篤姫ゆかりの蘇鉄
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島役所の脇にあるワサワサとした見上げるほどの蘇鉄の木

宮崎あおいさんが主演を演じた2008(平成20)年のNHK大河ドラマで一躍知られるようになった「篤姫」。篤姫は薩摩の島津家一門の出で、島津斉彬の養女となって13代将軍徳川家定の第3正室として輿入れした女性です。

篤姫は今和泉島津家10代当主「島津忠剛(しまづただたけ / 1806〜1854)」の娘として1836(天保6)年2月5日に生まれ、初名は「一(かつ)」といいました。将軍家に嫁ぐべく17歳で島津斉彬(しまづなりあきら / 1809〜1858)の養女となり、「篤子」と名を改めると、将軍の正室は公家から迎えるのが正式だったことから、その後さらに右大臣「近衛忠煕(このえただひろ / 1808〜1898)」の養女となりました。

1856(安政3)年12月18日、20歳でに徳川家定(とくがわいえさだ / 1824〜1858)との婚儀が行われましたが、世継ぎが生まれることなく2年後の1858(安政5)年に家定さんが35歳で病死。その後は「天璋院」と名乗って大奥で暮らし続けましたが、やがて時代が明治になると江戸城から東京千駄ヶ谷の徳川宗家の邸宅に移り、1883(明治16)年11月12日に脳溢血のため49歳で亡くなっています。

篤姫とは幕末から明治にかけてそのような波乱の生涯を送った女性ですが、その篤姫さんにゆかりがあるという「蘇鉄」が島役所の脇に植えられていました。しかしそれがなぜ三宅島に? そして篤姫さんとの関係って?






篤姫と蘇鉄の関係を記した説明板

「篤姫」ゆかりの蘇鉄
安政3年12月(1856)薩摩の大名島津斉彬公の息女敬子(養女で篤姫とよばれた後に天璋院と号す)が、
13代将軍徳川家定公に輿入れのおりはるばる国元から持参した盆栽であったが
船が江戸に向かう途中、事故のため大久保浜に漂着し
その時に植えられたと伝えられている記念樹で樹齢はおよそ150年余りをかぞえる。
平成21年 三宅村
なるほど! 篤姫は将軍家に輿入れするため薩摩を離れる時、蘇鉄の盆栽を江戸に持参しようとしましたが、残念ながら蘇鉄を乗せた船は江戸に向かう途中で難破。積荷の蘇鉄の盆栽と共に三宅島の大久保浜に漂着たらしいです。

この蘇鉄はその時のもので、江戸の篤姫に届けられることなくそのまま島役所の脇に植えられて今日に至っています。NHK大河ドラマ「篤姫」が放送されたことで日の目を見ることになった蘇鉄であり、もしも「篤姫」という大河ドラマが放送されていなかったならば、「篤姫ってどなた? ソテツ?」の一言で終わっていたに違いないです。

なお、念のため繰り返しますが、難破したのは蘇鉄を乗せた船であって、篤姫が乗船した船は難破していません。また、篤姫さんが三宅島を訪れたこともないですよ。

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