王葬
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三宅一周道路の道端にある王葬

神着の御笏神社から都212号線(三宅一周道路)を三宅島郵便局方向に進むと、都道の右手にあるのが「王葬」。道路より一段高い石積みの場所に石碑ようなお墓があって、その脇に由来板がその横に掲げられています。でもいきなり「王葬」と言われても由来板を読まないとなんのことだかさっぱり・・・。






徐福伝説を拠り所とする由来が記されています

王葬(おーほり)の由来
古書椿節弓張月によれば、秦の始皇帝(西暦前259年〜210年)は
当方の扶桑の国に不老不死の薬草(あしたばらしい)を求めて徐福と武将に数百名の兵士を付け、
軍船を仕立てて薬草の採取を命じ日出ずる国日本に遣わしたとあり。

此の文献についての史実として、
軍船の一隻が台風に遭遇し、難破して三宅島沖に漂着し、神着美茂井の浜にたどりついた。
此の軍船に乗っていた武将が大怪我をしており、ついに三宅島に於て、
命運尽きて息絶えたと伝えられる。

島人は此の武将の亡骸を現在地の北の方向の向いの山に埋葬したところ、夜になると埋葬の場所から、
天に向かって火の玉が上がるのを見て、王様の魂かと恐れおののき、
王様を村落よりも低い場所に埋葬したためではと考えて、現在の地にねんごろに改葬し、
王葬として祭ったと伝えられる。
改葬後は火の玉は上がらなかったという言い伝えがある。

三宅村
王葬と書いて「おーほり」と読むそうですが、ここは不老不死の薬を求めて東方に旅立ったという、全国各地に多くある中国の徐福伝説が関係する史跡らしいですね。徐福一行の軍船の一隻が神着の海岸に難破し、ただ一人瀕死で生き残ったものの、結局助からなかった一人の武将を埋葬した場所ということらしいです。

ちなみに徐福は中国でも伝説の人物でしたが、昭和57(1982)年、江蘇省で徐福が住んでいたと伝わる徐阜(徐福)村が存在することが判明し、今は石碑も建てられて実在の人物とされています。村には現在も徐福の子孫が住んでいて、諸葛孔明の諸葛八卦村みたいに代々、先祖の徐福について語り継がれてきたみたいですよ。

不老不死の薬とされる「アシタバ」を求めて徐福一行が伊豆諸島にやって来たかどうかはさておき、文献による史実としては、島に虫の息でたどり着いた漂着者がこの地に埋葬されたというのは本当にあった出来事らしいな。そのため以前は神着地区のこの地域は「王葬山(おほりやま)」と呼ばれていたそうです。






漂流者が立派な身なりをしていたのが王葬の由来

今も残る小さなお墓。埋葬された人物が徐福一行かどうかはともかく、漂流者は身なりが立派で王者の風格だったことから、「」葬と呼ぶらしいです。

元々は道路を挟んで海岸寄りのムカイという場所に葬ったそうですが、夜になるとお墓から火の玉のようなものが飛ぶようになったとか。恐れた村人が「貴い王をこのような場所に埋葬したのは間違いであった」と、お墓を道路から高い現在の地点に移転させた後は怪奇現象も収まったといいます。

神着地区にはお墓から火の玉が飛ぶその様子を唄った民謡「向かいの山」があったそうですが、今は完全に忘れ去られて知る人もいなくなっているらしいです。

向かい山で光るものなになに 月か星かおさま(王様)の松明か 民謡「向かいの山」

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