阿古集落跡
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  阿古エリア
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     19 笠地観音と若返りの珍木
     20 差出神社
     21 火戸寄神社
     22 荒島神社
     23 阿古集落跡

「阿古温泉郷」と呼ばれて栄えていた昭和58(1983)年の噴火以前の阿古集落

昭和58(1983)年に発生した雄山噴火以前の阿古集落の様子です。噴火当時の阿古集落は約520世帯、約1300人が生活しており、そして当時の阿古集落は三宅島の観光、漁業の中心地として賑わっていたそうです。集落には温泉施設があって豊富な温泉は各家庭にまで引かれていました。観光客はもちろん、島内の他の地区からも温泉につかりにくるような「温泉郷」だったんですね。

民家が所狭しと密集している様子から、噴火以前の阿古集落はかなり栄えていたことがうかがい知れますが、今は広大な溶岩原に埋もれてしまい、当時の様子は見る影もないです。噴火の凄まじさというやつですが、残ったものはといえば、阿古小中学校の校舎跡と噴火を免れた民家がわずかばかりなんだよなぁ・・・。






集落跡を見下ろす場所に立つ説明板
阿古集落跡
陽気で人なつこい阿古地区住民は、
いち早く観光産業に着目し、自然の惠みを巧みに利用して島内唯一の温泉郷として隆盛を極めていた。

昭和58(1983)年10月3日、大音響と共に二男山を吹きとばした噴火は膨大な量の溶岩を流出し、
山谷を埋めつくし、眼下一帯に広がる阿古集落を襲った。

19ヘクタールにのぼる溶岩原の下には約400戸の民家が埋没しており、
海岸線沿いに難をのがれた人家がわずかに往時を偲ばせている。1300余名の住民は冷静な判断と沈着な行動により
全員無事避難という偉業をなしとげたのである。
この避難行は奇跡の生還と称えられ後世に永く語りつがれることであろう。

三宅村
阿古温泉郷と呼ばれた当時の賑わいは噴火によって失われましたが、幸いにして犠牲者ゼロで1300余名の住民全てが無事に避難できたそうです。噴火が昼間に発生したこと、事前に行われていた防災訓練の成果ですね。

ちなみに犠牲者ゼロといえば、昭和以降だけでも10回近く噴火を繰り返している鹿児島県「口永良部島」の新岳噴火(2015[平成27])でも犠牲者は一人も出ていませんよ。三宅島同様、事前に対策を練り上げていたことが功を奏したようです。






三宅島唯一の温泉郷も噴火発生の2時間後にはこのような光景に・・・

あぁ、なんてこと! 島内一の賑わいをみせて「阿古温泉郷」とまで言われた場所の現在の姿です。家々が密集していた場所は見渡す限り黒々とした溶岩に覆い尽くされてしまい、ご覧の通りほとんどその面影が残っていません。

しかも阿古の家々を溶岩流が襲ったのは噴火からわずか2時間後のこと。あっという間の出来事でしたが、溶岩流は2メートルの厚さで集落を飲み込んでしまったとのこと。かつてここに三宅島唯一の温泉郷があったなんてとても信じられない光景です。






説明板と共に設置されているかつての阿古集落の写真

掲げられた噴火前の阿古集落の様子と、溶岩源の広がる現在の様子を見比べることで噴火の凄まじさが実感できますが、一瞬にして集落を埋め尽くした噴火は無情だな・・・。

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