火の山峠
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 [7]物見処遺跡 / Morendo Ruins   もどる  

  伊豆エリア
  伊豆エリアの見所スポット
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     4 小金井小次郎の井戸
     5 大久保浜
     6 大久保港
     7 物見処遺跡


三宅一周道路沿いにある物見処遺跡の入口

都212号線(三宅一周道路)を伊豆から伊ヶ谷に向かって進むと、その境界付近にあるのが「物見処(もれんど)遺跡」。都道沿いの路肩の藪を分け入るひっそりとした入口に説明板が立っていますが、よく注意していないと入口を見過ごしてしまいます。

三宅島の遺跡としては「ココマノコシ遺跡」がよく知られていますが、そこは坪田地区の海に面した近寄り難い断崖に位置しています。その点、物見処遺跡は三宅島の数ある遺跡の中で唯一案内板があって誰でも簡単に訪れられるものだったかな。






経塚信仰と積石信仰が融合した遺跡だと説明されています

物見処遺跡
物見処遺跡は、大船渡湾を臨む地につくられた積石塚群です。
昭和57(1982)年から平成11(1999)年まで國學院大學考古学研究所により発掘調査が行われ、
4基の大型積石遺構と、多数の積石遺構が70m×10mの範囲に確認されています。
おおよそ中世から近世にかけての遺跡と考えられています。

積石遺構は大船渡の海岸あたりから石を運んで構築されており、その石に、
中には仏教教典の文字を記した礫石経が含まれており、
仏教的な経塚信仰と、三宅島在来の積石信仰が融合した特殊な施設です。

文化財を大切にしましょう
平成19(2007)年8月31日 三宅村教育委員会
まあ、なんのこっちゃわかりませんが、簡単にいうと「経塚信仰」とは施主の求めで僧侶などが石に写経した経典を供養し、これを収めた経筒および供養具ともども埋納することで、「積石信仰」は自然石を積んだり列や円環状に配列して宗教的シンボルやお墓にする信仰的行為のことをいいます。

説明板には「経塚信仰と積石信仰が融合した遺跡」とありますが、物見処遺跡では石積みの中から教典の代わりにお経の文字が記された石が発見されています。つまり融合というのは、経塚信仰のお経が記された石と、積石信仰の積み石が、場所を同じくしてそこにみられるということですよ。






物見処遺跡は丸い石がザクザクと積まれた不思議な遺跡

都道沿いの森に入っていくと、そこにあった物見処遺跡です。不自然に小石が大量に積まれた様子が興味を引きましたが、訪れる人もほとんどいないのか、雑草にまみた遺跡に人の姿はなかったです。学術的には宗教が関係しているとのことですが、しかし、これをつくった昔の島人は一体なにを伝えたかったのでしょうか? ちなみに遺跡の石積み部分の下部は后神社(伊賀牟比売[いかむひめのみこと]命神社)の旧社跡らしく、1471(文明3)年に伊ヶ谷集落が創設された時にこの場所に移されたとか。

なお、遺跡のあるこの場所は、本来は「物見所(ものみじょ)」という地名ですが、それがいつの間にか誤って「物見処」と記されるようになり、「もれんど」とか「もろみど」と呼ばれるようになったらしいですよ。

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