子安宮
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三宅一周道路の脇に石段がある子安宮

伊豆の三宅島警察署から神着の御笏神社に向かって都212(三宅一周道路)を進むと、ちょうどその中間地点付近にあるのが「子安宮」。子安神社とも呼ばれますが、見かけはなんの変哲のない普通に見かけるような神社です。由来板が掲げられていなければ、たぶんそのまま通り過ぎてしまいうかも・・・。






地元ではバンバ様とも呼ばれる子安宮の由来

子安宮の由来
子安宮は全国各地に鎮座するが、三宅島の子安宮の御神体も母体を像どる石祭神であって
側に陰陽を表わす2個の石が祭られている。
三宅島の子安宮は明治4(1871)年足柄縣庁に提出された伊豆国府三宅島神社調べに依れば、
御神体石祭神不明と神社籍から除かれ禰後同社は禰宜井上家に護持されて来た。

三宅島の子安宮創建の時代は文化文政の頃井上治五エ門が8名の子女の天折を悲しみ、社祠を建立し、
祭礼を行って井上家の護持と村人の尊祟に依って護持されて来たものである。
子安宮の祭神は木花開耶姫命が奉祭されている。

子安宮は安産、子育、子孫繁栄の神で此の宮の俗名については、バンバ様とも呼ばれている。

三宅村
うむ。これによれば、文化文政(1804〜1830)の江戸時代、第11第将軍徳川家斉の頃、井上治五エ門さんという方が、若くして亡くなった8名の女の子を悲しんで祠を建立したのが子安宮の創建の由来みたいだな。

祭神は木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメ)。安産・子授けを司り、竹取物語のかぐや姫のモデルとか、桜の花の語源だともいわれ、とても美しいとされる日本神話の女神様ですが、御神体には陰陽を表わす2個の石が祀られています。






祠は石段を登ったさらに先にあります

昼なお暗く、鬱蒼とした森の雰囲気に石段を登るのは遠慮させていただきましたが、石段の上に見えている石塔は、島内の他の神社でもたまに見かける日露戦役記念碑。肝心の子安宮の祠はその先をさらに登った地点にありますが、でも祠は閉じられて御神体の2個の石は観ることはできないみたい。

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