救荒食として島の人々を救ってきたサツマイモ |
サツマイモ(甘薯) |
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三宅島にサツマイモ(甘薯)が伝来したのは1735(享保20)年。サツマイモが伝わる以前の島の主食はムギやアワ、サトイモでしたが、度重なる凶作や噴火によって飢饉に苦しめられていたため、8代将軍徳川吉宗さんの江戸時代に救荒食として島に持ち込まれたのが甘薯とも呼ばれるサツマイモです。 火山島で土壌が酸性なため三宅島はサツマイモ栽培に適していたようで、以後は飢餓から免れるようになり、長い間主食として食べられてきた歴史があります。 主食として食べる以外にも、三宅島には天日干しで乾燥させたサツマイモにもち米を混ぜて作る「さつま餅」という郷土料理があります。その形がナマコに似ていることから「なまこ餅」とも呼ばれ、切って焼いて食べますが、このさつま餅は三宅島以外では御蔵島でもよく食べられているみたいです。三宅島の飲食店でもたまにレジの横などに置かれて売られていることもあるので、見かけたら買って食べてみてもいいですね。 また、サツマイモといえば焼酎ですが、三宅島で初めて芋焼酎が造られたのは1853(嘉永6)年。薩摩藩の藩命による密貿易の科で八丈島に流罪となり、日和待で三宅島に滞在中だった丹宗庄右衛門さんによってサツマイモの芋焼酎が初めて造られています。 |
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