火山体験遊歩道
  三宅島の見所スポット 林道探索の書 〜今日もどこかで林道ざんまい〜 
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  阿古エリア
  阿古エリアの見所スポット
     1錆ヶ浜船客待合所
     2阿古漁港
     3いきいきお魚センター
     4土屋食品
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     11 富賀浜
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     13 新鼻新山
     14 錆ヶ浜
     15 夕景浜
     16 人形岩
     17 村営牧場跡
     18 噴火災害保存箇所
     19 笠地観音と若返りの珍木
     20 差出神社
     21 火戸寄神社
     22 荒島神社
     23 阿古集落跡

入口正面には溶岩流に埋没した阿古中学校の建物が!
阿古の錆ヶ浜港から今崎海岸を通って夕景浜に向かっていくと、「火山体験遊歩道」の入口があります。 1983(昭和 58) 年に発生した山腹割れ目噴火の溶岩流で埋没した阿古小中学校跡を間近に眺めることがで、周囲一帯を埋め尽くす溶岩原の真っただ中を木道伝いに巡ることができます。

砂利敷きの駐車場の正面には阿古中学校の廃墟がバーンと立っており、遊歩道に向かう前からいやが上にも気分が高揚してきます。島内各地や島の林道を巡っていると、道すがらに溶岩原を眺められるスポットはいくつもありますが、ゴツゴツで荒々しい溶岩原の中に遊歩道があるスポットはこの 「火山体験遊歩道」 だけ。 錆ヶ浜港からも比較的近く、誰でも気軽に訪れられるのでここはとくにおすすめ!





遊歩道の入口に立つ遊歩道の案内板

火山体験遊歩道を歩こう
〜溶岩流のすさまじさと噴火災害を体感する遊歩道〜
三宅島は海底部分まで含めると直径25km、高さ1200m程の火山島です。ここ約100年間では
1940(昭和15)年、1962(昭和37)年、1983(昭和58)年、2000(平成12)年の4回の噴火が起こりました。

火山体験遊歩道は1983(昭和58)年に発生した噴火により阿古集落をのみ込んだ溶岩流の上に造られた遊歩道です。
火山体験遊歩道を歩きながら、火山島三宅島の噴火の威力と溶岩流のすさまじさを体験し、
また三宅島の人々と噴火の関わりを感じてみましょう。
[ Topics on Volcanoes ]1983年(昭和58年)の噴火 Eruption of 1983
1983年(昭和58年)10月3日15時15分頃、雄山の南西山腹の二男山で突然噴火が始まり、
その後、全長4.5kmに及ぶ割れ目噴火となりました。島南部の新澪池や新鼻付近では、マグマと地下水や湖水、
海水が接触して、新しいマグマ水蒸気爆発を引き起こしました。

その結果「1日に七色変化する」と言われていた神秘的な湖であった新澪池吹き飛ばされ、
噴出物が積み重なってできたスコリア丘(そのひとつが新鼻新山)ができました。
火口側からは数十mに及ぶ灼熱の溶岩が噴出し、
噴き上げられた大量の火山灰やスコリア(軽石)が、西風に乗って東方の坪田地区に降下し、
森林や畑に大きな被害をもたらしました。

一方、あふれ出た溶岩は、溶岩流となって3方向に流れ出し、
南に下った溶岩流は粟辺地区を横切って海岸まで達するとともに、西方向に流下したもっとも規模の大きい溶岩流は、
2時間後には一周道路を横切って、この阿古地区に流れ込みました。

当時阿古地区には約520世帯、1300人の人々が生活していましたが、
溶岩流は阿古集落のおよそ19ha、340棟以上の家々を埋め尽くすという甚大な被害をもたらしました。
目の前の校舎は屋上付近まで溶岩流に覆われており、
その厚さは10m以上に達しています。

住民は、身一つで島の反対側に避難し、一人の死傷者も出さず間一髪でこの難を逃れましたが、
一夜にして多くのものを失うことになったのです。
噴火は10月4日明け方に終息しました。

木道のすぐ脇は一面の溶岩まみれ!

うわー、これは広い! 駐車場脇の遊歩道入口から広大な溶岩原に延びるも木道。遊歩道に一歩足を踏み込むと、大な溶岩原が見渡す限りどこまでも広がっています。木道が整備されていなかったならば、てもじゃないけど、辺り一帯を埋め尽くす溶岩でまともには歩けませんよ。荒々しいその状況に度肝を抜かれてしまいます。





直に触って手に取って眺められるガラガラとした溶岩

木道の端にしゃがんで眺めてみた溶岩。小さいものは手のひらサイズから大きなものは一抱え以上もあるものまで大小様々でした。山で普通に見かける落石の岩とは違って、的な黒々として細かく角張った様子がいかにも溶岩くさくて凄かったです。





やがて現れる埋没した阿古中学校の説明板

火山体験遊歩道を歩こう
〜溶岩流のすさまじさと噴火災害を体感する遊歩道〜
1983年(昭和58年)当時の阿古中学校

当時、阿古中学校は生徒数61名、教職員18名でした。
噴火当日10月3日は前日の運動会の振替休日で学校はお休み。
生徒たちは雄山や新澪池に行ったり、自宅でくつろいだりと、様々に休日を過ごしていました。
その穏やかな休日が一変、阿古地区に溶岩流が流れ込み、
阿古小中学校はまるで溶岩をせき止めるかのように校舎の2階部分までを溶岩流に埋められてしまったのです。

校舎の隅にあるプールには、1983(昭和58)年の夏に、
観覧席が新しく作られたばかりでした。
9月、新設された観覧席に保護者や来賓の方を迎えて三中学水泳記録大会が開催されました。
観覧席からの大きな応援の声は、この時、一回だけのものとなってしまいました。
[ 火山トピック ]溶岩流 A lava flow
東側の山の斜面を見て下さい。山肌に黒い溶岩の流れが見えます。
1983(昭和58)年噴火ではこの流れが、都道を横切って阿古地区に流れ込みました。都道を横断する地点では
つぶされた車の残がいが見られます。また都道付近では、溶岩流の厚さは2〜3mですが、
学校の校舎にせき止められました。この付近では、10m以上の厚さになっています。流動性の高い溶岩が、
体育館や教室の中に入り込んでいる様子が観察できます。

[ 1983(昭和58)年噴火 溶岩の性質 ]
溶岩の種類 / 粘性が低く流動性に富む、玄武岩もしくは安山岩質玄武岩 SiO2 52.3〜54.6パーセント
速度 / 山腹での流下速度は、1時間で1.7km程度、阿古地区に入ってもう少し遅くなった
温度 / 噴出時は1000〜1100℃、噴火後200日でも厚い溶岩の内部温度は500℃以上を示した
噴出量 / 4.7×1000000立方メートル

10m以上もの溶岩の厚みにのみ込まれた校舎

おお、あれか! 遊歩道の入口から見えていた阿古中学校跡ですが、木道を進んでいくとやがて溶岩に埋もれた建物が間近に迫ってきます。阿古中学校の校舎がまるで溶岩をせき止める堤防のようであり、二階建ての校舎の屋上までガラガラと溶岩が厚く堆積した状況に唖然とさせられてしまい、それはもう凄いの一言!





山腹から山裾にかけて溶岩流が堆積してできた広大な溶岩原

海岸に面した阿古中学校跡から歩道を挟んで山側を眺めてみますが、こちらも一面の溶岩まみれ! 黒々とした溶岩原にぽつぽつと緑の植物が生えている以外、樹木が1本すら生えていませんでした。見渡す限り黒々とした溶岩原が広がっています。

噴火当時、前方に広がる雄山山腹の斜面を灼熱に焼けただれた溶岩はが流れ下って中学校に迫ったわけですが、その後、草木が茂って都道が復旧し、民家の建つあの地点も、実は当時の溶岩流が2mほどの厚さで堆積しているそうですよ。





次第に阿古中学校の校舎の正面側へと回り込みます

再び阿古中学校跡。遊歩道は校舎跡の横から正面へと回り込んで中学校跡の正面玄関口へと向かいます。黒々とした大量の溶岩に深く埋もれて、建物は二階建てには見えませんが、しかし、これだけの溶岩流に襲われたのによく建物が残ったものだな〜。





遊歩道の位置は校舎の屋上よりも上

阿古中学校は二階建てだったのに、流れ下った溶岩流の厚みによって建物は見下ろす格好になっています。 生徒数61名、 教員数18名だった阿古中学校ですが、 噴火当日は前日の運動会の振替休日で誰もいない休校日だったそうです。噴火がもう1日早かったならば、さらに大変なことになっていたでしょう。





溶岩に塞がれる寸前の状態で残った正面玄関口の二階部分

うわ、これは怖いな! 押し寄せた大量の溶岩は今まさに正面玄関口の二階部分を突き破って校舎の中へと流れ込む寸前! でもなんとか辛うじてこの状態で溶岩流は止まったみたいで、窓枠が今も残る廃墟となった校舎の中が見えていました。





校舎に押し寄せた溶岩流の高さは10m以上も!

えぇ、こんな高さまで?! 見えているのは辛うじて埋没を免れた二階部分の窓の一部と校舎の屋上部分だけ・・・。 溶岩流の厚さは校舎付近で10mを越えているため、見下ろしているあの校舎は二階建てなのに高さがあまり実感できなかったです。


凄まじい高温と力でグニャリと曲がった体育館の鉄筋

うひゃぁー! 鉄筋コンクリートで頑丈なはずの体育館ですが、側面の壁と外枠を残してメチャクチャに破壊されていました。屋根は焼け落ちて梁の鉄筋が剥き出しになっていますが、よく眺めてみるとグニャッとひしゃげています。

噴出時の溶岩の温度は1000〜 1100℃あったといいます。 溶岩の放つ凄まじい高温と力で鉄筋はあのようにひしゃげ、へし曲げられてしまったのでしょうか?





強烈なインパクトを放つ溶岩流に襲われた体育館跡

阿古中学校の体育館を襲った溶岩流の凄さを見せつける光景。粘度が低くて流動性に富んだ溶岩は体育館を完全に破壊することなく、外枠と壁の一部を残した状態で建物内に流れ込み、このような状態にしてしまったんですね。屋根が残っていないのは、溶岩の放つ高温で焼け落ちてしまったのでしょう。





反対側から眺めても溶岩が物凄かった体育館跡

ちなみに体育館の反対側はこのような状況・・・。壁は溶岩に突き破られず、崩れることなく残されていますが、窓跡から眺めた内部は溶岩でテンコ盛り! 体育館の中に溢れんばかりになだれ込んだ溶岩が異様な光景を見せています。





体育館内部には溢れんばかりの溶岩が!

体育館の中に眺め込んだ溶岩の厚みは屋根の高さにまで達していました。噴火当時、体育館の中をジュクジュクと満たしていく溶岩の様子が頭に浮かびますが、さらに流出量が多かったらあの窓から反対側へと流れ出ていたことでしょう。

本来、空洞であるはずの体育館廃墟の内部空間が溶岩で満たされているという特殊な状況。そこで溶岩流がせき止められているのがよくわかりますね。全国各地に廃墟は数多くありますが、これほどまでの噴火系の廃墟はちょっと他にはありません。

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