火の山峠
  三宅島の見所スポット 林道探索の書 〜今日もどこかで林道ざんまい〜 
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三宅一周道路から雄山環状林道へと向かう途中にある火の山峠

三宅島を海岸沿いに周回する都212(三宅一周道路)号線と、雄山(おやま / 771m)の山腹を一周する雄山環状林道との中間にある展望台が「火の山峠」。

標高156.1mの峠からは見晴らしが素晴らしく、眼下には「火の川」と呼ばれる溶岩流が凝固したダイナミックな景観が広がり、さらに峠からは「ひょうたん山(59m)」と「三七山(さんななやま / 88m)」が、さらにその先には太平洋の大海原までも見渡すことができ、夜は三宅島の星空を眺める絶好の星空スポットにもなっていますよ。






峠に設置されていた説明板と看板群

峠の片隅には国立公園であることを示す「富士箱根伊豆国立公園 火の山峠園地」の案内板が立ち、峠の説明板も設置されていました。「富士箱根伊豆国立公園」は富士山を頂点として伊豆半島から伊豆七島、硫黄海嶺に続く火山列に起因する火山孤峰や火山カルデラ、半島、列島景観により形成される国立公園です。

昭和11(1936)年に富士山地域と箱根地域が富士箱根国立公園として指定されており、昭和30(1955)年には伊豆半島地域が、昭和39(1964)年には伊豆諸島地域が編入されて今の富士箱根伊豆国立公園になっています。富士、箱根、伊豆ということで東京都、神奈川県、静岡県、山梨県の広大な地域にまたがる国立公園なんですね。






これは火の山峠の由来板

火の山峠
昭和15(1940)年7月及び昭和37(1962)年8月の大噴火は緑におおわれた原生林であったこの地を一夜にして
焼きつくし、真赤に燃えたぎった溶岩は谷間を火の河と化して流れ、遠く海を埋めた。

海辺に見える赤く焼けた美しい火口は、昭和15年7月の噴火により
一夜にして海中から噴き上げた山で、その名を「ひょうたん山」とよぶ。

又、この山の右手の小高い丘は、昭和37年8月の噴火により隆起し、
その上に火山灰が降り積ってできた山で、その名を「三七山」とよぶ。

これら附近一帯は国立公園の特別保護区に指定されている。
東京都
言うまでもなく峠の「火の山」という名称は火山の噴火を示しており、説明板には峠からは昭和前半の噴火によって形成された「ひょうたん山」と「三七山」という2つの山を間近に眺めることができると記されています。






三宅島が国立公園であることを示す看板

こちらは「富士箱根伊豆国立公園 三宅島」と記された看板。三宅島は集落地を除く大部分が国立公園特別地域として環境庁長官によっ指定されている旨が記されています。

なお、三宅島は全島が公園区域ですが、公園区域は規制が最も厳しい順に「特別保護区域」「第1種特別地域」「第2種特別地域」「第3種特別地域」「普通地域」に区分されており、看板にはそのマップが掲載されています。

それにしても国立公園がそのように区分けされているなんて意識したことはなかったですが、看板によれば三宅島の場合、特別保護区域は雄山の山頂エリアとのこと。






国立公園を示す木の杭と赤茶に焼けた溶岩

国立公園を示す木製の杭もありました。杭には「富士箱根伊豆国立公園 三宅島 火の山峠」と記されていますが、すぐ傍にはモニュメントとして赤茶色の溶岩の塊が!

溶岩は眼下に見渡す溶岩原を埋め尽くす溶岩の一部で、峠を訪れた者が眺めると同時に直接手で触れられるという心憎い趣向ですね。峠は眺める景観も素晴らしいですが、それでいながら火山噴火を意識させられる場所でもあるんだよな〜。







お約束のお立ち台は三宅島らしく溶岩製

これはビューポイントではお約束のお立ち台ですね。火山島の三宅島らしく溶岩を積み重ねて構築された手置き台には鳥瞰図が記されており、そこに立って景色を眺めれば、火の山峠からどの方向になに眺めているのかが明快ですなぁ!






広大な溶岩原と噴火で瞬く間に形成された三七山

おお、展望台より右手を眺めてみると、海岸付近にポコっと盛り上がった「三七山(さんななやま / 88m)」が見えているじゃないですか! 付近に大きさを比較できる人工物がなにもないので標高がピンときませんが、88mあるそうです。昭和37(1962)年の噴火でできた山なので、その年号から三七と言います。

三七山は雄山山頂と赤場暁を結ぶ山腹で発生した割れ目噴火で噴出された噴石が積み重なって形成された噴石丘の山。スコリア丘とも言いますが、現在は緑に覆われている峠から三七山へかけての広大な斜面は流下した溶岩が凝固した溶岩原になっています。






峠には四阿とベンチとテーブルがあります

火の山峠は「七島展望台」に負けず劣らず眺めの素晴らしい三宅島を代表するビュースポットです。雄山環状林道の七島展望台へ行く途中にあってアクセスも七島展望台より良いため、レンタカーやレンタルスクーターで訪れる観光客も多いみたい。

そのためか、峠には新しめの東屋と木製のベンチとテーブルが整備されていました。なので、島内巡りの途中で景色を眺めながらランチをいただく場所としてもちょうどいいと思います。ただし、当然ながら売店や自販機の類はなにもないですよ。






かつて噴火で湧出した「逢の浜温泉」があった逢の浜海岸

ひょうたん山(左手)と三七山(右手)との間に開けた海岸を眺めてみますが、そこは過去の噴火で溶岩流に埋め尽くされた「逢の浜海岸」。1962(昭和37)年の噴火で逢の浜温泉が湧出した場所で、今も地理院地図では温泉記号がポツンと記されています。

湧出した温泉は「三七山スポーツ公園健康ランド逢ノ浜の湯」として利用されましたが、開業後すぐに2000(平成12)年の噴火で閉鎖してそのまま廃業・・・。現在は海岸へと至る道すらなくて、こうして眺めてみてもなにもなかったです。






噴火発生後、僅か22時間で形成された「ひょうたん山」

これは三七山の左手にある標高59mのひょうたん山。1940(昭和15)年、雄山北東の標高200m付近で発生した噴火により、大量の溶岩やスコリア、火山弾が放出されて僅か22時間という短時間で形成された山です。山頂の右手の斜面には大きくボコっと窪んだ火口が見えていますが、直径は100m、深さは30mほどあるそうです。

噴火の前はこの辺りは海だったそうで、山の向こう側には海に突き出した断崖が見えています。海に向かって流出した溶岩が海に面してひょうたん山を形成し、その先端が波に侵食されて海蝕崖になったのでしょうか。






開放的な雰囲気と眺める景観が素晴らし過ぎる火の山峠

かつての噴火の生々しい痕跡が一望できる火の山峠の全景です。休憩できるベンチとテーブルとお立ち台、そして東屋と案内板があるだけで他にはとくになにもないですが、地面の土も赤黒く、峠も噴火の跡であることがそれだけで分かる場所。

海を見渡す峠のすぐ背後には背後には天上山がダイナミックにそびえ、恐ろしく開放的で眺望が素晴らしいので、七島展望台と共に是非とも訪れておきましょう。

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