薄木 溶岩流
  三宅島の見所スポット[ 阿古エリアのジオスポット ] 林道探索の書 〜今日もどこかで林道ざんまい〜 
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    8薄木 溶岩流
    9新澪池跡と新鼻新山
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村営バス「粟辺」バス停から徒歩10分

薄木 溶岩流
〜1983年噴火 山腹割れ目噴火と溶岩流〜
1983(昭和58)年10月3日、噴火は標高450mの二男山(じなんやま)付近で始まりました。
噴火割れ目は上方と下方にのび、長さ4.5kmに及ぶ噴火割れ目を形成し、
火口は90ヶ所以上に及びました。

噴出したマグマの大半は、溶岩流となって谷を流れくだり、この薄木地区では海岸まで達しました。
この都道を溶岩流が越えていったのは、噴火開始から約2時間後のことです。
[ GEO POINT ]山腹割れ目噴火 Flank eruption Fissure eruption
300年あまりの休止期をへて、1469(文明元年)年から現在まで13階の噴火が起きています。
2000(平成12)年噴火は山頂噴火でしたが、それまでの12回のすべての噴火で、「山腹割れ目噴火」が起きています。
そのうち4回は、山頂火口からも噴火しています。
噴火の周期は、最近では21年、それ以前は、その整数倍の間隔で、噴火が繰り返されてきました。

三宅島は、この噴火の歴史から、山腹割れ目噴火をおこす代表的な火山のひとつになっています。
しかし、その割れ目の方向は一定しないため、どこから噴火するのかを予想するのは困難とされてきました。

2000(平成12)年噴火では南西から西に向かってマグマが貫入しましたが、
地表に出ることなく、海底下を走っていきました。その一方、失われた体積を埋め合わせるように、
山頂が陥没し、予想を越える山頂噴火がおこったのです。
噴火によって失われた植生がどう回復しているのか、上の写真と見比べてください。

1983(昭和58)年の噴火で溶岩流が都道を越えた地点

三宅島一周道路(都212号線三宅循環線)を坪田から阿古に向かって進むと、新澪池跡を過ぎた先の粟辺〜薄木地区で通りがかるのがジオスポット「薄木 溶岩流」。ここがどのようなどのような場所なのかというと、1983(昭和58)年に発生した噴火では、溶岩流は谷を流れ下って薄木の海にまで達しましたが、その時に溶岩流が都道を越えていった地点がちょうどのこの場所だというわけ。

しかし、当時の噴火から30年以上が経過した現在では、道路脇には樹木が深く茂っているため、そのような場所であることに気がつきません。ここは三宅島を一周するさいに必ず通る地点なのですが、現在の溶岩流は樹林の奥に隠されて道路からは全く見えていないため、たいていの観光客はとくに気にせず素通りしてしまいます。

見学用の遊歩道などの整備は全くされておらず、道端にぽつんとジオスポット案内板があるだけでしたが、ためしに生い茂る樹林の隙間から奥をのぞいてみると・・・。





山腹から流れ下った溶岩の流れがはっきりと分かります!

うひゃぁーっ! 遥か前方の雄山の山腹から黒々と焼けた溶岩地帯がこちらに向かって下って続いているのがはっきりと見えているじゃないですか! あの斜面をドロドロな灼熱のマグマが流れ下ってきたわけですが、山腹から都道に向かって迫り来る溶岩流路がくっきりと見てとれますね。これは凄い迫力です!

現在の七島展望台がある二男山(じなんやま / 450m)付近で発生した山腹割れ目噴火は、山腹の上下に延びて、長さ4.5kmにもおよぶ長い噴火割れ目を形成、火口の数は実に 90 ヶ所にもなったそうです。 火口から噴き出た溶岩は主に3方向に流れ下っていますが、そのうちの1つがこの薄木溶岩流なんですね。





信じられないほどの圧倒的なスケールで目の前に広がる薄木溶岩流

黒く焼けただれて固まった現在の溶岩流。遠くから眺めると、散策気分で歩いて登って行けそうにも見えますが、まあ、無理ですね。余りにもスケールが大き過ぎて、画像からは溶岩流の巨大さが実感しにくいですが、ゴツゴツとした溶岩はとても歩いて進める状況ではなかったなぁ・・・。溶岩の隙間に転落して大怪我してしまいますよ。

ちなみに溶岩流が都道を越えていったのは噴火開始から2時間後のことで、今でこそマグマは冷えて黒く固まっていますが、噴火当時は灼熱のマグマで一面が火の海となっていたことが容易に想像できる眺めです。

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