釜の尻
  三宅島の見所スポット 林道探索の書 〜今日もどこかで林道ざんまい〜 
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  神着エリア
  神着エリアの見所スポット
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     14 樹叢と溶岩流と砂防施設
     15 浅沼稲次郎生家
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     17 子安宮
     18 三の宮
     19 ナダード
     20 釜の尻
     21 焼場
     22 三宅島内燃力発電所

神着から坪田に向かう途中にある釜の尻バス停

江戸時代、三宅島には「塩年貢」という制度がありました。水田の存在しなかった離島ならではの米の代わりに塩で納める年貢ですが、承応年間(1655〜1658)に始まったといわれ、元禄3(1690)年に金納制度に替わるまで30余年間にわたって続きましたが、室町中期の永享3(1431)年に運上塩に絡む不祥事件の記録があることから、江戸時代以前の古い時代から行われていたとも考えられているそうです。

島民に課せられた年貢の量はおよそ56トン! それだけの膨大な塩を生産するには島内5つの村が、塩を焚く山方と、運搬管理を担当する海方の2組に分かれて昼夜の区別無く生産しなければ追いつかず、島民の苦難は言語に絶するものがありました。

現在、三宅島で製塩業は営まれておらず、塩とは無縁の島になっていますが、江戸時代は年貢のため必死に塩が焚かれていた島なんですね。その名残りが都212号線(三宅一周道路)で見かけた「釜の尻バス停」にうかがうことができます。地図に記載はなくて忘れ去られていますが、その他にも「焼釜」という地名があったりもします。






かつての製塩を僅かにしのばせる釜の尻バス停

三宅島の海岸地帯には「釜庭」「釜の尻」「釜方」「釜根」などの「釜」のつく地名がいくつかありますが、それはかつてその場所に製塩のための塩焚場があった名残り。釜とはもちろん塩を炊く釜のことで、製塩に由来する地名の一部が村営バスの停留所名として残っているんだよなぁ。

でも三宅島で製塩が盛んだったのは遠い昔の江戸時代の頃。その面影は地名としてバス停の名称になっていることくらいかな。三宅島の釜の尻という地名には、塩年貢という島民の苦難が密かに刻み込まれているんですね。島内で見かけるバス停も、そのようなことを思いなが眺めると感慨深いものを感じてしまいます。






製塩所のあった面影は何もない現在の釜の尻

釜の尻バス停そばの神着方向の様子。今は民家がポツンと淋しくあるだけでなにもありません。それでも付近には釜明神、塩の神様と呼ばれる祠があるそうで、釜祖を務めた者の子孫が祭祀をつとめているらしいですよ。

ちなみに塩といえば、以前は三宅島の特産品だったクサヤも、実は塩作りの過程で生み出されたものですが、それを知っている人は意外と少ないです。

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