三宅島役所
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建物の一部屋が島役所を兼ねていた壬生氏の屋敷

江戸時代、伊豆諸島は徳川幕府の天領で、三宅島は伊豆韮山代官によって支配されていました。その代官の命を受けて島政を司っていたのが壬生氏で、「三宅島役所」は島の神主兼島方取締役で島内の最高権力者であった壬生氏の屋敷です。屋敷が役所を兼ねていたわけですが、その中の一室が役所として使用されていたらしいです。

もともと壬生氏の屋敷は御笏神社と共に神着村の東郷にありましたが、神社が現在地に遷宮されると、その18年後の1534(天文3)年に神社の後を追って島役所の所在地もこの場所に移転されています。というわけで建物は御笏神社の参道の途中にあります。






壬生氏と島役所の建物についての説明板

三宅島役所
三宅島役所は、島内唯一の茅葺家屋です。
三宅島役人の壬生氏は島内の神社を統括する神官で、御笏神社地内に居を構えていました。

江戸時代には伊豆代官配下の手代が三宅島に派遣され、御蔵島と合わせて
支配していましたが、まもなく島民の中でも有力な神官の壬生氏が島方取締役に任命され、
寛永15年(1638年)年には地役人と呼ばれるようになりました。
天明3年(1783年)には伊ヶ谷村の笹本氏も地役人となり、幕末まで両氏による在地支配が行われました。

棟札などの記録がないため建築年代は不明ですが、建築様式から江戸後期の建物と推定されます。
主屋は桁行8.3間、梁間4.5間で、茅葺、寄棟造です。

間取りは、三宅島の古式の基本的間取りである土間のウスニワ、床上部のナカノマ、ザシキ、チョウダイの三室形式で、
梁間制限のあった一般民家に比べ、規模・構造とも神官と地役人の家格にふさわしい間取りです。
東京都教育委員会
屋敷の主人であり、三宅島の神官、そして地役人でもあった壬生氏について、そして建物の建築様式についてが説明板に記されていますが、なるほどね〜。壬生氏は島内の神社を統括する神官なので、御笏神社の地内に屋敷を兼ねた三宅島役所があるのか。

三宅島の最高権力者であった壬生氏の屋敷は一般民家と比較して造りや規模が格段に豪華なものでしたが、実際のところはここでどのような生活をしていたのかな〜。






こちらは建築物としての島役所の説明板

島役所跡
この建物はもともと神着村東郷の地域にあったが、永正13年(1518年)に
御笏神社が神託によって現在地に遷宮された関係から、18年後の天文3年(1534年)にこの地に移転したものである。

建物の面積はおよそ46坪、現存している木造建築では伊豆諸島の中で最古最大の規模を誇り
材質はすべて椎の木が使われている。
特に注目されているのは「カンナ」が全く使われていない建築様式で、
主として「手斧」で仕上げられた貴重な建築物として東京都の文化財に指定されている。

また、前庭にある柏槙(びゃくしん)の巨木は「イブキ」の一種で、
御笏神社が東郷の里から移った直後に植えられたと伝えられ、樹齢はおよそ470年を数える。
往古は柏槙の神としてあがめられていた歴史をもち、
異色の巨樹として昭和11(1936)年に東京府の天然記念物に指定されている。
三宅村
三宅島の行政機関であった島役所。今から500年ほど昔の天文3年(1534年)に現在の場所に移転され、以来500年間、島役所はここにあり続けているわけですが、勘違いしていけないのは、現存するこの建物が500年前に建てられたものではないということ。

つまり、島役所の所在地が変わっただけで、現在の建物そのものは江戸後期に建築されたものらしいです。伊豆諸島では最大最古を誇る木造建築物ですが、さすがに生活の場である屋敷を兼ねた島役所の建物が築500年も保つわけありません。説明板をぱっと見すると勘違いしそうなので念のため・・・。

そういう意味でも、ユネスコの世界遺産に登録されている築1300年を越える世界最古の木造建築「法隆寺」などは、これはもう比較にならない別格クラスなんですね。






あああああああああ

壬生氏の屋敷でもあった島役所の正面。ただの古民家とは異なり、シイの木材だけでカンナを使用せずに建築されたという建物には、東京都の文化財に指定されるだけの風格がありますね。大きさもどっしりと構えた屋敷というにふさわしい規模。昔の貧しい島民からすれば、まさに御殿だったことでしょう。

そしてこの三宅島役所の建物は、壬生氏の子孫の方が代々住居として使用しています。そのため内部は一般非公開。見学をお願いするのは非常に迷惑なので止めておきましょう。当然ですが、たぶんというか確実に断られます。

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