赤場暁
  三宅島の見所スポット[ 神着エリアのジオスポット ] 林道探索の書 〜今日もどこかで林道ざんまい〜 
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村営バス「赤場暁」バス停から徒歩1分

赤場暁
〜溶岩と泥流が流れた大地と植生回復の現場〜
この絵にある赤い海蝕崖が、目の前に見えています。1940年(昭和15年)と1962年(昭和37年)、
22年の間隔をおいて、連続してこの付近で山腹割れ目噴火が起きました。
2回の噴火で山腹を流れ下った溶岩は、正面の崖の右手に見える地獄谷からここ赤場暁湾に流れ込み、
500m四方に及ぶ広大な溶岩台地、赤場暁を作りました。
加藤画伯の絵は、噴火前の「天然の良港であった赤場暁湾」の光景を想像させてくれる貴重な資料です。

昨日まで海なりしところを高々と山を築きて火を噴ける見ゆ(神着村 林 憲)
餓鬼どものなきがらひとしく噴きだせる地獄の海もひからびるべし(神着村 上原 正春)
(画・図・歌「昭和15年三宅島噴火記録」浅沼悦太郎編より)

右上の図にあるように、当時の道はこの崖の上部を通っていました。
現在の都道はこの赤場暁を直線的に横断していますが、2000(平成12)年噴火以降、
流れ下ってくる土石流を避けるため路面をかさ上げし、地獄谷からの流路溝を橋で越えるようにしています。

[ 植生の回復と遷移 ]
赤場暁は、溶岩流に覆われているため、長く植物の進出を阻んでいました。
ところが2000(平成12)年噴火で
この一帯は10cm以上の火山灰が降りつもり、度重なる火山泥流や土石流が溶岩の表面を覆いました。

植物にとって大切な保水力やミネラル分が供給されないため、
イタドリやススキなどの草本類とともに、クロマツ、オオバヤシャブシ等の樹木の進出が一気に進んでいます。
どんな森に移り変わっていくのか、じっくり観察していきたいですね。
[ GEO POINT ]海蝕崖 Sea cliff

海の浸食によってできる、海岸の崖のことをいいます。隣の御蔵島は、6000年余りも噴火していません。
常に波に削られるため、海蝕崖が発達し、お椀を伏せたような形になっています。
それとは対照的に、三宅島では度重なる溶岩の流出によって、常に陸地が作られているため、
海岸線はなだらかで、海蝕崖は高くありません。

ここは噴火以前は「湾」だった場所

都212号線(三宅一周道路)三宅一周道路を椎取神社から三池港に進んでいくと、ひょうたん山の手前に飛ばすと最高に気持ちの良い長いストレート区間がありますが、そこにあるジオスポットが「赤場暁」です。元々は赤発頂と書いて「あかばっちょう」という地名でしたが、現在はなぜか赤場暁と表記される場所ですが、ぱっと見しただけではなにがジオスポットなのか分かりません。

ジオスポット案内板によれば、1940年(昭和15年)と1962年(昭和37年)の噴火で流出した溶岩は海に流れ込み、当時「赤場暁湾」と呼ばれる海だった場所を陸地に変えてましたが、その時にできた溶岩台地がこの辺りらしいです。

現在の三宅一周道路は噴火以前は赤場暁湾だった場所をまっすぐ突っ切って延びていますが、以前の道路のは右手にある崖の上を通っていました。つまり、案内板の立つこの地点は噴火の前は海だった場所なんですね。その後、草木が進出して現在の風景ができましが、ここが海だったなんて現在の様子からはとても信じらません。






今は都道の右手に位置している以前は波打ち際だった崖

三宅一周道路から右手を眺めてみると、濃密な森に覆われた高さ20mほどの崖が見えていますが、これは大昔の噴火で溶岩が海に流れた時にできた海食崖。つまり、2度の噴火の前は崖の位置するあの場所が波打ち際だったんですね。だから以前の道路も噴火の前は崖の上を通っていたといういたわけです。






地図を眺めれば陸地化した状況がよく分かります

案内板には噴火以前の赤場暁付近の地図が載っていました。赤い部分が溶岩流に埋まったエリアで、そこに赤場暁湾の文字が記されています。両脇に森が広がる現在の景色を眺めただけでは、風光明媚で天然の良港といわれた、かつての赤場暁湾を想像することは無理ですが、地図を見れば湾が陸地化した様子が一目瞭然!

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