神着エリア 神着エリアの見所スポット 1 火の山峠 2 御笏神社 3 三宅島役所 4 篤姫ゆかりの蘇鉄 5 ビャクシン 6 椎取神社 7 岡太楼本舗 8 三宅島酒造 9 ラーメンとんとん 10 正大ストア 11 湯ノ浜漁港 12 下根崎 13 大崎 14 樹叢と溶岩流と砂防施設 15 浅沼稲次郎生家 16 王葬 17 子安宮 18 三の宮 19 ナダード 20 釜の尻 21 焼場 22 三宅島内燃力発電所 |
場所は土佐林道起点のすぐ脇 |
神着「土佐」地区の都212号線(三宅一周道路)沿いにある「三の宮」。ここは同時に土佐林道の起点になっている場所でもあり、三宅島の林道を隈なく探索していれば必ず通りがかる場所なので、起点の脇に説明板が立っていることに気付きます。 三の宮という名称から、神社や史跡があるのかと思いましたが、ぱっと見してそれらしいものは見当たらなくて、「ここはどういう場所なんだ?」と首をかしげてしまいます。といわけで、まずは説明板を読んでみましょう。 |
明治の噴火で三の宮が形成されたことが説明されています |
三の宮 | ||
三の宮は明治7年(1878)年の噴火によって形成された砂漠地帯である。 三の宮と呼ばれるゆえんは、かつてこの地域に熊野三社の一つ物忌奈命(ものいみなのみこと)を祀った 三の朔幣宮が鎮座したことによるものである。 明治7年7月3日雄山の中腹にある大穴と呼ばれる地点から噴火して、神着東郷集落をうずめ 広大な土地を瓦礫の荒廃地に変えてしまった。 以来百余年の歴史は、この瓦礫地帯に見事な黒松の群生地を造成し、 盆栽型の樹型は訪れる人々の目を楽しませてくれる。 三宅村 |
これは明治7(1878)年の噴火で、付近一帯が広大な範囲にわたって溶岩で焼け爛れた不毛の地になってしまったこと、そしてこの場所には噴火以前、三の朔幣宮(三の朔幣神社)があったので、現在は神社名が「三の宮」という地名として残っていることを説明しているのかな? この「瓦礫の荒廃地」跡は現在「ジオスポット焼場」としても指定されており、詳しい説明板も掲げられています。でも残念ながら、すっかり藪に覆い尽くされて眺めることはできなかったです。訪れる人々の目を楽しませてくれたという盆栽型のクロマツ林も今はどこにあるのかさっぱりでした。 |
説明板のすぐ脇が神社の祭祀跡 |
明治7(1878)年の噴火後、三の朔幣神社は御笏神社に合祀されたらしく、説明板は三の朔幣神社の元社地があった場所に立っています。すぐ脇に神社の祭祀跡があるので立ち入ってみますが、なんかえらく荒れていそうな予感がプンプンと・・・。
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今はササ藪の猛烈な藪と化していた三の朔幣神社跡 |
予感的中。そこはササ藪まみれの平家の家屋があるだけの場所でした。社殿の建物かとも思いましたが、これはただの廃屋っぽかったです。以前は石積みの祭祀跡があったらしいですが、放置で藪に埋もれてしまったのか、それらしい物はなにもありません。 というわけで、今は荒れ果てていましたが、ここは「三の宮」という地名の由来になった神社があった場所。しかし、この有様なので、説明板が目にとまっても観光客が立ち寄ることはまずないスポットになっていましたよ。 |
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