトイトッキ浜野生植物群落というのか。先ほど原生花園入口の道標を見かけましたが、それはたぶんこのことだと思います。 また、看板には餌付け行為禁止の旨が記されていましたが、「餌付け行為」は野生動物との触れ合い方の一つですが、近年はそれが野生動物の行動変化や動物同士の相互作用に変化を引き起こすことが明らかになって、生物の多様性保全の観点から一部の地方自治体では餌付け行為を禁止する動きがみられるようになっています。 具体的には動物を特定の場所に誘引することで捕食者から狙われるリスクを高め、人にさらされる機会が多くなることで人馴れが生じて警戒心を低下させ、捕食される危険性も高まります。さらに餌付けによって局所的に動物の密度が高まることで、動物同士の接触増加による感染症の伝播リスクも増加するんだよな〜。 |
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案内板を後にしてその先へと前進再開。浦幌町「ヌタベツト」の広大な牧草地帯と草原地帯のまっただ中を一路海岸を目指してダートが延びていますが、路面は海が近いため飛び砂が溜まってズルズルと砂地っぽい感じ。
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海だ! その後もやけに砂地っぽいダートを進んでいきますが、やがて路面に堆積する砂の量が著しく増加してしまいます。たがて「道」なのか「ただの砂地」なのか不明瞭な状態になってきますが、するとその先に海が現れました。 というわけで海岸に到着。ちょっと付近を散策しうと思いますが、ちぃ、海辺のこの場所は砂が深くてスタンドが立たねーやい! |
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というわけで、波打ち際から少しき返したこの地点にWRを駐車しますが、海岸のすぐ背後には広々とした原生花園の海岸草原が広がっているだけ。観光客用の駐車スペースもないのでそこいら辺に適当に駐車しますが、なぜかポツンと赤い祠があったので、その傍に止めておきました。
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しかし、なんやねん。この赤い祠と鳥居は? トイトツキの誰もいない淋しい海辺の祠ですが、帰宅後に調べたところ、祠があるこの場所は太平洋戦争末期にアメリカ軍の北海道上陸を防ぐために建設された「トーチカ」跡であるとのこと。祠の後ろの不自然なコンクリ塊がトーチカの本体跡らしいです。 そpして戦争遺産であるこのようなトーチカは「広尾町」や「大樹町」の十勝海岸沿いにいくつか建設されていますが、そこに赤いお稲荷さんが祀られているのは珍しく、ここは密かな観光スポットになっていたようです。ただし、そもそもなぜお稲荷さんが祀られているのかにつては不明ナリ・・・。 |
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赤いお稲荷さんのトーチカ跡にWRをお留守番させておいて、歩いてトイトツキ浜の波打ち際を散策してみます。歌旅海が見えてきましたが、しかし、浜辺には流木がやたらゴチャゴチャと打ち上げられていたな〜。
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トイトツキ浜から左手の北東の方角を眺めてみると、砂浜とその背後の海岸草原が遥か彼方まで続いていましたが、あまりにも遠く、そして果てしなさすぎて空と地面と水平線の境目がよく分からなかったなぁ! 眺めているのは浦幌町「十勝太」方面で、ここから2.7キロ先には浦幌十勝川の河口があるのですが、地平線に吸い込まれて全く見えていなかったですよ〜。 |
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あー、そういえば、砂浜のすぐ背後に広がる海岸草原にはワダチダートが形成されているのを確認。立ち入ってみたら面白そうでしたが、草原をエンジン付きで荒らすのは忍び難く、また、祠の脇に止めたWRまで戻るのも面倒くさいのでパス。
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そしてこちらはトイトツキ浜から右手、西南方向となり、およそ2キロ先に十勝川の河口がある方向の眺めです。散策する人の姿もなくもの悲しく静まり返った砂浜が延々と続いており、こちら側もやはり水平線と空の境界がはっきりしなかったな。
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浜の景色を眺めたら、今度は砂浜背後のトイトッキ浜野生植物群落を見て回ります。原生花園と呼ばれる海岸草原ですが、ここでは咲き乱れる海浜植物の草花をそこかしこで眺めることができました。
ちなみに十勝地方の海岸には観光スポットがほとんどないためか、道北や道東の海岸とは違い、釣り師以外にわざわざ海辺の景色を眺めに訪れる人もほとんどいないみたい。そのせいか、海辺の原生花園もあまり荒らされておらず、足元の草原では夏を彩る草花が咲き乱れていたんですね。 |
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おお、これは淡くピンク色がかった躑躅色がとても美しいハマナスの花だな。緑色が一面に広がる海岸草原では鮮やかな花の色が目立って最高にきれいです。ただし、バラ科のハマナスには痛いトゲがあるので、短パン姿で原生花園を歩き回ると引っ掻き傷だらけになってしまうかもですよ〜。
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うむ、これはオニユリですね。背が高くて花は下向きで咲くのが特徴で、ソバカスをつけたおてんば娘が恥ずかしそうにうつむいているイメージで、海岸から高山地帯の草地まで幅広く分布しています。 類似種としてクロユリやコオリユリがありますが、それらとの決定的な違いは茎にムカゴ(零余子)を付けること。このオニユリも茎の部分に小さな黒い粒々のムカゴを大量に付けているのが確認できますが、オニユリのムカゴは炊飯器にお米一緒に入れて炊き込んでムカゴ飯にすると美味しいんだよなぁ。 |
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あー、それから淡紅色の花を咲かせたノコギリソウも見つけました。花はよく眺めると中央に淡い黄色をした筒状花が集まって、その周囲に淡紅色の花びらをした舌状花が5〜7個ほどついていますが、大きさは7〜9mmくらい。それらが茎の頂に大量に集まってきれいに咲いているんですね。 また、よく眺めると葉の縁にギザギザが確認できますが、それがコギリソウという名の由来ですが、ノコギリソウには様々な薬効があるみたいです。 具体的には乾燥させた葉を煎じて飲めば健胃、強壮、通経効果があって、生の葉を揉んで汁を傷口につけると鎮痛、止血、抗炎作用などがあり、漢方では健胃や風邪薬に用いられるとのこと。そんな薬草でもあるノコギリソウを十勝地方のアイヌの人たちは「レタンノヤ」と呼んでいたそうです。 |
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う〜ん、これはセリ科シシオウド属のエゾノヨロイグサでしょうか。エゾノヨロイグサは北海道〜本州(中部以北)の海岸〜山地の日当たりの良い草地に生える多年草。名前にエゾ(蝦夷)とつくのは北海道に多く見られるからだそうで、花は基本的に白色なのですが、これは盛りを過ぎたせいで茶黄色に変色していました。
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あ、これはエゾイヌゴマ(蝦夷犬胡麻)ですね。淡い紅藤色をした可憐な花をうつむき加減で無数に咲かせていましたが、エゾイヌゴマは本州〜北海道の日当たりの良い湿った草地に生えるシソ科の多年草。
花は淡紅藤色をした唇のような形をした唇形花が、茎を取り巻くように輪生状で数段にわたって付きますが、花弁の内側ををよく眺めてみると、そばかすのような濃い紫色をした斑点が無数にあるのが確認できますね。 ちなみに名前に「犬」と「胡麻」がありますが、エゾイヌゴマは食用ではないみたいです。そして植物名における「犬」は「役に立たない」といった意味を持っており、食用にならず役に立たないので「エゾイヌゴマ」という名前なわけです。 |
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ピントが合わず少しピンボケしちゃいましたが、これは足元の草むらの中で隠れるように咲いていたエゾナミキの花。花は先端が2つに分かれた青紫色をした唇形花が2個づつ並んで付き、下側の花びらには白い2本の筋が必ずあるのが特徴です。 ちなみにエゾナミキは海岸の砂地っぽい草原に生えるナミキソウの変種。葉の形状などに僅かな違いがあるそうですが、海岸近くの低湿地の草地などで稀に生えるそうで、環境省のレッドリストで絶滅危惧種II(VU)に指定されているらしいな。 |
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トイトッキ浜の海岸草原の中で夏の草花に囲まれて転がっていた巨大な流木。薪にしたら1年分はありそうですが、しかし、これって本当に流木? まさか、どこかの産廃業者が持ち込んで不法投棄したんじゃないだろうな・・・。
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そいうわけでトイトッキ浜で海を眺め、ひっそりと草花が咲いていた原生花園の植物群落をしばし散策したら国道へと引き返します。その途中で、行きがけにも通った「ヌタベット」といういかにもアイヌ語らしい地名の場所を通過するので、ちょっと立ち止まって辺りの景色を眺めておきました。 |
アイヌ語由来地名コレクション No27 | ヌタベット / Nutabetto [ 十勝郡浦幌町 ] |
江戸時代の探検家「松浦武四郎」さんの紀行文「十勝日誌」のなかで 「過てタッタラ、ヌタベト。人家三軒。向にウラホロプト」と記述されている場所ですが、 今は人家もなく見渡す限り牧草地が広がっているだけのヌタベット。 研究者の間では「曲がりくねった川」の意味だとする解釈と、 アイヌ語の「ヌタプペツトウ」で 「曲がりくねった川を持つ沼」という意味に解釈する異なった意見があるそうです。 そしてよく分かりませんが、 曲がりくねった川って付近を流れる十勝川のこと? また、この場所のそばにはヌタベット沼とトイトッキ沼がありますけど、 それらが地名のルーツになっているってこと? |
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R336に戻ったら「大樹町」方向に左折して十勝川を渡り、その直後に現れる道911との交差点を左折。道なりに進んで十勝川の河口に隣接した豊頃町「大津」の港町に向かいますが、大津は海沿いに北から順に大津元町、幸町、寿町、港町が連なる南北2キロほどの細長い港町ですが、現在、「大津寿町」付近を通過中。 ちなみに現在は閑散とした小さな港町の大津ですが、明治の頃は人口が2000人を数えて十勝地方では最も栄えた地域だったそうです。1897(明治30)年に函館〜大津間に北海道庁補助定期船が就航すると、本州から大勢の人々がやって来る十勝開拓の玄関口となり、開拓に必要な物資の売買も盛んになって大津は大いに賑わったとのこと。 |
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大津のメイン通りを寿町から幸町へと通り抜けて、十勝川の河口に面した最北の元町へと進みます。ちなみに大津の港町にはこの通りに面した寿町にアポロステーション大津SSがあるのですが、レギュラーと軽油だけしかないのでそのつもりで。 ちなみに明治期には大いに賑わった大津ですが、1902(明治35)年に起きた博徒同士の抗争や、1903(明治36)年に発生した大火によって人々は大津を離れて人口は減少しますが、大正時代になると町の人口は再び増加します。 その理由は豊富に獲れた秋サケでした。秋サケ漁の時期になると出稼ぎ労働者が大津に押し寄せましたが、その出稼ぎ労働者たちの一部がそのまま大津に定住するようになって人口が増えていったんです。 |
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続いて昭和に入り、戦後を経て高度成長期になると大津はいよいよ活気に溢れ、現在は廃校した大津中学校には1学年に生徒が25名も在籍し、商店が6軒、食堂も2軒、それに駄菓子屋まであったそうです。大津が元町、幸町、寿町、港町に分かれているのも、以前はそれだけ多くの人が住んで賑わっていたということでしょう。 そして1979(昭和54)年には掘り込み式の巨大な「大津漁港」が完成しますが、でも時代の流れは無情というやつで、サケの漁獲量は減少して漁業は衰退。それに加えて小子高齢化などで以前の賑わいは失われてしまったんだよな・・・。 そんな大津のGS前を通り過ぎて、とりあえず細長い港町の最北端、元町地区まで進んでみましたが、巨大な堰堤に阻まれて十勝川の河口は見えていなかったので、今度は住宅地の脇道を適当に進んで海岸に出られる場所を探します。 |
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大津元町で1箇所だけ海岸に出られる箇所があったので、そこから海岸に向かってみました。ズルズルな砂地の道が大津の家並みから砂浜の波打ち際まで延びていましたが、あまり進むと砂地でスタック地獄に陥る可能性があるので、WRは子にお場所でお留守番。ここからは徒歩で周囲を散策してみます。
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