ガソリン給油量 7.13L | 給油回数3回 | ガソリン代 1329円 | 総走行距離 199.7 km / ダート走行距離 68.4 km | トップへもどる |
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海を眺めるため、道の駅さるふつ公園の前を走る国道を渡った先の海辺の駐車帯にやってきました。目の前にオホーツクの海が広がる静かで眺めの良い場所ですが、なにやら不思議な形状をしたモニュメントが海に向かって立っているのを発見。
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モニュメントは一段上がった高台にあり、近づいてみると「インディギルカ号遭難者慰霊碑」と記されていました。インディギルカ号がどの国の船でいつ遭難したのか知りませんが、かつてここ浜鬼志別の海で悲惨な座礁事故が起きたくさいな。
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ハマナスの生垣に囲まれた高台で、海を見下ろすようにして立っていた海難事故の犠牲者を慰めるモニュメント。道の駅を訪れた観光客が道路を渡ってわざわざ眺めにくることもなく、静かで淋しくひっそりとしていました。
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昭和14(1939)年12月12日 ソ連船「インディギルカ」号とそれに乗合せてていた人々に最後の時がやってきた 「イ」号は、秋の漁場を切上げて帰る漁夫及びその家族1064名を載せて カムチャッカからウラジオストークに向かって航行中 折からの暴風雪に押し流され 乗組員たちの必死の努力も空しく、進路を失い 12月12日未明浜鬼志別沖1500メートルのトド岩に座礁転覆 700余命の犠牲者を出す海難史上稀有の惨事となった 身をさくような厳寒の海上で激浪と斗い 肉親の名を叫び続けながら力尽きて死んで行った人々のことと その救助に全力を注いだ先人たちの美しい心情は 人類のある限り忘れてはならない この碑は、北海道はもとより国内の数多くの人々、並びにソ連側の海員 漁夫の善意に基づく浄財によって 「イ」号と運命を共にした人々の冥福を祈るとともに 国際親善ならびに海難防止の願いをこめて建立されたものであり 台座の石はソビエト社会主義共和国連邦から寄贈された花崗岩である |
慰霊モニュメントの傍に石碑があったので眺めてみましたが、えぇ、道の駅がある海岸のすぐ目の前の海で700人以上も!? 遭難の原因はやはり座礁転覆でしたが、座礁したのはソ連船。昭和14(1939)年ということなので戦前の出来事ですね。当時は大ニュースになったと思いますが、それほどの大惨事であっても時の経過でやがて忘れ去られてしまうんだよなぁ。この石碑がなかったら、そんな悲劇があったことなんて全然知らなかったし・・・。あぁ、合掌。 |
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海を望む駐車帯のあちこちの草むらで見かけたハマナスの赤い果実。まるでミニトマトみたいだったので一つ取ってみましたが、あはは、よく眺めると表面になんだかオッサンの無精髭のような小さな毛がぽつぽつと生えているな〜。
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駐車帯から眺めて北側(左手)の浜鬼志別方向に続く海岸の様子ですが、海に大きく突き出しているのは浜鬼志別集落にある「浜鬼志別漁港」。そしてここからは見えていませんが、画像右方向の沖合には「海馬島(とどじま)」があって、そこが先述したインディギルカ号の座礁転覆現場になっています。
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北緯45度19分、東経142度10分を示す木製の柱を見つけました。そしてそのすぐ右手には、江戸時代末期から明治にかけての探検家「松浦武四郎宿営の地」の碑が地面に横たわっていましたが、しかし、その先のモニュメントに目を奪われて気が付きにくいかもしれません。それにしてもあのモニュメントはなーに?
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その先に見えていたモニュメントです。白い無数の石柱が合体した結晶のような形状をしており、背後の海の青さに白さが映えてきれいでしたが、パッと眺めただけではモニュメントの正体は不明。見物する観光客の姿もなくて付近は静まり返っていましたが、傍に細かな文字がびっしりと記された石碑があったので眺めてみます。
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いさりの碑 | ||
帆立貝漁場達成事業10周年に当たり猿払の漁業のうつりかわりを振り返って見る 我々の先人がオホーツクの海の魚貝類に生活の糧を求めたのは明治の初めの頃のことだ それから一世紀になんなんとしている 春、4月5月、鰊の群来で海は乳白色になり獲っても獲ってもなくならないものと思われた 鮭鱒は海の荒くれ男と力比べをするように網もさけよとばかり乗網した 海扇と呼ばれた帆立貝は海の底に幾層にも重なり合っているのではないかと錯覚を起こさせる位生棲していた しかし之等の生物の運命も貪欲な人間の前には所詮は滅亡の運命が待ち受けていた 今日ではあらゆる資源は有限であることが認識されている しかし生物資源は自然と人間の適正な育成管理によって 永続させることが出来る筈だ 私達も自然の摂理にかなった生物資源の育成管理を科学的調査と人智をあつめてやってみた 春夏秋冬、自然の摂理は一世紀の昔も今と変わりなく繰返され生物の生命力に 見事に部族と子族の繁栄に其の力強さを見せてくれた 今 オホーツクの海は先人の開拓した時のように帆立貝が見事に結実してたわわな実りを見せている 鮭鱒もまた間もなくふ化事業の結実を見せようとしている 猿払の海を拓いた多くの先人の苦労と偉業を偲び 其の意思を我々も子孫にうけつぎそして実践することを肝に銘じ今此の碑を建てる 人間は神々と力を競うべきでない 人間は自然の摂理に従うべきだ 昭和56(1981)年11月22日 猿払村漁業協同組合 |
なるほどね〜。猿払村の漁業の起こりと資源の枯渇への危機感、そしてホタテ漁にかける絶え間ない努力と意気込みが語られていますが、猿払の海を拓いた先人たちの並々ならぬ苦労によって、ホタテ王国たる現在の猿払村ができたというわけか!
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オホーツクの海にかけた先人たちの苦労を偲びつつ、あらためて目の前に広がる海を眺めてみますが、あぁ、鮮やかな美しい海の青さに涙が出てきそうだぜぇ!
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こちらは駐車帯から東南(右手)方向に眺めた海の様子。遥か彼方には画像右端の「ポロヌプリ(841m)」から「斜内山(しゃないやま / 439m)」を経てピリカノカ神威岬で海に落ち込む山並みが、そして弧を描いて延びる砂浜の先に浜猿払の漁港がかすかに見えていましたが、「抜けるような景色」というのはまさにこのことだな!
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おお、見てください! さすがホタテ尽くしの猿払村だけあって「ほたて化石群」を発見しました! この巨大な岩塊の表面にホタテ貝の化石がこれでもかと露出しているのですが、化石にまみれたこの岩塊の重さは40トンもあるそうです。 ちなみに化石はおよそ4000万年前の新生代第3期のもので、発見された場所は「中頓別町旭台」にある「中頓別鍾乳洞」付近とのこと。 |
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岩塊の表面にくっきりと露出しているホタテ貝の化石です。4000万年もの大昔からホタテ貝がいたということは、3世紀〜13世紀にかけて、かつてオホーツク海沿岸に住んでいたという「オホーツク人」もおそらくホタテを食べていたんだろうなぁ。
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その後、もう眺めるものがなくなったのでホテルに戻ってきました。ホテルの建物は先述した通り、1階がお土産の売店とレストランになっていて、宿泊客はそこで食事をしますが、もちろん宿泊客以外でも利用可能。道の駅に併設された「さるふつ公園キャンプ場」の利用客も自炊せずに夕食を食べにくる人が多いそうですよ。
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あー、それから、道の駅さるふつ公園の嬉しい特徴は、ホテルに隣接して「さるふつ憩いの湯」があることかな。ホテルさるふつの宿泊者はタダで何度でも入浴できます。 もちろん、一般の立ち寄り湯(大人450円)でも入浴可能であり、道の駅に併設された「さるふつ公園キャンプ場」利用の方にとっては嬉しい施設ですが、ただし、定休日の木曜日はホテルの宿泊者しか入浴できないのでそのつもりでね。 |
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いったん客室に戻ってタオル片手に、ホテルさるふつの大浴場も兼ねている憩いの湯に向かいますが、この日は木曜日。照明も落とされており、立ち寄り湯用の券売機には定休日の札がぶら下げられていました。 といっても風呂は定休日でも沸かしてあるようで、ホテル宿泊者限定で入浴できるようになっているので当方には関係ない話。しかし、休業日で風呂に入れず、ガッカリしていたツーリングライダーやキャンパーを何人も見かけたので、できればキャンプ場の利用は、定休日の木曜日を避けた方ががいいかもしれません。 |
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さるふつ憩いの湯の浴室です。夕方の、それも道の駅に併設された立ち寄り湯ならば、夕方は日帰り入浴客でたいていは混雑しているものですが、今日は休館日なので誰もいませんね。大きなガラス窓から差し込むの西日で明るく広々としていましたが、浴室内は怖いくらいにシ〜ンと静まり返っていましたよ。
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ふぅ、いい湯だな〜。まだ時間が早いためか他の宿泊者は現れず、嬉しい貸切状態で熱い湯船にゆっくりと身体を沈め、ダート三昧で過ごした今日一日の疲れをゆっくり癒します。しかし、このさるふつ憩いの湯は温泉でないので要注意! 以前はナトリウム-塩化物泉(泉温31.9℃)の温泉が湧出していたそうですが、温泉が枯渇してしまったのか、現在は残念な水道水の沸かし湯になっています。 |
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ふぅ〜、風呂上がりの涼やかな夕風が気持ちいいなぁ! 風呂でさっぱりしたら再び外をぶらぶら散歩して夕涼みと洒落こみますが、道の駅に併設されたキャンプ場では多くのツーリングライダーが設営作業をしているのを見かけました。 ちなみにキャンプ場の利用料金は大人400円。テント泊以外にも4人まで利用可能なバンガロー(1泊5000円)が3棟あるみたいです。 |
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道の駅さるふつ公園の目に前を走っているR238。眺めてみるのは稚内方向ですが、国道はこの通りガラ空き状態。行き交う車の姿もほとんどありませんなぁ。
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道の駅の前で見かけた宗谷バスの「さるふつ公園前バス停」ですが、冬の吹雪や雨風を避けるための待合小屋が立てられていて、その中に弁ンチが置かれていました。バスを待つ人の姿はなかったですが、行き先と時刻は以下の通り。 稚内方面 9:13(浜鬼志別)・13:44(稚内)・18:15(浜鬼志別)・20:02(浜鬼志別) 音威子府方面 7:26(音威子府)・11:56(浜鬼志別)・15:15(中頓別)・18:00(中頓別) しかし、物凄い過疎ダイヤだなぁ! 稚内行きと音威子府行きは1日1本づつで、その他は全て途中の浜鬼志、中頓別止まりになっていましたよ。というわけで、免許を持たない一般観光客が、バスで道の駅さるふつ公園を訪れるのは至難の技ですね。 |
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また、道の駅にはパークゴルフ場もあるみたいですが、ゴルフに興味は全くないので、国道沿いのバス停を眺めたらそろそろホテルに戻ります。
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