神着エリア 神着エリアのジオスポット 1赤じゃり公園 2焼場 3釜の尻海岸 4椎取神社 5赤場暁 6ひょうたん山 |
村営バス「赤場暁」から徒歩15分 |
ひょうたん山 〜1940年噴火で海底から誕生した山〜 |
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1940年(昭和15)7月12日から始まった噴火は、三宅島北東山腹での割れ目噴火を引き起こし、 20個近い小火口口からの溶岩流出と海底噴火による「ひょうたん山」の誕生に至ります。 13日や半からは雄山山頂で噴火が始まり、終息するのは8月7日頃で、約1カ月間の噴火活動でした。 この噴火では、1週間前から地熱の上昇や、噴気、地鳴りが気付かれるなど、明らかな前兆現象がありました。 噴火は赤場暁湾に面した島下集落を埋め、死者行方不明者11名、負傷者19名のほか、 埋没焼失家屋51戸、牛の被害63頭などの大きな被害が出ました。 [ なぜ「ひょうたん山」と呼ぶの? ] 現在のひょうたん山の火口は、直径100m深さ30mです。 現在火口は1つしか残っていませんが、噴火当時は海側に30mほど低いもう一つの火口がありました。 横から見るとまるでひょうたんを伏せた形に見えたそうです。 現在は波の浸食により、火口は海の沖合側に失われています。 |
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[ GEO POINT ]火山弾原 Volcanic bomb field ひょうたん山の火口周辺や東側海岸線の波食棚には、大小様々な火山弾が見られます。 着地した時はまだ柔らかく、お餅のように変形しています。 また高温のまま空気に触れていたため、高温酸化を受け、赤茶色を帯びています。 ひょうたん山の断面を観察すると、火口からの噴出物が、 下から溶岩→アグルチネート→火山弾とスコリアに移り変わり、色も変色していく様子が観察できます |
赤場暁と三七山の間にあるひょうたん山への入口 |
都212号線(三宅一周道路)を赤場暁から三七山に向かって進むと、途中にあるのがジオスポット「ひょうたん山」です。村営バス「赤場暁バス停」の脇に入口があり、山麓までバイクやレンタカーで乗り入れることができて、噴火口跡の周辺を歩き回れてダイナミックな景観が楽しめる人気のスポットです。 火山島の三宅島には噴火口跡は数カ所ありますが、火口跡を直接歩けてここまで生々しさを感じられる場所はひょうたん山くらいなんですね。 |
広場の右端から三七山方向に分かれていく怪しいダート |
ジオスポット案内板の立っているバス停脇から入ると、そこはザクザクとした黒いスコリアの地面が広がる広場になっています。四阿はおろか、ベンチなどは整備されておらず、なにもないだだっ広い場所で、ひょうたん山に行くには左手方向に道なりに進みますが、ここからは右手には標高88mの三七山が見えており、広場の右端にはそちらに向かって1本のダートが延びています。 広場の右端に入口のあるダートはひょうたん山とは逆方向に向かっていて、どこまで続いているのかも分からず、おまけに未舗装状態。なにもなさそうだということで一般観光客は立ち入ることなくひょうたん山を目指しますが、ここは気になるので、まずはひょうたん山へと向かい、その帰りがてらに立ち寄ってみることにします。 |
ひょうたん山のザクザクな山裾を進んでいきます |
進むほどにザクザクさを増してくる路面を進んでいきますが、道なき山裾を進む感じで明確に道があるわけではなかったです。まるで巨大な砂山のような山頂へと続く斜面がすぐ左手にあって、その斜面の一部を進んでいるような感じかな。
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簡単に登ってけそうに見えるけどかなりズルズル |
こんな感じで右手にひょうたん山の斜面がそびえています。歩いて登れば簡単に火口跡に立てそうに見えていますが、ズルズルなスコリアの斜面は登るほどに傾斜も増してくるので、見た目以上に滑りやすくてしんどかったりもします。 ちなみにひょうたん山を登ることいついては、特に禁止されているわけでもなさそうですが、一応、中腹あたりに危険防止の鉄線が張られています。滑り落ちたら危ないですが、自己責任で暗黙の了解になっているのかもね。ただし、間違ってもエンジン付きで斜面を駆け登ってやろうなどと思わないように! |
島のレンタカーやバイクで進めるのはここまで |
そんな感じでスコリアまみれの山裾を進んでいくと、たどり着くのがこの広場。とくに整備されているわけではなくて、これより先はズルズルな斜面で進めず、皆さんなんとなく駐車したりUターンする広場みたいになっているだけです。 なお、広場の片隅に小さな墓地がありましたが、なぜこの場所に? 実はひょうたん山を形成した1940年(昭和15)年の噴火によって、赤場暁湾に面した島下集落が壊滅しています。使者行方不明で11名が犠牲になったそうですが、もしかして噴火以前、島下集落にあったお墓が海の見える景色の良いこの場所に移転されているとか? |
小さい火口は波に侵食されて今は岬のような岩礁が残るだけ |
広場から海へと続くひょうたん山の斜面を眺めてみると、そこは岬のような岩礁になっていて、釣り人が海に向かって竿を垂らしているのが見えていました。 ひょうたん山は「瓢箪」というその名の通り大小2つの火口があったのですが、噴火後80年が経過した現在、海側にあった小さい火口は長年に渡る波の侵食で完全に無くなっています。今ある火口跡の山裾の一部が海に突き出していましたが、あれは波に削り取られてしまった小さい火口の名残りでしょうか? 一夜にしてひようたん山を形成した噴火の力も凄まじいですが、山の半分を完全に消滅させてしまう波の浸食のパワーも凄いな。今じゃ、昔はひょうたん山に大小2つの火口があったなんて、ジオスポット案内板を眺めないと絶対に分からねーし。 |
ひょうたん山を一夜にして形成した噴火はあの山腹で発生しました |
今度は振り返って背後にそびえる標高775.1mの雄山を眺めてみますが、あの山腹の標高200m付近から始まった噴火で放出された膨大な量の噴石やスコリアが一気に積もって、僅か22時間でひょうたん山は形成されたんだよなぁ!
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かつてはここに温泉が湧出していたそうですが・・・ |
今度は広場から続くひょうたん山の斜面を歩いて登りながら、今度は三七山方向の海を眺めてみます。そこには広大な溶岩原が広がっているだけでなにもないですが、ちょうどこの辺りは1962 (昭和37) 年の噴火で逢の浜温泉が湧出した地点。 地理院地図には今もなお温泉記号が記され続けている場所で、温泉は「三七山スポーツ公園健康ランド逢ノ浜の湯」で利用されましたが、残念ながらその後の 1983 (昭和58) 年の噴火によって廃業されています。 |
景色は素晴らしいけど足を滑らせたら終わり! |
ズルズルな赤茶色のスコリアにまみれた道なき斜面を登っていきますが、斜面の一部は海岸を見下ろす断崖になっています。万が一転んでしまうと、ズザザーっと斜面を滑り下った先で崖下に勢いよく放り出されるので、油断すると危ないですよ〜。
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振り返ると広場から登ってきた状況がよくわかります |
ひょうたん山の斜面を登っている最中で振り返るとこんな感じ。前方下方にお留守番のWRが針の先サイズで僅かに見えています。そのことから登ってきた斜面の高さがわかますが、見ての通り、斜面に山道は設けられていません。 というわけでスコリアまみれの道なき斜面をえっちらほっちら歩い登ってきましたが、ここでの転倒は即斜面の滑落に直結します。なのでズルズルの斜面を細心の注意を払いながら進む必要がありますが、強風の日は特に足元に要注意! |
斜め45°が見た目にも怖いひょうたん山の斜面 |
ズルズルで危ないスコリア斜面の様子はこちらの方が分かりやすいかな。さらにひょうたん山を登って行きますが、やがて斜め45°状態が連続するようになってきます。滑ってずり落ちないよう屁っぴり腰で進みますが、普通の靴では限界がありました。 まさかの滑落を警戒しながら進むので、次第に楽しくなくなってきてしまい、ひょうたん山登山はここで終了。遠目には楽に火口までたどり着けるように見えますが、実際は進むほどに蟻地獄状態かな・・・。酷い目に遭わないうちに斜面を引き返します。 |
スコリアの黒砂が波打つひょうたん山から三七山にかけての浜辺 |
斜面を下る途中で再び山裾の浜辺を眺めてみると、すぐ前方の右手には三七山が、そしてその先には海に突き出したサタドー岬が見えていました。浜が黒いのは噴火で放出されたスコリアによるもので、波打ち際には凄まじい量が積もっています。そしてここから視界に入る全ての地形が過去の噴火によって形成されたものなんだよなぁ!
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断崖の上には白亜のサタドー岬灯台が小さく見えています |
広場に戻ってひょうたん山に背を向けて南側を眺めると、サタドー岬に連なる高さ50mにも及ぶ断崖が見えています。過去の噴火で海に流れ下った溶岩の台地が太平洋の荒波で侵食されてできた海蝕街ですが、それにしても物凄い高さです! こうして離れた地点から眺めると、スケールの大きさがよく分かりますよ。
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すぐ右手には三七山の斜面が迫っています |
広場でお留守番していたWRに戻り、今度は都道出口の広場から三七山方向に向かうダートに立ち入ってみます。ガラガラな細かい溶岩片とスコリアで真っ黒であった路面のすぐ右手には、標高88mの三七山山頂へと続く山裾の斜面が位置し、そこを回り込むようにして未舗装路は延びていました。
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全てが溶岩でできたダートは走り心地も抜群! |
世の中に未舗装なダートは多くあれども、ここまであからさまに溶岩チックなダートは珍しいな! 路面に散らばる小石も全てが細かく砕けた溶岩片であり、路肩には山側から押し出しすように厚い溶岩層が迫っています。その独特かつ異様な雰囲気に間違いなく誰もが「さすが火山島の三宅島である!」と思ってしまうことでしょう。
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内部からいまだに熱を放ち続けているようにも見える赤茶けた溶岩層 |
路肩に迫る溶岩の層はこんな感じでした。元は黒かった溶岩は酸化して赤色を帯びており、それが荒々しく堆積しているのがよく分かますね。眺めるだけでなく道すがらに立ち止まれば、これらに直接手で触れてその感触を確かめることもできます。 溶岩の赤色っぽさは今も熱を放ち続けているようにも見えますが、もちろんすでに冷め切っています。眺めているこの瞬間にも、山側から海へと押し出そうとする力でガラガラっと崩れてきそうな気がしてならなかったです。 |
ダートの末端地点からはサタドー岬の断崖がすぐそこに! |
そして溶岩ダートを行けるところまで進んだ地点がここ。この先にはもう道はなくて、黒々とした巨大な溶岩塊が点在する荒涼とした草原が広がっているだけ。位置的には三七山の海側の山裾で、そこはジオスポット「赤場暁」の案内板に記載されている昭和15年7月3日の地図で「ニシツシロ」という地名が記されている地点付近かな。 そしてなによりも、すぐ目前には高さ50mにも及ぶサタドー岬の目も眩むような断崖が横たわっているのが物凄い迫力! これほどの高さの断崖を形成するほどの溶岩の量って一体どれほどなのかと、噴火のパワーの半端なさに呆然とさせられますが、そんな断崖台地の上にはサタドー岬灯台の上部が僅かに見えています。 |
1940(昭和15)年の噴火以前は海だった場所を走ります |
ダートを末端地点まで進んで迫力満点なサタドー岬の断崖を眺めたら、今来た道を引き返します。前方にはひょうたん山の頂がちょこんがと小さく見えていますが、海辺に面したこの辺りは1940(昭和15)年の噴火以前は海だった場所。 当時の噴火でひょうたん山が瞬時に形成され、その時に放出された膨大な量の溶岩と火山灰や砂礫で湾が埋まって今の景色ができたわけですが、僅か80年前はここは海だったなんてちょっと信じられないな〜。う〜ん、自然の力って超絶凄ごいなぁ! |
この位置からだと「火口」だということがよく分かります |
酸化の赤みを帯びて黒々とした溶岩質の砂礫親岩屑が散乱する溶岩ダートを引き返してひょうたん山の山裾まで戻ってきました。近くからや遠くからだと「山」にしか見えませんが、少し離れたこの位置からだと、ひょうたん山が噴火でできた「火口」であることが視覚的にもよく分かります。 頂き部分がボコっと大きく陥没している状況がよく見てとれるので、山であると同時に火口であることが一目瞭然なんだよな! というわけで、三七山方向に向かうこの溶岩ダート、オフバイクで三宅島を訪れたなら、絶対に走っておくべきです。 |
三宅島の見所スポット[ 坪田 ]へ |