ガソリン給油量 8.59L | 給油回数3回 | ガソリン代 1538円 | 総走行距離 226.6 km / ダート走行距離 107.6 km | トップへもどる |
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車両の通行が途絶えたダートの路肩には潅木が薄気味悪く連なって茂り、路面は土が見えない芝生状態と化していたポンムリイ林道はまるで別世界。昼なお薄暗い不思議空間の回廊を単騎駆けで黙々と突き進みますが、いくら進んでもダートが途切れる気配がありません。延長5500mの長さがとてつもなく長く感じられてしまいます。
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薄気味悪い潅木の回廊区間を抜けると、その先には鬱蒼とした樹林が茂る森のまっただ中に緑の芝生ダートが美しく延びています。草ボーボーで藪まみれというわけでもないですが、それにしてもここは閉塞感と隔絶感が半端ねーな。まるで先へ先へと誘い込まれるているかのように進んでしまいます。
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フカフカな芝生ダートをひたすらたどって前進しますが、途中、樹木の幹がバラバラにぶった切られているのを目撃。明らかに人為的になされた倒木の処理であり、それはそれで嬉しいのですが、しかし、切断した倒木をどうしてその場に放置する? WRで通り抜けるのに邪魔でした。
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その後、どれほど進んだでしょうか。周囲への視界が全く効かないので、具体的にどの辺りを進んでいるのかさっぱりでしたが、やがてダートを覆う雑草が勢いを増してきたなと思った次の瞬間、横倒しで行く手を塞ぐ倒木が現れてしまいました。 さすがにこの規模だと乗り越えることも潜り抜けることできず、今きた道を引き返すしかありませんが、所詮ポンムリイ林道はピストンです。どのみち引き返すことになるので潔く撤退を決意しますが、しかし、幅員が狭いので反転するにはWRを前後にゆっさゆっさと揺すって切り返す必要があったけどな。 |
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本日の林道探索を終えて人里遠く離れた山の中のポンムリイ林道で見上げた空。今日もよく走りまくったと、独り感慨に耽ってしまった瞬間だったな〜。
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その後、道1070に退出して現在丸瀬布の市街地に向かって移動中。しかし、この道道は途中でゲート封鎖されていることもあって、丸瀬布温泉〜ゲート間で車とすれ違うことはまずありません。なので、ここは道道であるにもかかわらず、こんな場所でガス欠とか釘踏みパンクしたらと思うとけっこう怖かったりします。
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道1070を走り抜けて丸瀬布の市街地に到着したら、セイコマ丸瀬布店に再び立ち寄ります。今夜泊まるセトセ温泉は素泊まり専用の温泉宿なので、夕食を調達しておくためなんですね。丸瀬布のセイコマを逃すと、この近辺では遠軽市街地までいかないとコンビニはないので、ここで購入しておく必要があります。
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晩メシを調達したら、その足で給油をしておきます。JR石北本線丸瀬布駅そばの市街地にあるGSですが、先ほどとはスタンドを変えて今度はIDEMITSU丸瀬布SSを利用してみました。ハイオクL / 173円で3.06L(529円)入りましたが、残念、先ほど利用したアポロステーションよりもL / 6円ばかし高かったぜぇ・・・。
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晩メシの調達と給油を終えたらR333を遠軽方向に進み、石北本線「瀬戸瀬駅」の少し先で道493に右折します。すぐに現れる旭川紋別自動車道の「遠軽瀬戸瀬IC」をそのまま通り過ぎたら、後は道道沿いにあるセトセ温泉までガラガラな同道をひた走るだけですが、国道から温泉まではおよそ8.5キロの道のりです。
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セトセ温泉へと向かう道すがらの道493沿いに広がる広大なトウモロコシ畑。いかにも北海道らしくて見渡す限りトウモロコシだらけですが、これって飼料用のデントコーン? それとも食用のスイートコーン? なお、コーン畑の中に廃屋が物悲しくぽつんと立っていましたが、この辺りも過疎化が深刻なのだろうな〜。
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今晩お世話になるセトセ温泉に到着。てっきり山奥の湯小屋のような建物を想像していましたが、建物には大きく「セトセ温泉ホテル」と掲げられています。 しかし、建物は古めかしく、正直「これがホテル・・・?」と思ってしまいますが、おそらく昔は観光客で賑わった観光ホテルだったに違いありません。でもその後の時代の流れに取り残されてしまい、コロナのせいもあって今はすっかり寂れています。 |
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バス停もあるセトセ温泉ホテルのすぐ前の道道。ここで道道番号が道493(奥瀬戸瀬瀬戸瀬停車場線)から道592(湯里生田原停車場線)へと変わり、これより先は道ウラシマナイ林道の入口までの区間がダートになっています。というわけで宿の前から美味しそうな砂利ダートが開始していましたが、さすがに今日はもう走りません。 ちなみにセトセ温泉ホテルが立つ「瀬戸瀬」は、かつてアイヌの人たちが住む集落「コタン」のあった場所らしいです。瀬戸瀬にマッチ工場ができて和人の入植者がやってくる大正初期の頃には、まだアイヌの「熊祭り」が毎年行われていたそうですよ。 熊祭りを行うほどなので、瀬戸瀬のコタンにはかなりの人数がいたらしく、アイヌの人たちは昭和の始め頃まで住んでいたそうです。土地の古老の話によれば、焼酎が好きでアキアジとカボチャをしょっちゅう交換しにきていたとか。そして現在、瀬戸瀬は過疎化で和人の定住者らいなくなっていますけど、今はもう遠い昔の話だな〜。 |
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セトセ温泉ホテルは山奥の一軒宿ですが、遠軽からここまで過疎ダイヤながらも遠軽町営の路線バスが通っているようです。運賃は片道350円で運行時刻は以下の通り。 遠軽(役場前) 発8:20、11:20、15:00 瀬戸瀬温泉 発9:10、12:10、15:50 所要時間は片道40分。遠軽、瀬戸瀬温泉発共に日曜祝日は第1便は運休。12月31日〜1月2日間は全便運休。 |
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セトセ温泉ホテルの1階ロビーにある受付フロントです。他に宿泊客はいないようで、かなりひっそりとしていましたが、受付には入浴料金や宿泊料金を記した案内表や、セトセ名湯石鹸やらセトセ温泉石鹸、タオル、ヒグマの酒などが所狭しと並べられていましたが、かなり雑然とした状態。 受付にで「すみませ〜ん」と到着を告げると、受付事務所の奥にいた宿の管理人みたいなオヤジさんがのそっと出てきましたが、セトセ温泉ホテルは素泊まりだけなので料金先払いだとのこと。たしかチェックイン時に4300円を支払ったと思います。 |
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宿泊料金先払いというのがホテルらしく、料金を支払ったら告げられた2階の客室に向かいます。赤い絨毯敷きとなった廊下の両脇に客室が並んでいましたが、やはり建物全体的に年季が感じられますなぁ。
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客室は広縁のある8畳の和室。客室には浴衣とテレビと冷蔵庫、扇風機とストーブが備え付けられており、テーブルにはお茶セットが用意されていましたが、窓際に置かれたソーファーがいい感じ! 昭和の香りがぷんぷんで古さは否めませんが、かつては宿泊客で賑わっていたことをうかがわせるような客室の雰囲気です。
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おお、別室があるじゃないですか。こちらも和室の6畳ですが、安っぽいホテルや旅館なら普通は2部屋もついていませんね。へへ、なんだか得した気分!
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というわけで客室全体を見渡すとこんな感じかな。ちなみにセトセ温泉ホテルでは布団の上げ下げはセルフ方式で、テレビの脇の押し入れから布団を出して敷くようになっています。そりゃあ、昔は従業員もちゃんといて、夕食や朝食も部屋食でとれたのだと思いますが、今は管理人のオヤジさんが1人だけだからなぁ・・・。 ちなみにセトセ温泉ホテルができたのは1956(昭和31)年のこと。オープン後は遠軽の奥座敷として賑わいましたが、黙っていても観光客が押し掛けた時代は過ぎ、やがて建物は老朽化。じわじわと近隣の温泉施設に客を奪われて経営難となり、1998(平成10)年からは素泊まり限定の宿として経営の再建を図っているらしいですよ。 |
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窓際の広縁にはフカフカなソファーが2つ置かれていましたが、ここで湯上りでビールでも飲んだら最高に気持ち良さそうだな〜。
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さっそく窓のガラス戸を開け放ちます。窓からはホテルの前を通る道493とバス停が見えているだけですが、とにかくここは静か。セトセ温泉ホテルでは、客室からの景色よりも、山奥の静かなたたずまいと温泉がなによりも得難いです。
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セトセ温泉ホテルの名入れの浴衣。そこには「セトセ セトセ セトセ セトセ」と、格子模様でセトセ温泉の文字がひたすら記載されていましたが、さすがセトセ温泉ホテル。よそでは見かけぬこの和入れの浴衣、ただものじゃないな!
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客室で旅装を説き、一息つけたらさっそく温泉です! ロビー正面の階段を降りて左に今がった先にある浴場に向かいます。
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ちなみに受付ロビーの右手には休憩室の広間がありましたが、ガラリと扉を開けてみると、温泉の常連らしき3、4人のオッサンたちがそこで鍋を囲んで宴会中だったかな。しかし、クマ肉だかシカ肉だか分かりませんでしたが、鍋で煮られた肉が放つ、その場にいられないほどの猛烈な獣臭が凄まじかったぜぇ・・・。
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浴場へ向かう途中にあった洗面所。周囲には冷水機やマッサージチェアなどが置かれていますが、さすがに自炊のための調理場はないみたいだな。今は素泊まり専門の宿になっていますが、本来は当時宿というわけでもないということでしょうか。
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受付ロビーから延びる廊下を進んだ先にある浴場入口です。セトセ温泉はかつて遠軽の奥座敷とうたわれたほどの温泉なので楽しみですが、ひっそりと静まり返っていて、日帰り入浴客は一人もいないみたいだな。
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